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石呑んだ気分に関するggg123のブックマーク (4)

  • [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット): 極東ブログ

    「転生 古代エジプトから甦った女考古学者」(参照)のオリジナルを読んだことはないがけっこう古いなので復刻かなと思ったら、後書きに訳者田中真知が「書をルクソールの屋で見つけたのは十数年以上前である」と書いていて、そうかと思って奥付を見ると、昨年11月20日の初版だった。ついでにこれが新潮社刊だったのかとあらためて気が付いた。 オリジナル”Search for Omm Sety: A Story of Eternal Love”(参照)は紅渡が生まれた1987年だ。最近、古いでも訳者からこれ絶対に面白いっス的な企画が大手出版社に登るようになったのかもしれないな。そう、これ、絶対に面白いっス。 とまで言っていいか、ちょっとためらうところもある。ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者諸賢とかには気持ち悪いのではないだろうか。アマゾンの紹介はこれだものね。 内容紹介 私はファラオの愛人

    ggg123
    ggg123 2008/02/11
    「前世を信じちゃう人々」は若い。霊がみえる、未来が見える、癌が消えた・・までの道のりは結構近い。女性に限るともいえないし。本当に前世がわかる人って多分レア。一方「アタシ見えるの」なヒトは増殖中だ。
  • 坂のある非風景 殺意としての優しさ

    ぼくもまた、今は亡き「after game over」について触れておきたい。しかし、ただ優しさ、被害者と同一化しようとしたり、「制度でしかない幸福な物語」を挟んで、しかもそれを鏡にして自分を見ているだけのくせに、そのまま対象の幸福だと信じて感涙にむせぶナルシシズムこそが、ぼくらの不幸の源泉なのだということを告げられればそれでいい。感動しました、幸福を祈っていますという充実した、受動性に見せかけた一方的な関与こそが、書き手を抹殺したのである。 エピソードを書くとき、塗り絵に少しずつ色を塗りながら、対象である存在を際立たせていく作業に似ている。だがその作業は、逆に相手の存在を白紙化していくことにつながっている。これは一種の殺意である。 そういう意味では、抹殺された書き手の記事(「書きたくなかったことについての話」など)にあるへの過剰な優しさの描写は、殺意として読まれるべきかもしれない。しか

    ggg123
    ggg123 2007/11/21
    >対象の否定という殺意が混じっているからこそ「優しさ」には圧倒的な快楽が伴ってしまう。受ける方も授ける方も。
  • この件はあまり言及したくないのだけど - finalventの日記

    ちょっと違和感はあるのでごく微量に。 まずことの経緯だけど。 俺の⇒今日の話題のぶくま - finalventの日記 そのぶくま⇒はてなブックマーク - 今日の話題のぶくま - finalventの日記 ぶくまはご自由になんだけど、ネタで書いた「ネガコメ5」のほうが受けてしまったが、まあ、今見直すと、微妙に自分があの時思ったことを受け止めてくれた人はいたかなと思った。 で、これを言うと、いかんのかもしれないけど、大人としてちょこっとだけ言うと、妊娠については安定期に入るまではごくプライベートな問題。書くなとかいわないけど、お大事ね、くらいで儀礼的無関心にすべき。 なので、あの時は、そんな騒ぐもんじゃないよと。 それと、ここもちょっと踏み出していうと、hashigotanさんのことを思った。率直にいうと堪えているのだろうかという心情を勝手に思った。で、その後という経緯になったようだけど、それ

    この件はあまり言及したくないのだけど - finalventの日記
    ggg123
    ggg123 2007/11/08
    900?ぶくまの人は、自分の文章に寄せられる期待感と影響力みたいなのに耐えられなくなったんじゃないかなと。嫌な言い方だけど、自分の文章を見切ってないとおもた。書くならもっと絶望しないと。
  • 極東ブログ: [書評]走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)

    村上春樹の書き下ろしエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」(参照)は買ったその晩に読みふけって読み終えた。読みやすいだったからとはとりあえず言えるのだが、奇妙な、苦いような後味が残った。たぶん、エッセイとは違う何かがあるのだろう。後書きで彼は「メモワール」だと言っている。 僕はこのを「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。前書きにも書いたことを繰り返すようなかたちになるが、僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかり小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのようにして生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。 村上は「メモワール」というフランス語の語感に思い入れがあるようでいて「エッセイ」のフランス語の語感を知らないのも奇妙にも思われるのは、むしろ英

    ggg123
    ggg123 2007/10/27
    > 彼が無意識で知らないであろうその理由って、暗い不協和音なのか?なんかすごく自分が脳天気だったくさい気ががが。/って立ち入り杉たかも。すみません。取り敢えず気づかせてくれてありがとうです。
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