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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (38)

  • 共和主義・共同体主義の経済学・試論 - shinichiroinaba's blog

    コミュニタリアンに肩入れする理由などないのですが、「俺がコミュニタリアンだったらこう論じる」って感じかな。 以上のように考えるならば、我々は、共同体主義、ないしは共和主義の経済理論、政治経済学、というものの可能性についても考えることができよう。 共同体主義、共和主義の独自の立場からの一貫した経済政策論、経済体制構想はあまり見受けられない。比較的多岐にわたる論点を取り上げたマイケル・ウォルツァーの『正義の領分』などを見ても、リベラル左派の福祉国家論、社会民主主義的混合経済体制論と有意に異なる議論が提示されているわけではない。 共和主義者、あるいは共同体主義者においては、「政治」のパラダイムは周知のとおり西洋古典古代、ギリシアのポリスや共和政ローマに求められるわけであるが、「経済」のパラダイムが不分明である。古典期の共和政、デモクラシーの経験が、一見したところとは違って近代以降の議会制、政党制

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    gruza03 2011/05/05
  • 「公共政策論」メモ(続) - shinichiroinaba's blog

    少なくともここでわれわれは、古代人や中世人においては、民主政的なそれには還元しきれない、政治的な正統性の観念があったことを確認しておかねばならない。そして民主的ではなくとも、正統な支配の下では自由人はその自由を奪われたことにはならない、と観念されていたらしいことがわかる。たとえば古典古代以来、西洋において正統性を欠いた支配に対して与えられた由緒正しい名としてわれわれは「僭主制」なる語を知っている。古代ギリシア以来、もっぱらその「実力(暴力、知略等々)」でもって支配者の地位に着いた者は「僭主」と呼ばれてきたが、「僭主」が批判されたのは、それが民意に基づかない独裁者だったからではない。その支配者としての地位がむき出しの「実力」にのみ支えられていて、民主的なそれであれあるいは王朝的なそれであれ、正統性を欠いていたからである。 あるいは、これもまた古代ギリシアにさかのぼれるものであるが、「東洋」と

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    gruza03 2010/11/18
  • リベラルな教育(続) - shinichiroinaba's blog

    今日いわゆる「リベラリズム教育学」が言われるときに多く持ち出されるのは学校その他現場レベルでの教育方法の話ではなく、プロパーでいえば教育行政学というか、教育政策論の政治哲学的なお話であり、大概の場合はまさに「ロールズ産業」といいますか、社会的基材としての教育サービスの公的供給、分配のお話が焦点で、それに絡めて、共同体主義・共和主義との対抗も意識しつつ、多文化主義がどうのこうのといったお話が付け加わる程度。つまりは大体のところ「人的投資の公共政策論」である。 こういう議論をすることに意味がないわけではもちろんない。とりわけナショナルレベルでもグローバルレベルでも、経済格差の主因としては今日では「資財、金融資産の分配よりもむしろ教育を中心とする人的資産の分配が重要ではないか」との議論が経済学方面からも聞かれるわけでもある。 この視角を受け入れるならば、議論はまさに人的資理論導入以降の労働

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  • 産業社会論 - shinichiroinaba's blog

    いわゆる「新自由主義」のインパクトが強烈過ぎたため、そしてこれと関連して、「現存する社会主義」の経済体制が崩壊したため、我々はかつての――19世紀どころか20世紀の過半までの保守主義が、必ずしも経済的自由主義、市場重視の立場と親和的ではなかったことを忘れてしまっている。何より我々は、「産業社会論Industrialism」というパラダイムのことをほとんど思い出せなくなっている。しかしながらそれは20世紀中葉、50年代からおおむね70年代まで、近代社会科学の正統、保守流ともいうべき立場として、社会学、政治学を中心に欧米の社会科学における支配的なパラダイムだったといってよい。20世紀中葉の保守的な社会科学者は、実証科学者としてはこのパラダイムにつくことが多かったといえよう。たとえばレイモン・アロン、ラルフ・ダーレンドルフといった名を想起しよう。あるいはまたセイモア・マーティン・リプセット、ラ

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    gruza03 2010/09/12
    テクノロジーの発展を起動する知識の探求の運動そのものが、突き詰めれば私的所有・市場経済の論理と齟齬をきたしてしまう。そのようなビジョンが産業社会論には伏在している。
  • 日本のポストモダン教育学の原点? - shinichiroinaba's blog

