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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/mailtotaro (5)

  • 朝まで生テレビの尖閣諸島の問題を見て感じたこと - ビールを飲みながら考えてみた…

    「朝生」を見ていたんだけれど、尖閣諸島の中国漁船衝突事件についての報道というのは一体何が正しいんだろうか。中国から帰ってきた宋文洲が「中国土では大したニュースになっていない」という話をしており、それは9月22日の財部誠一の記事「尖閣沖事件中国国内は静かな反応」とも重なるところ。 尖閣沖事件中国国内は静かな反応 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 この記事によると、「2005年の反日デモの当時と比べものになりません。一般庶民レベルでは反日運動など何も起こっていない。静かなものです」とのこと。 確かに情報統制が行われている国家、しかもレアアースの輸出禁止を即座に実行できるような国家統制がなされている国家で、国民の意思で反日デモが自由にできるとも思えない。 それに対して、日のマスコミの報道では中国国内でも「大きな問題」になっているとの扱いばかりだ。 2ちゃん

    朝まで生テレビの尖閣諸島の問題を見て感じたこと - ビールを飲みながら考えてみた…
  • 日本のブルー・オーシャン戦略 10年続く優位性を築く / 安部義彦、池上重輔 - ビールを飲みながら考えてみた…

    W・チャン・キムさんの「ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する」が売り切りていたので、ちょっと迷ったけれど購入。アマゾンのレビュー欄を見ると、オリジナルよりもわかりやすい、実践的といったコメントがあったのだけど、うん、まさにその通り。逆に実践的過ぎ・わかりやすすぎるくらい。やはりオリジナルもあわせて読むほうがいいのだろう。 とりあえず内容のまとめ。感想というか、反省というかそれは別途まとめます。 日のブルー・オーシャン戦略 10年続く優位性を築く/安部義彦、池上重輔 ブルーオーシャン戦略は「競合と既存の市場を奪い合う」通常の競争戦略(レッド・オーシャン戦略)とは異なり、組織的に新しい需要を喚起する戦略である。ブルー・オーシャンとは未だ存在していない市場のことであり、そうした未知の市場空間を創造することで、利益の伸びは大きくなり、成長の速度も速くなる。これまでも「結果的に」ブルー

  • 「東京から考える」再考|「思想地図vol3」東浩紀、北田暁大、原武史の鼎談より - ビールを飲みながら考えてみた…

    「思考地図 vol.3」の中で、東浩紀、北田暁大、原武史の鼎談「『東京から考える』再考」が掲載されていた。「東京から考える」は東浩紀、北田暁大の2人が、「東京」という存在の都市論を語った2007年の著作。70年代~80年代にかけて登場した広告都市・渋谷や広告郊外・青葉台、そして90年代に台頭してきた、大型ショッピングセンターやファミレスなどロードサイドショップが軒をつらねどこであろうと快適な均質空間が続く国道16号的郊外・ジャスコ的郊外について論じている。 特に下北沢のような個性ある街を巡って二人の考えの違いが明確で、東浩紀が「アーキテクチャ的な環境管理(ex.ジャスコ的郊外)は否定してもしかたがないと考え、アーキテクチャ的な自己生成的なあり方を認め、そのことで人間的な街(ex.下北沢)が消えていくとしても必然性がある」と考え、北田暁大は「もう少し人間的にアーキテクチュアに介入する可能性が

  • マイケル・ジャクソンの消滅とインターネット時代のスター - ビールを飲みながら考えてみた…

    僕にとっては「忌野清志郎」の死の方が何倍もショックが大きいのだけれど、社会的にはその何十倍も「マイケル・ジャクソン」の死の方がインパクトは大きいのだろう。気が付くとうちにもCDがあったりするわけで、そういう意味でも、マイケルジャクソンは世紀の大スターだったのだろう。そんな中で「ネット時代に「次のマイケル・ジャクソン」は生まれるか」というITmediaの記事は、ネット時代の特徴をつかんでいると思う。 ネット時代に「次のマイケル・ジャクソン」は生まれるか - ITmedia News その理由は記事文中でも書かれている通り、これまでのような形ではマイケルのようなスターは生まれないだろうというもの。僕なりの言葉でまとめ直しておくと、 1)メディアの拡散と「興味」の分断 2)フラット化した社会と退屈な日常 自分が何かに興味あるという時、一般にその人が何かへの「興味」を見つけ出したと考えるが、実際

    マイケル・ジャクソンの消滅とインターネット時代のスター - ビールを飲みながら考えてみた…
  • 組織再編・組織デザインは何のために行われるのか - ビールを飲みながら考えてみた…

    会社という組織、会社の中の部署という組織は何のためにあるのだろうか。教科書的にこたえるならば、私的利潤なり、社会的役割なりといった「ミッション」を効率的に実現するために存在すると言っていいだろう。しかし現実にそうした組織体制を創るというのは必ずしもこうした原則論が通るわけではない。 それでもそもそもの原則論に立ち返り、あくまでもミッションを達成するために組織体制というものが存在するとするならば、こうした「組織」のデザインはどのように行うべきなのだろうか。 これは難しい話ではない。例えそれが「財務的目標」であろうが「理念」であろうが、達成すべき目標やミッションが具体的に想像しえるのであるなら、その「ミッション」の達成をもとに、どのような役割や機能が必要かを洗い出し、それを効率的につなげるための機能ブロックを1つ1つの組織体(部や課、チーム)と考えればいい。そうすることで「全体」としてのミッシ

    組織再編・組織デザインは何のために行われるのか - ビールを飲みながら考えてみた…
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