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+構造論とハルヒに関するgenesisのブックマーク (3)

  • metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って

    前回は、アニメを見ることに関わる実存的な問題を少しだけ提起した。そこで問題になっていることは、生活のリズムを刻むこと、平板な世界にいかに起伏をもたらすか、ということである。これは、つまるところ、世界をいかに意味づけるか、ということである。あるいは、日常生活というものをいかにして再構成するか、ということである。 この日常生活の分節化の問題が、今日の非常に多くのサブカルチャー作品に見出されるということが、現在の僕の関心事である。何度も繰り返すことになるが、日常生活そのものを描くことはできないので、こうした作品において問題になっていることは、言ってみれば、日常生活における節目を発見することであるだろう。つまり、何かの終わりであると同時に何かの始まりでもあるような、そうした節目を様々なところに発見することが問題になっているのである。 現在は卒業式のシーズンであるが、卒業式というのもまた、ひとつの節

    metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って
    genesis
    genesis 2007/03/19
    曰く,ハルヒにおいて「問題になっていることは...日常と非日常との区別をいかにして明確化するか」であり,「日常生活をいかに組織化するか...が今日の多くのサブカルチャー作品で課題になっている」
  • 涼宮ハルヒとミステリの微妙な関係 - NthLibrary-Journal

    数日前から、涼宮ハルヒシリーズとミステリの間の関係についての話題をネットで目にして、興味深く読んでいる。ハルヒシリーズは憂しか読んでいないとはいえ、ミステリとライトノベルという、ネット社会ではそれなりの勢力を持ちつつも一般的にはほとんどどこにいるのか分からないくらいのニッチな分野に生きるものとして、とりあえず何らかの反応はしてみないといけないのかな、と。 とりあえずは、リンクを 週間書評 『涼宮ハルヒの憤慨』/涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける /小森健太郎 一足の蛸 涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける前に気をつけるべきこと/id:trivial まずは、小森健太郎の「小栗虫太郎」─「松清張」─「清涼院流水」という、大胆な説に驚愕です。 この大胆な説に対する個人的な見解を述べさせて頂くと、清張は語れるほどに読んでいないので外すとしても、小栗にしても流水にしても、作品に現れているのは小

    涼宮ハルヒとミステリの微妙な関係 - NthLibrary-Journal
    genesis
    genesis 2006/05/25
    曰く,涼宮ハルヒがミステリの探偵役として全く活躍することがない「この事実こそが、ミステリとライトノベルの間に横たわる深くて暗い河」,「ヒロインを探偵にしようとした場合には、どうしても齟齬が生じる」
  • 涼宮ハルヒとドン・キホーテ型主人公 - 萌え理論ブログ

    伝統的コンビへの先祖がえり ハルヒとキョンの関係は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテと従者サンチョの変奏として、位置づけられるだろう。 人格的に問題がある主人に従者が振り回されるというコンビは、涼宮ハルヒに限らずオーフェンとマジクなどでもいいが、よくあるパターンではある。しかし『ドン・キホーテ』は小説自体の源流なのだから、ライトノベルにそのような人物造形があってもおかしくはない。 風車に突撃するという有名なエピソードをはじめとして、現実と虚構の境界が曖昧になっているだとか、よくあるオタク批判をはるか昔に先取りしているところが興味深い。むしろ、現在の批判の方が無意識のうちにそれに影響されているのかもしれない。また、劇中劇などメタフィクションの要素もとうの昔に取り入れているのだ。 小説における主従関係の系譜 だがそれでは、『NHKにようこそ!』や『KANON』の川澄舞はど

    涼宮ハルヒとドン・キホーテ型主人公 - 萌え理論ブログ
    genesis
    genesis 2006/04/29
    曰く,「ハルヒも、セカイ系のパロディとしての(アンチ)ヒロインなのかもしれない」
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