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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (2)

  • 『災害ユートピア』と『ショック・ドクトリン』 - 擬似環境の向こう側

    ささやかな「災害ユートピア」 今から10年ほど前の話だ。 当時、ぼくは5軒続きの2階建長屋に住んでいた。新築だったので住民は我が家と同様に若い夫婦が多かった。しかし、まだ子どもがいなかったぼくらに近所づきあいなるものは存在しなかった。 あるとき、夫婦でぼくの実家に一泊したことがあった。その帰り、最寄り駅から長屋に向かって歩いていると、妙なことに気づいた。我が家の窓明りがついているのだ。「あれ、電気消し忘れたっけ?」などと話ながらさらに長屋に近づいていくと、その窓のガラスが割れているのが目に入ってきた。 「空き巣だ」 もし、まだ家のなかにいたらどうしよう?とりあえず、そっと玄関のドアを開け、なかに置いてあった傘を手に取る。空き巣がまだいた時に応戦するためだ。勇気を出して、そのまま家に上がる。 あちらこちらを見たが、どうやら空き巣が潜んでいる様子はない。だが、家のなかは明らかに土足で踏み荒らさ

    『災害ユートピア』と『ショック・ドクトリン』 - 擬似環境の向こう側
  • ガッサン・ハージ『希望の分配メカニズム』 - 擬似環境の向こう側

    ガッサン・ハージ、塩原良和訳(2003=2008)『希望の分配メカニズム パラノイア・ナショナリズム批判』(お茶の水書房)というを読んでいる。基的にはオーストラリア社会についての分析なのだが、読んでいると今の日社会の状況との類似に驚く。以下で少し紹介してみたい。 ハージはオーストラリアが「戦時社会」化していると主張する。戦時社会では「わたしたちに味方するか、さもなくばおまえは敵だ」という二分法が蔓延する。「味方」になるためには、思考停止し、ただ命令を実行することが求められる。そのため、「実行することについて考えること」を生業とするような業種、つまり批判的知識人などは格好の攻撃の対象となる。以下、引用してみよう。 「こうした状況のなかで、実際に(社会のあり方について:引用者)反省したり批判したりしようとする人々は、『現実生活』とは無縁のおしゃべり屋だと、みなされるようになる。つまり、『

    ガッサン・ハージ『希望の分配メカニズム』 - 擬似環境の向こう側
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