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ことばに関するggg123のブックマーク (6)

  • 城としあき の漫画 3月14日

    城としあき の作品です。 作品のアイデアの 【模倣】・【盗用】は 禁止です。 メールは メールフォーム または johtoshi@gmail.コム です。 絵言葉は、 売川もろみの、個人的な、思いではなくて、 どなたかの、部屋の壁で、ひっそり、飾ってもらえるような、 言葉を、絵にしていこうと、思っています。 でも、そのときの自分の心が、入っているのは、入っているのですが… 初めに思いついたのは、下のでした。 スッと分かって、スッと心に残るかと思ったのですが、 でも、読み返しているうちに、 言葉に小さなとげがあるような、気がして、 これでは、飾れないな、と判断しました。 それで素朴に、たまご君の言葉にしました。 お手数でなければ、このバナーを、クリックしてあげて、ください。

  • だれでも ない あなたへ(ベジタリアンには名前がある。では、あなたは?)。 - hituziのブログじゃがー

    どんだけ倫理的なんだよ(「植物だって いのちだよ」)。 - hituziのブログじゃがー うえの記事に かいたようなことは、「多数派のオフサイド トラップ」に ひっかかりやすいのです。これは、多数派が いじわるだからで、わたしの議論に 問題が あるからではないと おもいます(笑)。 え、「「多数派のオフサイド トラップ」って なんだ?」ですって? すばらしい質問です! 少数派には名前がある(ベジタリアンをめぐって)。 - hituziのブログじゃがー 多数派には名前がない(多数派の「オフサイド トラップ」)。 - hituziのブログじゃがー うえの ふたつの記事を よんでください。 こむつかしい ことばで「有徴(ゆうちょう)」って いいますね。医者に たいして、女医という。文学にたいして、女流文学という。医者は「無徴(むちょう)」で、女医は有徴です。「しるしが ついている」ってことです。

    だれでも ない あなたへ(ベジタリアンには名前がある。では、あなたは?)。 - hituziのブログじゃがー
    ggg123
    ggg123 2008/12/16
    サイレント・マジョリティ。。。。とは少し違うけど、難しい響きのある問題だと思う。
  • いてもいいし、いてほしいと、おもう。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ggg123
    ggg123 2007/11/26
    そして、楽しく、暮らしたい。/(^^)
  • 坂のある非風景 愛という無によって

    純粋なセックスは、空想への耽溺を支える現実のパートナーを相手にしたマスターベーションである。それに対して、われわれが<現実的な他者>(<他者>の<現実界>)に到達できるのは、あくまで愛によってなのである。 したがって、愛とセックスの対立は、魂と肉体の対立ではなく、ほとんどその逆なのだ、という話を読みながら、コーヒーを飲んでいるところだ。コーヒーを飲みながら読んでいるとしてもいい。そういう夜の秋である。 いぜんとして、どうしてまだ見ぬわが子に向かって「愛している」などと語れるのかといった問いに立ち止まっていて、嘘であるがゆえに主張はさらに精密に強硬になるという事例を思い出せば、そこに愛がないからじゃないかと思い至った。「愛している」という発話は愛の欠如によって生み出されるわけだが、愛がないというより、じつは「愛という無」がそこにはあって、その「無」が語っているのではないかと思った。だから現実

    ggg123
    ggg123 2007/11/21
    そして人に欠如を知らしめるこの「愛という無」が問われるべきだと思う/尊厳とかもそうなのかな。
  • 坂のある非風景 進化を準備する痛み

    書くことはピッチングに似ている。(略) 対して読者というのはバッターだろう。蓋し、インターネットには優れたバッターが少ない。まるでバッティングセンターで軽く汗を流すようにぶんぶん振り回しているその朗らかさに時折嫌気がさすことがある。 書き方が無限にあるように読み方も無限にあるのに、読み方を学ぶのはとてもむずかしい。緻密で厳密な解釈学的読解の反対側には飛ばし読みがあるといった一次元上に、すべては美しく配置されてしまって、あとは字面だけ読む(リテラルな読み)か、アレゴリーとして、メタフォリカルに読むか、行間をどの程度深く読むかといった違いしか残っていない。この野球の比喩はよくできていると思う。投手には七色の変化球があっても、バッターには一種類の打ち方しかないということである。あ、バントもあるか。 揉め事は全部この「読み」の浅薄さが作り出しているだけだし、揉め事とは無関係な記事もまた同じ「読み」

    ggg123
    ggg123 2007/11/21
    眼をみること、手を取ることをはるかに凌駕する親密な出会いかもしれないのだ。/それをリアルとする感性に、何がしか美しさを感じてしまうこころは、どんな風に手を握るための境界線を越えていくのだろう?
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    ggg123
    ggg123 2007/10/01
    それって言葉の過信の問題なのかな。言葉が不完全なのは当たり前のことで、それゆえにコミュニケーションの必要が生じるのでは。自分の持てるすべてを動員して読むことが前提だけども。
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