西国へ進出する際に要衝となる石山本願寺で足止めを喰らい、緊迫感が増しているはずですが、『信長公記』ではなぜかこのタイミングで「安土城」周辺の長閑(のどか)な話題が入ります。 信長公記がリアルタイムで書かれたものではなく、太田牛一が後年に記したからでしょうか。 時系列としては、確かに安土城建設中の時期ですので、途中経過として触れたかったのかもしれません。 一体どんな内容だったのか? 見て参りましょう。 湖底遺跡のある竹生島そもそも安土城は、標高199mある安土山の上に建てられておりました。 現代でも琵琶湖からほど近く、周辺地域を見下ろすような位置。 『信長公記』では、当時の安土城から見えた光景について記されています。 まず、西から北に向かって琵琶湖を一望でき、漁村などに船が出入りする様子が見えていたとか。 琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)・竹島・島山なども一望できたといいます。 竹生島は、