ヴァイオリニストの巨匠 ジェラール・プーレがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に 渾身のボーイング&フィンガリングをつけました。 コロナ禍の中、秋から年末にかけて、巨匠ジェラール・プーレが、ヴァイオリン協奏曲の中で最も人気のあるメンデルスゾーンのボーイングとフィンガリング... 春は、卒業式、入学式の季節だが、この季節になると、君が代がよく歌われる。娘(孫ではない)の小学校の卒業式で君が代を斉唱したが、何十年ぶりだろうか。 胸が熱くなった。娘が健やかに育ってくれたことに感謝するとともに、自分が日本人であることを強く意識した瞬間だった。...
ムーミン、北欧ミステリー、北欧映画祭-最近はたいへんな北欧ブームである。フィンランドで撮影された映画『かもめ食堂』は「行ってみたいロケ地」第1位らしいし、一昨年の村上春樹のベストセラー小説も、後半の舞台はフィンランドだった。日本人は、なぜこんなに北欧が好きなのだろう。その答えの一端が、ここにあるかもしれない。 本書は、今年生誕150年を迎えたフィンランドの作曲家シベリウスとニルセンを中心に、北欧音楽への愛情だけで全頁を埋め尽くした、素晴らしいガイドブックである。書名の「ポホヨラ」とは「北方」の意味。著者は日本シベリウス協会会長で、フィンランドでも活躍している指揮者だ。 私は以前から、シベリウスの交響曲第一番の冒頭に付いている、寂しげなクラリネット独奏を不思議に感じていた。あれに何の意味があるのだろうか、なぜ作曲家は、あの後の、森と湖を思わせる美しい弦のトレモロ(反復音)から始めなかったのだ
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「”音楽に境界はない”」 イタリアのナポリ出身の指揮者リッカルド・ムーティ(1941年生まれ)を生で聴いたのは、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督として来日した1980年代の初め頃だったと思う。若々しい姿と指揮ぶりが今でも印象に残っているが、いまや70歳を超えて「巨匠」と呼ばれるようになった。彼は現在シカゴ交響楽団の音楽監督として活躍しているが、本書(『リッカルド・ムーティ自伝』田口道子訳、音楽之友社、2013年)は、シカゴでの仕事が始まる前に出版された原書(2010年)の翻訳である。 この世代の多くの指揮者と同じように、ムーティもカンテッリ・コンクールに優勝してから指揮者としての活躍の場を広げていくことになるが、初めはピアノの勉強をしており、指揮者になったのは偶然の要素も大きく働いている。 指揮者としてはまだ駆け出しの頃、すでに大ピアニストであったスヴャトス
松原千振『ジャン・シベリウス──交響曲でたどる生涯』(アルテス・パブリッシング、2013年) 1890年、シベリウスが25歳のとき、留学先のウィーンでひもといたフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』。フィンランドの風土を特徴付ける森と湖を舞台に繰り広げられたドラマを通して語りかけてくる、ある種、超自然的な何か。そこからシベリウスは強烈なインスピレーションを受けた。鬱屈した異国の地だからこそ敏感に感じ取った郷土の情景。『カレワラ』はもともと口承のものであったが、19世紀にリョンロートによって記録された。文字化されたものをシベリウスは読んだわけだが、1891年にはラリン・パラスケによる朗誦を聴きに行き、音としての『カレワラ』をも知った。 シベリウスが『カレワラ』を指して「モダン(前衛)である」「叙事詩カレワラは音楽そのものだ。主題があり、変奏がある」と考えたというのが興味深い(本書、21ページ)
トップ > Chunichi Bookweb > 自著を語る > 記事一覧 > 記事 【自著を語る】 『作曲は鳥のごとく』 吉松隆さん(作曲家) Tweet mixiチェック 2013年4月16日 ◆感情全て音符に刻んだ 十四歳の冬、突然「作曲家になる」と思い立った。それも、クラシック音楽界でオーケストラ作品(交響曲)を書くような作曲家に。 それは、当時としては(いや、おそらく今でも)「タイムマシンで未来に行きたい」とか「世界征服をしたい」というレベルの呆(あき)れた夢だったような気がする。しかも、音楽大学には行かず「独学」で。さらに、調性のない「現代音楽」ではなく、メロディーもハーモニーもある正攻法の「音楽」で。 しかし、もともとお金にならない「純音楽」の世界。その中でも一番険しい崖をわざわざ選んでよじ登るような頑固さの報いで、いくら曲を作っても演奏すらされない深海魚のような日々が延々
18世紀のハイドンから20世紀のプーランクまで、西洋の著名な音楽家23人の創作の背景と人物像を丹念に追った写真集『音楽家の家――名曲が生まれた場所を訪ねて』が西村書店から刊行された。名曲を聴き直したくなるばかりか、旅心を喚起させる興味深い写真や評伝は、文学ファンやアンティーク、インテリア好きにも楽しめる。 ■イメージどおりの家、想像を裏切る部屋 たとえば、モーリス・ラヴェルが46歳のときに購入し、62歳で死去するまで暮らしたというパリ郊外モンフォール・ラモリーの「見晴らし台」と呼ばれる家。この家で有名な「ボレロ」や「ツィガーヌ」などが作曲されたが、エレガントな顔立ちや端正な作品から受けるラヴェルのイメージを、いい意味で裏切ると同時に納得させる。 高い名声にもかかわらず、ワーグナーの大邸宅とは違う小ぶりの木造2階建ての家で、改造・増築を繰り返し、室内装飾も自身で手がけたという。生涯独身で、国
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く