住民投票、国民投票の歴史をさかのぼると、物議を醸した例も少なくない。 欧州で国民投票が大々的に実施された初期の例は、フランス革命時の1793年、95年、99年に憲法を制定した際だ。ただ、その後この制度は権力者に多用された。ナポレオンやナポレオン3世は、国民投票を根拠に帝位に就いた。 こうした例から、当時の国民投票を示すフランス語「プレビシット」には、「為政者が自分の地位や権力を守るために民意を利用する」といった否定的な意味がつきまとった。19世紀後半以降、国民投票をもっと肯定的にとらえるフランス語として「レフェランダム」(レファレンダム)が定着した。 もっとも、国民投票を都合よく利用する例は以後も絶えなかった。この制度を最も頻繁に利用した政治家の一人がドイツのヒトラーだ。1933年の国際連盟脱退、34年の自らの総統就任、38年のオーストリア併合にあたっては、いずれも追認のための国民投票を実
![プレビシットという落とし穴 -- 住民投票 -- 朝日新聞GLOBE](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bffb23b93d8350874f1e85101341fc8a0bedf822/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fglobe.asahi.com%2FS2101%2Fupload%2F2015060500011_1.jpg)