タグ

mb101boldさんに関するggg123のブックマーク (41)

  • 東京糸井重里事務所を退職しました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重

    東京糸井重里事務所を退職しました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2012/01/26
    ぼーるどさんらしい。(^^)
  • 「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    少し前に「不支持が力を持つ時代」というエントリを書きました。昨年7月の参院選のときに書いたものです。私は、こんなことを言ってました。 代案のない否定。 確かに。代案のない否定が集まっても、とりあえずそれ、やめとこ、ということしか決まりません。それでも時間は流れるので、じゃあどうする、と瀬戸際まで追いつめられて、時間切れというカタチでものごとが決まっていく。その積み重ねの総体が時代というものだとすると、こんな不確実なものはないですよね。 多かれ少なかれ、我々を覆っている時代の気分って、そんな感じかな、とも思ったりします。とりあえず今はやめとこ、という気分が、今の停滞をつくっているのかも。 今回の内閣不信任案の件でも、そんなことを思いました。私はあまり政治に言及するタイプではありませんし、政治に詳しくもありません。けれども、なんとなく今回の件が嫌で嫌でしょうがなかったのは、そんな「不支持が力を

    「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2011/06/27
    少数意見が林立するときには根回しが必要だと思う。根回しがうまくない、または面倒、またはその力がない政治家が大多数なのだと思う。
  • 想像力と寛容、そして公共 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    外苑前のLIBROでを買って、交差点で信号待ちをしていたとき、ある方が私に近づいてきました。たくさんの荷物を持ち、黒いスーツを着た落ち着いた上品な感じの女性で、年で言えば50くらい、日人っぽい顔立ちの方だったから安心していたら、 —— HowなんちゃらかんちゃらRoppongi? と聞いてきたのでした。 あっ、英語かあ、と一瞬、たじろいでしまったけど、なんとなく「六木に行くにはどうしたらいい?」みたいなことはわかったので、とりあえずでたらめ英語とボディランゲージで質問に応じる覚悟を決めました。まあ、覚悟ってほどのことではないけど。 東京のこのあたりで仕事している人はわかると思いますが、表参道とか外苑前とか、いわゆる青山界隈は、六木までのアクセスはタクシーが多いんですね。距離がそこそこ近い割には、地下鉄の便が悪いイメージがあって(とはいえ、浅草線から大江戸線で10分くらいなんですけど

    想像力と寛容、そして公共 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2011/04/25
    「私は政府の基準が信じられないから買いだめします。」でもいいんですよね、基本は。
  • ある違和感の正体 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    やっぱりね、「原発の是非」の話って違和感があるんですよね、今は。 別にやっちゃいけないっていう話ではないと思います。語るべきじゃない、だなんて僕は絶対に言いません。それは、僕がウェブでものを書く人だからです。僕が黙れと言うことは、僕が黙れと言われることと同じだから。だから、日のウェブが「不謹慎」さがしをしている空気になったとき、僕は、メディアの生態的な観点からの提言しかしなかったんです。「不謹慎」探しやめろ、とは言いませんでした。職業として、大小さまざまなメディアを眺めて来たからある程度はわかる。だから、メディアの生態的な傾向だけを書くことにしたのです。 たとえば、オープンなショートメッセージSNSであるtwitterは、震災直後、マスメディアの情報発信がまだ現実で起っていることに追いつかないときは、その敷居の低さと速報性から一定の役割を果たしたけれど、次第に批評、啓発、啓蒙の場になって

    ある違和感の正体 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2011/04/01
    そのとおりだと思いマウス。
  • 人はたくさんのボールを同時には受けられない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これ、有名な広告づくりの教えなんですが、今の状況にも役立つと思います。キャッチボールってあるじゃないですか。1対1でボールを投げ合う。たのしいですよね。そのとき、突然、横から誰かがボールを投げる。受けられますか。きっと、受けられません。たぶん、プロ野球選手だって受けられないんじゃないでしょうか。 たった2つでも、人間は受けられないんです。 その広告づくりの教えでは、だからたくさんのメッセージをひとつの広告につめこんではいけません、メッセージはひとつにしぼるべきです、と続きます。たくさんのお金を出して出稿する広告です。受け止められないと、お金を溝に捨てるようなものですから。 広告情報ならば、消費者はノイズとして無視、となりますが、震災の情報はちがいます。人の生き死にに関わりますから、無視はできません。できるだけ多くの情報を得たい、とりこぼしたくない。それが、人情というものです。 でも、人間は

