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ブックマーク / shogipenclublog.com (2)

  • 羽生善治名人が奨励会に入会した頃

    羽生善治名人が、昨日行われた王将戦挑戦者決定リーグ戦で三浦弘行九段に勝ち、史上最速での1300勝を達成した。 この模様は、NHKのニュースでも報じられている。 →将棋の羽生四冠 史上最速で1300勝達成(NHK) 今日は、羽生名人が奨励会に入会した頃のこと。 —– 将棋世界1983年2月号、松浦隆一四段(当時)の「奨励会 関東だより」より。 12月の前節例会から新入会者が参加した。今年の入会者はレベルが高いようで、出だしまずまずの成績を残している。成績の悪い者も奨励会の雰囲気に慣れるに従って変わってくるだろう。 (以下略) —– この時の新入会員の中で、後にプロ棋士となった奨励会員の出だしの戦績は次の通り。(先崎学九段はこの頃すでに2級) 6級〔関東〕 飯塚祐紀 13歳 ●●●●● 豊川孝弘 15歳 ●◯◯●◯ 木下浩一 15歳 ◯●●◯● 郷田真隆 12歳 ●●● 森内俊之 12歳 ●●

    羽生善治名人が奨励会に入会した頃
    gento
    gento 2014/11/21
    " おもしろい見方をすれば、昔は豪傑ぞろい。今は優等生の集まりと言えよう。  棋士の中には、奨励会員らしい者がほとんどいなくなった、と嘆いている者が多い。  ただし、最近は棋士の社会的地位も上がってきたし
  • 角川歴彦&中原誠 対談「我ら高柳一門の兄弟弟子」

    将棋世界1995年3月号、「棋士交遊アルバム 角川歴彦(角川書店社長)&中原誠(永世十段) 我ら高柳一門の兄弟弟子」より。 昭和33年の誌の奨励会ページに『6級 中原誠 高柳門』の記載がある。中原少年が奨励会に入会したばかりの頃だ。そして、その横の初等科(現在の研修会に近い機関)ページに『10級 角川歴彦 高柳門』の名前があった。そう、二人は高柳敏夫名誉九段一門の兄弟弟子だったのである。その後の歩みは全くちがうことになった中原誠永世十段と角川書店社長の角川歴彦氏が、当時の思い出とエピソードを懐かしく語った。 将棋好きのお父さん 中原 お父さんには、非常によくしてもらいました。めちゃめちゃに将棋が好きでしたね。 角川 父(角川書店創業者の角川源義氏)はほかの楽しみがまるでなかった。私を初等科に入れたのも、自分の子が将棋連盟に行っているのが自慢だったんです。当時、高柳先生が社長室にレッスンに

    角川歴彦&中原誠 対談「我ら高柳一門の兄弟弟子」
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