    森直人のエントリに補足。 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略以下のようなものである; 「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるい歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。 これに対して「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性も、「社会学」という方法の堅固さも疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。 しかし第一に、そもそも「教育

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  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    実際にはこの日しゃべったことは拙著『「公共性」論』の要約だったりするわけだが。 「公共性」論 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NTT出版発売日: 2008/03/01メディア: 単行購入: 8人 クリック: 175回この商品を含むブログ (70件) を見る *「ネオリベラリズム」とは何か? フーコーは『生政治』において「ネオリベラリズムとは(マルクス主義同様)多様で多義的な立場である」と強調している。おそらくこのことは、わかっている人には自明だったのであり、ただそれがネオリベラリズム・ブームの中で見失われてしまったからに他ならない。 ウォルター・リップマン・シンポジウムやモンペルラン・シンポジウム、そしてモンペルラン協会といった、実体的な人脈によってそれなりの同一性はそこに保たれているものの、思想的に見れば「ネオリベラリズム」とは異質な立場、異質な思想の寄り合い所帯である。 最低で

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  • 内閣府参与の - shinichiroinaba's blog

    宮崎徹っていったい何者よ? シンクタンク上がりのようだけど、アカデミックな経済学界、論壇では全く無名……。著書は1冊、それも大して話題になってない……。 『社会運動』誌にちょこちょこ書いてたようだけど、専門はボランタリー経済とかでマクロに造詣が深いようには見えない。最新論文は『社会運動』2009年7月号の「世界金融危機」だが、明学の図書館に入ってないのよね。菅直人の推挙なんだろうけど、あんまり期待できないなあ。 とりあえず金子洋一が当選したんでよしとするか。

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    gruza03 2009/10/29
  • 東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」 - shinichiroinaba's blog

    第2回目というか実質的に初回。(ちなみに昨日の戸塚の「社会学」は台風で休講。) ある時期までプリントを配るということをしていたのだが、何だか紙ごみを大量生産しているだけという気がしてきて、ここしばらくはもっぱらしゃべりと板書のみ。事前に用意したメモも自分用にのみ用いて、折を見てネットにアップする、という風にしている。今年度は自作教科書も用意したし。 今日は感想を書かせたら「パワポもプリントもない講義は新鮮」との声が。うーーんとね、パワポ使わないのはめんどくさいから(だけ)じゃないよ。 http://d.hatena.ne.jp/optical_frog/20080129/1201557684 ということで配らなかったメモを少しだけ公開しよう。受講者でここを見てる人はお友達に教えてあげてもいいし、あげなくてもいい。ぼくからアナウンスするかどうかは知らない。 *マルクス主義の不健全さ 参考:拙

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    gruza03 2009/10/10
  • 「リバタリアニズム」概念について - shinichiroinaba's blog

    リベラリズム理論の文脈においては、前章で見たようなひ弱な/他律的リベラリズム、あるいはその法的・政策的側面を重視する保守的自由主義の場合には、安定性の方が重視されます。人間を取り巻く環境は多層的であるわけですが、保守的自由主義者は人を取り巻く人工環境、そして社会的制度・慣行に対しても、どちらかと言えば安定的であること、固定していること――「伝統」が確立していること――を求めます。それに対して、政治的側面を重視する逞しき/自律的リベラリズムの場合には、社会的制度・慣行のレベルでは安定性よりも可塑性を重視します。社会的な制度、慣行、ヒューム流に言えば「コンヴェンション」は、短期的には、また個人にとって、つまりミクロ的には安定して不変でなければならないが、長期的、多くの人々を含む社会のレベルでは、つまりマクロ的には可変的でなければならない、と考えます。ちなみにいわゆるリバタリアニズムの特徴は、伝

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  • はだか祭りあとの祭り - shinichiroinaba's blog

    とゆうことでレジュメを晒します。 ================================ 松尾匡『はだかの王様の経済学』コメント               2009.7.11 稲葉振一郎 評者の松尾へのいまだ満たされざる期待――旧著『近代の復権』以来の――はむしろ以下の二点にかかわっている。 1.「疎外」(ならびに「物象化」)を「不完全情報」という視角から分析するとどうなるのか? マルクス的ミクロ経済学についてはおおむね二つのレベルが考えられる。ひとつは情報の完全性を前提とした非貨幣経済のモデルを用いたものであり、これはたとえばジョン・ローマーの80年代ころまでの仕事で代表される。そこでは搾取は問題とされる(が、ともすればリダンダントな概念とされる)のに対して、疎外は普通は問題とされない。(たとえばローマーは「労働疎外」を雇用労働における支配関係と解釈したうえで、疎外と搾取の相

