わたしを産んだのは幸せを望んで産んだのではなく、自分たちの老後のためだったし、その後に生まれた知的障がい者の弟の介護要員だったのだ まだその時は来ていない。いつくるかと大学生の頃から絶望していて鬱でまともな生活習慣が身につかず講義にも最低限しか出られなかった。社会人を数年やった今でも「大学卒業したのに、大学が卒業できないってまた講義を受けている」なんて意味不明な夢をよく見る 自分の人生、自分の幸せなんてものは存在しないと思って生きてきた。でもその事実から逃げたくて実家から遠いところで住むようにした。 最近、父の日、母の日に贈り物をする余裕がなくて、そしたら「わたしたちが動けなくなったら、わたしたちを支えたり弟を施設に送ったりするのは、だれがやるの?お金もどうするの?実家に戻ってくるでしょ?あなた結婚してないんだから」って。わたしはそのうち家に軟禁されて家族の送迎だけする1日を過ごすようにな