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東浩紀に関するharapon1012のブックマーク (8)

  • アーキテクチャと思考の場所

    浅田彰+磯崎新+宇野常寛+濱野智史+宮台真司+東浩紀(司会)「アーキテクチャと思考の場所」建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。では人文的な知は、そのような権力の台頭にどう対峙すればよいのか。建築家の磯崎新、社会学者の宮台真司、経済学者の浅田彰を招き、新世代の論客が論戦を挑む。

    アーキテクチャと思考の場所
  • ゼロ年代の本当の想像力・1 「セカイ系」の「解体」 - らいたーずのーと

    ■宇野常寛は、雑誌『SFマガジン』における連載「ゼロ年代の想像力」において、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に端を発した「引きこもり」思想と、それを継承した「セカイ系」という物語ムーブメントを「90年代の古い想像力」であるとし、切り捨てる。そしてゼロ年代のいまを突き進む想像力を「決断主義」であるとし、さらに、来るべき10年代をリードするための新しい想像力を、以降の評論*1において展開すると宣言する。とりあえず、「ゼロ年代の想像力」の要約としては、やや簡単すぎるかもしれないが、こんなものでいいだろう。 ■そのうえで、まずは、この宇野の主張に対する違和感から表明していきたい。それは、「セカイ系」が「90年代的である」とする主張だ。表面的なところから疑問を呈するのであれば、そもそも「セカイ系」という言葉が使われ始めたのは2002年頃、立派なゼロ年代である。さらに「セカイ系」の代表作品とされている

  • 090128_Wed 東工大シンポジウムをポメる――〈切断〉と〈署名〉 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

    筑波批評社の面々が都内まで来て聴講しに来るということを聴きつけ、補講終了後、だらだらと大岡山に向かいました。 到着するまで、大学の教職で知り合った親切な教官から印刷代をお支払いして譲っていただいた、J.ジェインズの私家版訳を読んでいました。ISBNコードがついたもちゃんと出ているのですが、この同人誌の方が翻訳に気合が入っている(らしい)。 面白いです。神話・哲学・心理学・物語論・レトリック論が渾然一体となったような魅惑的な議論が序盤からひたすら続いている。しかもアイディアの核となる〈双脳精神〉という概念がとてもよい。私たちの祖先は、「意識」と呼んできたものを外にも置いていた頃があったかもしれない(そしてそれが「神々」と呼ばれていたのではないか)というようなことが仮説として論じられている。トンデモ一歩手前ですが、これって宮崎駿映画の主人公達にそのまま当てはまりそうです。彼・彼女らは、自我の

    090128_Wed 東工大シンポジウムをポメる――〈切断〉と〈署名〉 - GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)
  • 思想地図シンポジウムVol.3「アーキテクチャと思考の場所」@東工大 - logical cypher scape2

    まず、感想の一つ目としては、何でこんなに沢山の人が来てるのか、と。 磯崎新、浅田彰、宮台真司、東浩紀、宇野常寛、濱野智史というメンツゆえ、というところなんだろうが。 僕はかろうじて会場の方で座ることができたが、第二会場すらも座りきれないほどの満員だったらしく、まあすごいとしか言いようがない。 終了後、ゼロアカの人たちやtwitterはてなの人たち*1と合流して、オフ会みたいな感じになった。今までも、東浩紀のシンポジウムのあとに、そういうことするのはわりとあったのだけど、僕がいったことあるなかでは、最大の人数だった(僕が知っている、この界隈の人が大体集まっていた感じ)。 来場者全体の人数も多かったし、友達や知り合いの数も多かったなあという話。 それ意外にも、あまりにも人が多すぎて、来てたはずだけど会うことのできなかった人もいる。 まあ何故こんな話からしているかというと、僕にとっては、シン

    思想地図シンポジウムVol.3「アーキテクチャと思考の場所」@東工大 - logical cypher scape2
  • 「アーキテクチャと思考の場所」から考える - 誤解や述べ誤ったミサイル

    id:and-me-catくんと「アーキテクチャと思考の場所」というシンポジウムにいった。id:and-me-catくんは経済学部生だが、権力論の観点から東浩紀に興味をもっている。シンポジウム当日もかれといろいろとはなしたのだが、文献を読んだらまた話そうということになったのと、当日話したことのフォローのために、僕がシンポジウムに関連して考えたことを、だらっと書いてみよう。これはレポートではない。シンポジウム全体について大暫定として、ふつーにおもしろいシンポジウムだった(おもしろいか/おもしろくないかが、シンポジウムの内部で話題になっていたので、これははっきりさせておきたい)。各論者が自分のいいたいロジックを、固有名に仮託してのべるので、固有名が蓄積すると疲れる、という側面はあるにせよ。濱野智史のプレゼンテーションはプレゼン技術が高く、参考になった。かれは磯崎新のプロセスプランニング論を紹介

  • ヘタレ化するポストモダン <なぜ「ヘタレ化するポストモダンなのか?」 その1> - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「動物」になりきれない「ヘタレ」たち 「限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学」 宮台真司・北田暁大(2005)ISBN:490246506X(http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051027)の中の以下の分類は大変興味深いと思います。 第一層 「動物」  環境管理のテクノロジーによって与えられる動物的生に充足する人たち。 第二層 「エリート」  環境管理的なシステムそのものに懐疑の目を差し向ける人たち。 第三層 「ヘタレ」  意味を欠いた動物的生の反復に飽きたらずに「全体性」を希求する人たち。 「動物化」は、東浩紀「動物化するポストモダン」(2001)ISBN:4061495755、有名になりましたが、宮台は「サイファ 覚醒せよ!」(2000)ISBN:448086329X*1で動物化してまったり生きることの難しさに言及し、北田はこのような「ヘタレ」の動

    ヘタレ化するポストモダン <なぜ「ヘタレ化するポストモダンなのか?」 その1> - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎(「新潮」2010年1月号より転載)|新潮|新潮社

    ■連載小説 ・慈雨の音(六)/宮 輝 ・俺俺(六)/星野智幸 ・還れぬ家(十)/佐伯一麦 ・幸福の森(二十五)/加賀乙彦

    【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎(「新潮」2010年1月号より転載)|新潮|新潮社
  • 法、規範、市場、アーキテクチャ、そして「檻」 - アンカテ

    みなさんは酒鬼薔薇と長崎の事件の加害少年の名を知っていますか?もし、知らなかったら近くのネットに詳しい人に聞いてみてください。何も廃人クラスの人じゃなくても大丈夫です。ちょっと2ちゃんねるが好きな人で充分です。たぶん彼は暗記してます。検索したりしないで即答するでしょう。「見たことがある」と答える人は、おそらくその見た名前を覚えてしまっていると思います。 では、最近、福島で55才の中年が小学生の少女を誘拐して捕まりましたが(記事)、この事件の犯人を知っていますか?こちらは、事件のことは記憶していても犯人の名前は知らない人の方が多いと思います。 もし私が偉くなったら、こういう悪質な中年犯罪者の名前を隠蔽するようにマスコミに圧力をかけます。少年犯罪の方は情報を公開します。そうすれば、きっと結果が逆になります。少年犯罪者の名前は忘れられて、中年犯罪の方をみんな必死になって調べて暗記します。おそら

    法、規範、市場、アーキテクチャ、そして「檻」 - アンカテ
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