一般に、「日本人は議論が苦手である」と言われている。そもそも、日本人は議論が好きではないようだ。このことは、「議論(意見)を戦わせる」などの用法に顕著なように、日本語の「議論」という言葉には、攻撃的な含意が強いことに見て取れるのではないか。議論という言葉だけではなく、英語のcriticalの批判的を非難の意味で捉たり、aggressiveを積極的というよりは攻撃的と思っているふしがある。 つまり、「こころ」優しい日本人は、言葉にせよ、態度にせよ、自者を積極的に他者に対峙させること自体、とかく攻撃的なので良くないと考える傾向が強いのかもしれない。本来、自者と他者の対峙は、論理的・建設的な議論の前提として必要でこそあれ、攻撃的であるか否かとは別物であるにも関わらず、である。 現に、KY(空気が読めない)に代表される暗黙の疎外圧力は、対峙とは程遠いが、KYとみなされた者に対して極めて攻撃的である