    人はたくさんのボールを同時には受けられない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2011/03/22
    今、内部被ばくについて超悩んでるの。
  • 個人がメディアを持てるようになったということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私がここで書いていることも、個人がメディアを持てるようになったという時代を象徴していると思うし、言葉で伝えたい私にとっては、ブログがその中心的なツールになったし、映像で伝えたい人にとっては、YouTubeやニコニコ動画、USTREAMなのでしょう。 個人がメディアを持てる、ということ自体は、インターネットができたときから実現していることであり、とりたてて今言うべきことではないかもしれないけれど、それでも、今なお言えることは、今も進行しつつあるメディア環境の変化は、やはり、個人がメディアを持てるようになった、という変化を中心にして起きているものである、ということだと思うのです。 ●    ● 広島市の秋葉忠利市長が、テレビでの退任会見ではなく、自らが語る14分50秒の動画をYouTubeに投稿しました。秋葉市長は、マスコミをすべて拒んだわけでなく、4日には地元民放の生放送に出演し、その後に複

    個人がメディアを持てるようになったということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「広告」というのはひとつのテクノロジーなのだと思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    それは、よきにつけ、悪しきにつけ。 当たり前のように広告の仕事をしてきて、それなりに広告の方法論を身につけて、広告という文化圏の中で息をして、広告というものの考え方にどっぷり浸かってきたけれど、その「広告」というやつは、「広告」というやつの外部から見れば、かなり異質なものの考え方のような気がします。 所詮はビジネスではあるから、いろんな組織のごたごたに従うしかないこともありますし、それが現場のリアリズムかもしれませんが、来的には、広告とは、そんなごたごたさえ排除するものの考え方のような気がします。だからといって、つくり手がいちばん尊重されるかというと、組織のごたごたさえ原理的には排除されるのと同様に、つくり手のプライドや自我さえ排除される、そんなものの考え方。ある意味で、きわめて悪魔的な考え方なのかもしれません。 つまり、なによりも尊重されるべきは、広告。そして、広告によってかたちづくら

    「広告」というのはひとつのテクノロジーなのだと思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 交差点的 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    繁華街の交差点で信号が青になるのを待っている。まわりには様々な人。サラリーマン、学生、おっちゃん、おばちゃん、おじいさん、おばあさん。おしゃべりしている人もいれば、黙っている人もいる。家電量販店の店員さんがメガホンでセールを広告している。ティッシュを配っている人もいる。 私は、天下一品で昼飯をった後。胃に血液が集まって、ぼんやりとした頭の中で、ラーメンについて考える。 「それにしても、最近のラーメンってのは、変わり種ばっかりだよなあ。でも、普通のラーメンでは、今やビジネス的に成り立たないのかもなあ。差別化って何だろ。」 隣にいるサラリーマンの人は黙っている。でも、きっと彼も何かを考えているのだろう。彼から見ると、私もまた、黙っているただの人にすぎない。 「でもまあ、天下一品って、月に1回はべたくなるよなあ。」 そんなくだらないことをぼんやりと考える。隣のサラリーマンが、こっちを向く。少

    交差点的 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • くやしい。もっとおもろなりたい。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ・高須の「放送室」(FM東京)より。 ダウンタウンの松さんが、鶴瓶さんのどこがすごいかという話をしていて、その時のエピソード。ある番組で、ダウンタウンが大先輩の鶴瓶さんをいじっていじっていじり倒した、つまり、松さん曰く、ダウンタウンのペースで「笑いのためにプロレス」をやったとのこと。大爆笑の収録が終わって(追記:「いろもん」という鶴瓶さんの番組にダウンタウンにゲストで出演したとき、収録中に、が正しいようです。腹這さん、コメントありがとうございました)、鶴瓶さんが言った一言。 「くやしい。もっとおもろなりたい。」 これが言えるって、すごいなあ。相当すごい。なかなか言える言葉じゃない。松さんも言ってましたが、これ、自分に余裕があるから言える言葉ですよね。余裕がないとそんな言葉は出ませんし、後輩への嫉妬を、素直に、しかもポジティブな方向で表現できる鶴瓶さんは、やっぱりすごいもんだなあ、

