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ブックマーク / chanm.hatenablog.com (21)

  • 文化の地域格差は人の格差か? - 旧 はてブついでに覚書。

    インターネットのコミュニティ、特にここ1,2年はTwitterを見ていると、 東京に移住する人が多いように思う。 逆は、(転勤や結婚を除いては)あんま見ない。 インターネットは情報の地域格差を解消したか、といえば テキストや動画のコンテンツという意味では解消したと思う。 昔は田舎に回線も来てなくてそういう意味での格差はあったけれど、大体今はADSLまでは通ってるし。 ネット上に乗っけられないコンテンツ、たとえば単館上映の映画、ミュージシャンや楽団のコンサートツアー、キー局のニッチ寄りテレビプログラム、服だの雑貨だのだの、というものについては 解消されたとは言わないが、 ある程度の人口がないと集客なんぞ到底見込めないものを地方でやっても売ってもしょうがないので、ここはまあどうにかするところではない気もする。 買い物については通販も充実してきたしね。 インターネットが普及して、私たちはこれで

    文化の地域格差は人の格差か? - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2009/10/25
    「ネットの普及は人、特に若者の「上京したい」気持ちを拡散させたかというと、 私は助長せたと思う。 何のことはない、一番面白いコンテンツは「人」だからである。」
  • 手に入れていながら触れていない文章への執着とTwitterと私 - 旧 はてブついでに覚書。

    ちょっと空いたららblogの書き方を忘れてしまった。 やっぱり自分の関心をある程度の長さの文章で残しておくのは わりといいリズムだったかもしれない。思考の。 だらだら。 最近Twitterがまた流行りだしたという。 国内でミニブログブームが起きたのは2年くらい前だけど、 結局先駆者のTwitterがやっぱり一番なのね。 企業や政治家や芸能人、有名人のアカウントが少しずつ増えてきた模様。 相手がどこのだれだろうがどんな肩書だろうが何歳だろうが そんなのはお互いどうでもよくてフラットに気軽にドライにオープンに無責任に 楽しく使えるこのツール、 要はリアル社会で年上であったり権威があったりする人たちのほうが 日のリアルではあんまり出会わないような不躾に対する寛容さ、フランクさが要求される場なわけだけれど、 「一般人」との線引きで自分たちの価値をある程度保つ必要がある人たちが、 うわべだけのフレ

    手に入れていながら触れていない文章への執着とTwitterと私 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2009/10/15
    「日々触れられる文章の量にある程度諦めを持つというか、縁や運で片づけてしまうようになると、インターネットの情報過多も楽というか、適当にフィルタリングしてストレスなく過ごせる。」
  • 感情の一次元目 - 旧 はてブついでに覚書。

    私はを知らない。 小さい頃から無駄に柔軟性があった。 親が離婚して再婚して離婚して復縁しても気にせずに、 友達に一年間無視され続けていても気にせずに、 その他もろもろのコンフリクトなど、 最終的には全てと和解して消化してフラットにして一ミリのわだかまりも残さず平然と大人になった。 社会人になってから身に起こったいろいろは 小さい頃のタフな出来事に比べれば取り回すのがはるかに楽な事象ばかりで みんなが何をきっかけに、どう落ちていくのかさっぱり理解できなかった。 同じ環境に居ても自分が落ちるとは全く思えなかったからだ。 何かを気にしないことなど簡単だ。昔からそうやって生きていた。 なぜみんなそれが出来ない? 素で分からず、不審に思いながら生きていた。 でもの人たちにいろいろ会って、いろいろ学べた。 というか、学んでいる。 一番は、ただ受け入れるということを学んだ。 対等に寄り添うということ

    感情の一次元目 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2008/05/28
    「割と素直に、世の中に対して、一次元目の自分で接している人がそれが壊れたときにバックアップがなくて落ちていたりする感じがする。」
  • 時間の横幅を取ろうとすると縦方向への伸びが鈍りますね。 - 旧 はてブついでに覚書。

    Twitterのfolowを増やすと、ログががんがん流れていくわけだけど、 追おうと思えば過去のログを全部チェックすることは出来る。 自分が居ないときの自分の友達達の会話を見る感じ。 身が一つのリアルでは自分がその場にいなかったら 会話を再現してもらうことは不可能で、 基的に、人は一度に一つのコミュニケーションしかしないわけだけど、 ウェブでは時間を遡って、その時間、自分が居た場所と違う人達の時間の流れを追体験することができる。 Twitterに限らず、ブログでもなんでも。 なんてやってたら人生の時間が足りないわけですよ当然(笑)。 リアルの、一度に一つの場所にしか居られない、他を知ることは出来ない、 っていう特性は、人間の日々の選択を助けていたのだなあとしみじみ。 一つの時間に一つの事をやっていくから、時間が進んでいくのね。 一つの時間にこだわって沢山体験していたら、時間が止まってしま

    時間の横幅を取ろうとすると縦方向への伸びが鈍りますね。 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2008/05/28
    「神みたいな全知の視点を持ったら人生楽だろうと思ったけど、実際に全ての物が等距離で見えてしまったらきっと、一つも選ぶ事なんて出来ない」
  • なぜ普遍を求めるか。 - 旧 はてブついでに覚書。

