2012年9月に初代原子力規制委員会の委員長に就任し、原発再稼働に関する安全審査を司った田中俊一氏。昨年の退任後、氏は故郷の福島へと向かった。 5年にわたり様々なしがらみと闘ってきた老科学者は、雪残る被災地でいま何を思うのかーー。 山あいにひっそりと暮らす 東日本大震災、それに続く福島第一原子力発電所の事故から丸7年が過ぎようとしている。だが、「フクイチ」がある福島県の浜通り地方には、まだ事故の深い傷痕が残されたままだ。飯舘村もその例に漏れない。 大量の放射性物質が飛散した飯舘村は、昨年春に一部の地区を除いて、ようやく住民の帰還が許されるようになったばかり。しかし、もっとも汚染がひどく、いまも帰還困難区域に指定されている長泥地区に続く道路は、鉄製のゲートで閉ざされている。 この村にはいま、昨年9月まで原子力規制委員会の委員長を務めた田中俊一氏(73歳)がいる。本来の自宅がある茨城県市から車