    くやしい。もっとおもろなりたい。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2009/02/22
    (^▽^)
  • この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そんなふうに思ったことが何度かあります。そんなに多くないけど。大学時代はジャズをやっていて、やっていくうちに、ああ、この分野、自分にはまったく才能がないな、と気づきました。そういうことに気づくには、けっこう練習を重ねて、それなりに個性的なバンドサウンドができてきて、聴く人が「君らのバンドは独特の音だね。いいよね。」なんてほめてくれるまでかかりましたけど。下手っぴのままでは、才能がないことさえわからないものです。不思議なもので。 でも、それは、この人にはぜったい勝たれへん、みたいなことではありませんでした。そんな気持ちにさせられたのは、仕事として広告の制作をしはじめてから。いちおう、これでもお金をもらって広告をつくらせてもらっていて、それなりの自信も自負もある、そんな感じの自分の中に、「ああ、この人にはぜったいに勝たれへんな」という気づきは、猛烈な痛みとなって入ってきます。 まあ、私なんかは

    この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「したたか」でいこうぜ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    僕のブログは、ふだんは主に広告実務のあれこれを書くことが多いです。役立つ知識だったり、僕自身の広告についての考え方だったり。そんな記事は、これから広告業界で働こうと思っている人とか、広告業界で働く若い人が、ためになるなあ、なんて感じで読んでくれていることも多いかと思います。また、同じくらいのキャリアの人とか、もっとベテランの方なんかは、おまえの考え方は違う、なんて読み方もされているかもしれません。どんな読み方にせよ、いつも読んでくれて、ほんとうにありがとうございます。 これから、広告業界はきっと今より規模がずっとずっと小さな業界になっていくと思います。少なくとも、ここしばらくは縮小傾向が続くはずです。僕が所属する会社だって、いつまであるかわかりません。大手も、当面、会社消滅はないにしても、人員削減は避けられないでしょう。もしかすると、今年の中頃あたりに大型合併があるかもしれません。みんな、

    「したたか」でいこうぜ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 酒井若菜の考え方 | ある広告人の告白

    昔、百貨店広告が元気だった時代。伊勢丹の広告コピーに「ハッピーエンド、始まる。」というのがあって、当時すごく憧れた覚えがあります。眞木準さんのコピーです。ハッピーエンド。始まる。その互いに矛盾するふたつの言葉を組み合わせることでできた一行のフレーズ。そのフレーズが生み出す鮮烈で新しい世界。そうした言葉の作用が、当時の私にとって刺激的でした。 酒井若菜さんがブログを一旦終了するそうです。私は、ときどき読んでいたくらいで、それほど熱心な読者ではありませんでしたが、真摯さを感じさせる文章が印象的で、こういう職業の人が日々どんなことを考え生きているのかがよくわかるブログで、なんとなく芸能人ブログというより、職業人ブログを読んだ時の読後感がありました。芸能人ブログっぽい交友録的な要素もたくさんありましたが。 少し長いけれど、すごく考えさせられる文章なので引用します。 それから、表現者として生きていく

    酒井若菜の考え方 | ある広告人の告白
    ggg123
    ggg123 2008/12/26
    難しいですね。ブログって。
  • 手始めに「広告・コミュニケーション」関連エントリの目次をつくってみます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ココログは、過去ログが辿りにくくて、自分で書いたエントリでさえどこにあるのか分からなくなることが多いです。でもまあ、書いた人に関しては、それこそ自分で書いたわけだから、なんとなく書いた単語とかは覚えているので、いちばん下にある検索窓でなんとかなるのですが、そもそも読む人にとってのブログの検索窓って、「このブログ主、なんかしょこたん、しょこたん言ってるような気がするから、一度どんだけしょこたんのこと書いているのか調べたろ」みたいなことのためにあるものですよね。 要するに、一度読んで気になったけど忘れてしまった他人のブログの過去ログを探し出すことにあまり貢献していない気が私はするんですよね。で、私は考えました。そうだ、目次をつくればいいんだ。でも、これって当たり前のことだし、みんな思っていることですよね。というより、どうして多くのブログは目次を自動生成してくれないんでしょうね。目次を自動生成

