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+構造論とCLANNADに関するgenesisのブックマーク (2)

  • CLANNADが善意で出来ているとすると、ef - a tale of memories.は悪意で出来ている サイオンジ探偵社

    作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。 なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。 私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。 もし読んでない人がいたらぜひ。 で、このなかの一節にこういうことが書かれている。 思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。 手塚治虫のマン

    genesis
    genesis 2007/12/07
    曰く,「CLANNADのキャラに対する姿勢が全き善意だとしたら、ef - a tale of memories.にあるのは悪意だ。悪意という言葉が悪いとしたら批評性とでも言っていい。」
  • MilkyHorse.comの馬法学研究会 :: 競馬サブカルチャー論・第16回 :: 馬と『Fate/stay night』

    この連載は有史以来常に人間とともに在った名馬たちの記録である。実在・架空を問わず全く無名の馬から有名の誉れ高き馬まで、歴史の決定的場面の中において何ものかの精神を体現し、数々の奇跡的所業を成し遂げてきた姿と、その原動力となった愛と真実を余すところなく文章化したものである。 ―馬は、常に人間の傍らに在る。 その存在は、競馬の中核的な構成要素に留まらず、漫画・アニメ・ゲーム小説音楽―ありとあらゆる文化的事象にまで及ぶ。この連載は、サブカルチャーの諸場面において、決定的な役割を担ってきた有名無名の馬の姿を明らかにしていきたい。 ※以下の記述・文中リンクは、18歳未満に販売されない商品に関するものを含みます。 ― TYPE-MOON 『Fate/stay night』 より― それは、稲のような切っ先だった。 心臓を串刺しにせんと繰り出される槍の穂先。 躱そうとする試みは無意味だろう。 それ

    genesis
    genesis 2006/04/17
    曰く,「名作であればあるほどあらゆる場面に馬をちりばめようとする傾向が強いサブカル界」「TYPE-MOONのスタッフが馬という生物に対して深い理解と高い見識を有していることの証左」...え?
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