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  • 稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)見本出来・プラス・ミス修正 - shinichiroinaba's blog

    いや、実はあんまり疑ってないんですが。 社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 一部関係者には来週頭にお届けします。 6月30日発売予定(早売りが28日頃から)。 ・修正 116頁図7-2ならびに118頁「近代と現代の転換期」6行目 ×「長い20(二〇)世紀」 → ○「長い19(一九)世紀」 5年に1回くらいは改訂して細く長く売りたい。

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    gruza03 2009/06/21
  • 稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)あとがきに書き忘れた・書けなかったこと(承前) - shinichiroinaba's blog

    社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 売るため、読んでもらうための戦略について。 こちらも器用ではないため書けるもの、書きたいものを書くしかないのだが、それでもそれなりに売り込みの工夫は考えないでもなかった。 まず版元とレーベルについて。 なぜNHKブックスか。 伝のあるちくま、中公の両新書には、既に社会学入門書が存在しているので企画が通りにくい。ちくまの内田隆三のものははっきり言ってひとりよがりのダメな(「東大で俺様が社会学を学ぶ」とはよくいったもの)である一方、中公の富永健一のものはオーソドックスな良書であるが、どちらにせよかぶってしまう。内田であれば正直勝てる自信

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    gruza03
    gruza03 2009/06/13
    稲葉先生・・・玄田先生関連に定額給付金×2買ったばかり、NHKブックスは田舎でも置くので今年中にもう1冊。
  • フーコーと三つのリベラリズム? - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090519/p2を承けて。 『生政治の誕生』でフーコーは、新自由主義を単なるスミス的な古典的自由主義の回帰ではない、と明言している。 アダム・スミス、マルクス、ソルジェニーツィン。自由放任、商業とスペクタクルの社会、強制収容所とグラーグの世界。おおざっぱに言って以上が、新自由主義の問題を扱う際に通常用いられる分析と批判の三つの母型です。(中略)私がみなさんに示したいと思うこと、それは、新自由主義はやはりそれとは別の何かであるということです。(162頁) 今日ではすっかり忘れられつつあるフライブルク学派の経済学・経済法学、旧西ドイツのオルドリベラリスムス、「社会的市場経済」を標榜する経済政策思想と、今日なお「新自由主義」の典型とみなされるシカゴ学派の経済学とをともに「新自由主義」とフーコーが呼ぶ理由は、単にその

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  • 振一郎『社会学入門』(NHKブックス) - shinichiroinaba's blog

    社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス) 作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/06/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 18人 クリック: 224回この商品を含むブログ (121件) を見る 6月30日発売予定(早売りが28日頃から)。 表紙は草間彌生先生のインスタレーション「ハーイコンニチワ!」より。

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    gruza03 2009/06/06
    稲葉振一郎『社会学入門』(NHKブックス)
  • 中公新書2000点記念から - shinichiroinaba's blog

    戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書) 作者: 猪木武徳出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/05/01メディア: 新書購入: 14人 クリック: 159回この商品を含むブログ (81件) を見る大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書) 作者: 天野郁夫出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/05/01メディア: 新書購入: 3人 クリック: 29回この商品を含むブログ (28件) を見る こういうのがひょいっと出てくるあたりで現時点での教養新書トップはやはり中公であるというしかない。現代哲学の名著―20世紀の20冊 (中公新書) 作者: 熊野純彦出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/05/01メディア: 新書購入: 2人 クリック: 9回この商品を含むブログ (23件) を見る 東大倫理学教室的偏り――すいません偏見で言ってます。で

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    gruza03 2009/05/28
  • あー。 - shinichiroinaba's blog

    中野剛志『国力論』半分くらい読んでげんなり。合評会に行く気はほぼ消滅した。 *リストを論じて何で『農地制度論』に触れないの? せっかく小林昇訳の日語版が利用できるのに。こちらでは植民・移民の問題も議論されてるのに。 ちなみにリストは日では愛されてよく読まれてますよ。小林昇をはじめとして日のリスト研究は世界水準というのが常識では? 何でそれを無視するの? *私見ではヘーゲルはスミスもリカードもよく理解できていない。彼の経済論の下敷きはむしろジェイムズ・ステュアート。 *ポーコック以降のいわゆる「シヴィック・ヒューマニスト・パラダイム」論者も別にアダム・スミスがリベラリストであることを否定してはいないと思うけど。「シヴィル・リベラル・パラダイム」なんて対語もあったと思うけど。ホント&イグナティエフ編『富と徳』とか。 *何で英語圏でも広く読まれている村上泰亮について論じないの? そもそも著