    手始めに「広告・コミュニケーション」関連エントリの目次をつくってみます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/12/23
    お疲れ様です。(^^)
  • ♪仕事は自己実現のためにあるんやないんやで〜 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    お金を稼ぐためにあるんやで〜♪ 元ネタ、わかります?これです。ま、そんな「昭和の名曲」はさておき、自己実現についてぼんやり考えていることを、ぼちぼちと。やっぱり同じ仕事をするなら、自分が楽しくやれる方がいいし、その仕事が自己実現っぽい感覚でやれるにこしたことはないとは思うけど、仕事イコール自己実現ではないというのは、たぶん自明のことなんだろうと思います。 広告制作の仕事をしていると、そんな自己実現の欲求と仕事として求められるものの間で悶々とすることが多いです。制作スタッフを抱えるCD稼業はとくに。こんなふわふわした職種(実際はそうでもないですけどね)に入ってくるくらいだから、それなりに仕事であるべき自分をみつける、みたいな夢を持って入って来ているんだろうし、広告制作というのは、人が持っている自己実現のための欲求をビジネスに転用することで成り立っている商売だろうとも思うので、こんな身も蓋もな

    ♪仕事は自己実現のためにあるんやないんやで〜 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/11/29
    ひさびさ愚痴ってしまいましたを見た。^^
  • プリミティブな広告 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    つくりたいのはそういう広告なのかもしれない、と最近思う。広告のためにコピーを考えたい。デザインを考えたい。映像を考えたい。音楽を考えたい。 プリミティブ(Primitive)には、原始の、根源の、という意味から派生して、古くさい、粗野なという意味がある。なんとなく思うのは、そういう古くさく粗野なものも引き受けた上で、プリミティブでありたいということ。 コピーのために広告があるのではなく、デザインのために広告があるのではなく、映像のために、音楽のために広告があるのではない。広告をつくるという目的がある限り、コピーも、デザインも、映像も、音楽も、広告のためになければならない。もちろん、広告をつくるという行為においての話だけど。 これは簡単なようで難しいことで、僕らはいま、豊穣なコピー、デザイン、映像、音楽の積み重ねの先端に生きていて、その文化の束縛からはなかなか逃れることはできない。けれども、

    プリミティブな広告 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/11/07
    なんかカッコヨス(^^)
  • しあわせの裏側 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    忘れないうちに書き留めておこうと思いました。前回のエントリ「しあわせって何だっけ」について、はてなブックマーク(参照)にコメントが書かれていて、明石家さんまさんが歌う「しあわせって何だっけ、何だっけ、ポン酢しょうゆのあるうちさ」というコマソンで一世風靡したキッコーマンのポン酢しょうゆのCM(参照)は、演出の「関口菊日出さんの杉山登志の遺書へのアンサーCMでもある」であると知りました。 広告業界に詳しくない方にも読んでいただきたいので、ほんの少し説明をしておきます。 このCMをつくった関口菊日出 さんは、CM業界ではたいへん有名な方です。このキッコーマンの他にも、アフラックの「よーく考えよう。お金はだいじだよ〜。」(参照:このテイクについては演出しているかどうかは不明ですが)とか名作をたくさん世に送り出しています。残念ながら、2006年にお亡くなりになられました。 また、杉山登志さんは、19

