米澤穂信/著 これぞ、究極のどんでん返し! あらゆる予想は、最後の最後で覆される。「ラスト一行の衝撃」に徹底的に拘った連作集。古今東西、短編集は数あれど、掲載作すべてがラスト一行で落ちるミステリは本書だけ! 極限の芸と技を、とくとご堪能あれ。
●竹熊健太郎さんの証言とにかく、当時を知る人間として、ここではっきり書いておきますけど、「おたく」という言葉は、最初から「おたく」の間だけで流通していた「自分たちを差別する言葉」だったということです。竹熊健太郎「中森明夫「おたくの研究」をめぐって(2)」(2005年)より これは、もう3年も前の竹熊健太郎さんの証言です。竹熊さんは、当初(宮崎勤事件以前まで)、〈オタク〉という語を頻繁に用いていたのは、〈オタク〉たち自身であったと、これまで幾度もブログや本で言及されています。 しかし、このような証言は、実はそれほど多くはありません。とくに、当事者である〈オタク〉の方々からこうした証言はさほど聞かれません。 その理由として考えられるのは、80年代に〈オタク〉という呼称を用いていたのは、ごく限られたひとだけだったことが、まず考えられます。〈オタク〉第一世代と呼ばれる1960年前後に生まれたひとび
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