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    gruza03 2009/05/08
  • 某東京大学大学院生の意見 - shinichiroinaba's blog

    優秀な学生の確保のためというかなんというか、博士課程院生の授業料の実質免除という戦略に東大を含めたいくつかの大学が踏み切っているわけですが、今年度より私どもの職場に着任した某若手のおっしゃるところでは、この政策意外と院生たちのあいだには不評だそうで。 「そんなことしたら、今でもろくに指導してもらってないのに、ますます教官たちがまともに指導してくれなくなる!」だとか。 どうなんでしょうねえ。なんだか非常にうなずける半面、そもそも国立大学の教官には昔から学生を「対価の分のサービスをしてあげなければいけないお客様」と考えるハビトゥスなんか、なかったような気もするんですが……。 関係ないですがうちの職場も新人が3人入って今年度から大いに若返りまして。みんな私などとは違って正統派かつ実力派で、「開発社会学」担当の石原俊氏は大作の博士論文を公刊済みで、某書評紙の論壇時評とかしてるし、「教育社会学」担当

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  • 気になったところを抜書き - shinichiroinaba's blog

    以前のメモ http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081127/p1 との関連で。 軍事学入門 (ちくま文庫) 作者: 別宮暖朗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/06/01メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 85回この商品を含むブログ (12件) を見る 民間人一万人であっても、ボルトアクション式小銃で装備された一個中隊二五〇人の若者に対抗することができないのです。 その前の時代、『戦争論』の著者であるクラウゼビッツは『人民戦争』、すなわちスポーツライフルで装備した個人が、二階の窓から下を行進する敵軍兵士を狙撃することを推奨しました。これは二〇世紀の榴弾砲の時代には通用しないのです。(中略) 民間人が自宅に保有できる程度の武器で戦うことは、正規軍が「そこまでしないだろう」という甘えに乗っているだけなのです。(69頁) 一九世紀に

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    gruza03 2009/04/08
  • 帰国と2009年度の予定 - shinichiroinaba's blog

    31日夕方成田着の飛行機で帰国します。翌4月1日から会議ですよまったく。あとは例年通り普通に授業をします。前期春学期は少し軽め、後期は忙しめです。 4月より山形浩生、宇野常寛両氏と交替で、毎日新聞(ここは笑うところじゃないよ)にてWeb論壇時評のようなものをやります。3カ月に1回ってペースかな。 夏にはNHK出版より『理論社会学入門講義(仮)』を刊行します。秋の明学1年生向け講義「社会学B」で使います。全国の社会学教師の皆様も、ぜひお手に取ってご検討ください。 ところでみんなで作る教科書の方はどうなったのだろうか。締切ブッチで入稿したのは渡米前のことなんだが、あれから何の音沙汰もないよ。 秋学期(東大の言い方では「冬学期」?)には郷の東京大学教育学部に非常勤講師として出講します。教育学コース(旧「教育史・教育哲学」に当たる)「教育学特殊講義」で題目は「統治と生の技法」です。主にミシェル・

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    gruza03 2009/03/31
  • 「労使関係論」とは何だったのか(12) - shinichiroinaba's blog

    時論的な文脈に引き付けて言うならば、おおむね80年代一杯までは氏原―小池的な日労働市場・雇用慣行理解は広く共有され、政治的な意味での左右のスタンスを問わず事実認識として受容されていた。「福祉国家」に引き続く東京大学社会科学研究所(当時は山潔も勤務していた)の共同研究「現代日社会」は、小池和男をもまたメンバーの一人として迎えて行われたが、そこでの基軸概念は「会社主義」「企業社会」であったと言ってよい。この言葉・概念自体はさほどオリジナルなものではなく、松厚治『企業主義の興隆』や熊沢誠の「日的「労働社会」としての企業社会」といった先行議論によってインスパイアされたものであるが、このプロジェクトの実質的な主導者であった馬場宏二と渡辺治によって、その経済学的な基盤を小池理論に基づけることを通じて、現代日社会を理解するためのキーコンセプトとして前面に押し出された。政治的にいえば馬場と渡辺

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    gruza03 2009/03/30