    しあわせの裏側 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/10/03
    うーん。野心の達成とかと、シアワセは違うと思うけど・・しあわせは感じるものですからねぇ。不幸は背負うものなんですよねぇ。だから不幸のほうが人にアクションを起こさせる力が強いんですよね。
  • お疲れ様です。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    なんていうか、今、とある仕事でいろいろあってちょっとトラブル中。脳内の危機感センサが発動中。パトライトがビュンビュン回ってます。いろんな人間関係があって、それぞれの思いがあって、それがすれ違ったり、ちいさな隙間が積み重なって、とんでもない大きさになって、ようやく気付いて、それをとりあえずパテで埋め埋めしているところ。 でも、今までだったら、めげちゃうところが、けっこう楽しんでいる自分がいるんだなあ。不思議。なんか、こういうとき、理由がどうであろうと責任はまずクリがとる。全国のクリのみなさん、そう思うでしょ。でも、いままでの経験から、とりあえずその流れがわかってるから、今は、自分がやるべきことがわかるんですね。そのぶん、なんか危機を楽しんでいる余裕があるんだな。 まあ、駄目なときは駄目だし、それはあがいてもしゃあないと思える分だけ、それを避けるすべを知っているし、なんか能でさくさく動けるん

    お疲れ様です。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/08/28
    ☆☆☆
  • 私、あの娘好きやねん。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    久しぶりの医療カテゴリーです。いろいろ考えているけれど、私の場合、基礎知識がなさすぎるので、なかなか書けず。なので、近況など。 母が入院して、かれこれ3ヶ月以上経って、その間に転院とかもあり(なぜ転院したかは、ここをご参照ください)、いろいろ大変でしたが、ここのところすごく回復してきています。いままでは、言葉を話せなくなっていたのですが、今は普通に話せるようになってきました。 看護師さんと気が合うらしいです。ほんと、なにわ娘という感じの明るくおしゃべりな女性の看護師さん。ときどき一緒に散歩に行くらしい。 「私、あの娘好きやねん。」 お見舞いに行くと、母がそんなことをうれしそうに言っていました。医療って、こういうことでもあるんだなあ、と思いました。現場って大事だなあ、結局は人なんだな、そんなふうに思いました。こういう現場で働く人たちがきちんと仕事ができる医療であってほしいと思います。 我々患

    私、あの娘好きやねん。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/08/27
    が^^だよん。
  • 筋とか仁義とか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    仁義なき戦いじゃないけれど、すべては、筋とか仁義とかなんじゃないか。そんなことを考えた。合っているか間違っているかはわからないけれど。 気になったので、吉隆明さんのかつての論争を読み直してみると、みごとに吉さん、筋が通らないことを怒っている。大切な人に対して仁義を通そうと、必死になっている。それを下品だという人もいるみたいだけど。福田和也さんが、左翼のあの下品さが嫌なんだと言っていた。左翼、右翼というのはわからないけど、あの吉さんの下品さからは、そんな筋とか仁義を守ろうとする凄みは感じる。 確かに罵倒はあるけど、そこには嘲笑はない。私は、吉さんのそんな風情を、まるで高倉健さんのようだ、なんてことは言わない。そんなに美しいものでもないし。だけど、なぜあそこまで反論し、論駁しようとするのかは、なんとなく分かる気がする。 吉さんの概念では、対幻想がいまいち分からなかった。国家を代表とす

    筋とか仁義とか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 現代思想「吉本隆明 肯定の思想」がすごく面白いです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    冒頭の67ページにわたるロング・インタビュー(聞き手:高橋順一)だけでも読む価値があると思います。私は吉フォロアですので、たいがいの新刊は買って読むのですが、基的には同じことの繰り返しだったりします。それが悪いかと言えば、吉さんの場合そうではなくて、この人は大切なことは何度でも言うタイプなので、それはそれで面白いのですが、今回のインタビューは違います。 なんか、生々しいんですよね。全学連の同伴者知識人として「一兵卒」として安保闘争に関わっていた頃のこと、丸山眞男、花田清輝、埴谷雄高といった進歩主義的知識人のこと、なぜ吉さんが「転向論」を書いたのか、そんなこんなが、今だから言いますが的な言葉で語られていきます。 有名な論争に、80年代の吉・埴谷論争というものがあります。吉さんが、川久保玲さんのファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」のモデルになって、ファッション雑誌に登場し

    現代思想「吉本隆明 肯定の思想」がすごく面白いです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ggg123
    ggg123 2008/08/21
    買うです。