    学生の頃は曜日感覚の麻痺した生活を送っていたので、 社会人が週末を指折り数えて待っているのを見て、 あんな人生は嫌だなあと思っていた。 まあ最速で「あんな人生」になりましたが。 平日が嫌なわけじゃなくて、 なんていうか、 「俺・・・土日になったら・・・するんだ・・・。」 みたいな区切りを休日に求めてしまうわね。 遠くを見ると滅入るから、 イベントなりタスクなりを設定して、 それまでは乗り切ろう、みたいな、 人生の小刻み運転。 あの電柱までは走ろう。あの交差点までは走ろう。 知り合いのの人で、 常に心配する(自分が治らなくていい)理由を探している人がいるんだけど、 それはそれで人生設計をしているように見える。 あの山を越えれば、海が見える。その陰で山を永遠に自己調達。 うまく見つけてきて、身も世もなく嘆いているのだけれど、 その周りの巻き込み方の段取りといい、 下手すると私より生きる力が強

    なぜ普遍を求めるか。 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2008/05/28
    「普遍は探さなくても、結局最後まで変わらなかった何かであって、大事なのはその都度の、ベタな選択に一回一回実存を賭けることなのかなと。」
  • ウェブで重なる時間達 - 旧 はてブついでに覚書。

    最近ウェブの流れがリアルのコミュニケーションと同じくらいに速くなって、 時間の感覚が変わってきた気がする。 ウェブとリアルの違いの一つは過去ログが残るかどうかで、 そのおかげでウェブのコミュニケーションは非同期で成り立つ。 私達は同じ時間に同じ場所にいなくていいし、 あなたの今が私の過去だったり、私の未来があなたの今だったりする。 それがすべて1人の人から見た場合、同時に存在している。 考えてみると、たとえばリアルでの私の身体は「過去ログ」にあたる。 今までの生活、生活習慣、姿勢の総和。 それを総動員してリアルに目の前に存在する「現在」に向かう私。 ダイエットやら化粧やらはなんというか、過去の隠蔽のような気分を伴う。 終わり(最新体型)良ければすべて良し、過去がなかったことに。 ならないかなあとか。そんな欲望。 ウェブ上でのコミュニケーションで実感できるのは、 「人は変わる」ということだ

    ウェブで重なる時間達 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2008/04/09
    「過去ログと現在が等距離にある世界。恥ずかしい過去と塗りつぶした現在が並立する世界。両方とも自分だとしか言えない、諦念するしかない世界。」
  • 幸せの表明方法 - 旧 はてブついでに覚書。

    「隣のうちの子供が事故で死んでしまった。うちの子は今日は生きてる、ありがとう!」 というような感謝の仕方を、 たとえ心で思っても人前で口に出すような人は相当アレだと思うけど、 そういう、「持たざる」人に比べて自分の「持てる」状態を感謝する、というやり方は 脳内では結構よくやりがち。 ご飯がべられるだけいいか。家があるだけいいか。足があるだけいいかetc. 同じ境遇の人同士の間(たとえばご飯がべられるだけ〜はたいていの日人間)では、はさほど問題にならないけれど、 その、比較された「持たざる」人がその感謝の言を聞いたとき、 こんなに悲しく、辛いことはない。 ただ、たいていの人は、ただただ、別に何と比べるでもなく、目の前の事象に感謝してる。 ご飯がうまいありがとう。職があってありがたい、健康で幸せ、 子供ができて嬉しい、上司が人格者でラッキーetc. 明らかに恵まれている場合もあるし、客観

    幸せの表明方法 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/12
    「それでも、ウェブでもリアルでも、感謝の表明は妨げられちゃいけないと思う。たぶんひとつだけ、コツがあるんだろうね。それは、「おかげさまで」という気持ちを持つこと。」
  • 意思の高速道路 - 旧 はてブついでに覚書。

    今日はクリスマスイブだったけれど、大人たちが酔い宵でバスを待っていたら、 そんな中、高校生と思しき男の子たちが、数学だ理科だっていう話を一生懸命していた。 文系と理系、自分はどっちだ、何々が得意だから、何々には興味ないからetc.と、判定し合っていた。 誰もがする話だ。2年生になると選ぶのよね。私がいた高校はそうだった。 まあ、割り切ってるよね。私もそうだったけど、自分の興味なんてまだわかんないから、 苦手な科目はそのまま、「まあ、向いてないんだろう、俺」ってことで、 苦手じゃないほうを、無難なほうを、点数取れるほうを、向いてるということにして選んでる。 そうやって選んでしまったものが案外、その先の人生を縛るんだなあとしみじみ。 みんなの人生が”一緒に流れて”いる中で立ち止まったり道を変えたりするのって、 結構な意思がないとやれないから、結構な意思がない場合、そのまま行くのよね。 でも所詮

    意思の高速道路 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/26
    「苦手じゃないほうを、無難なほうを、点数取れるほうを、向いてるということにして選んでる。そうやって選んでしまったものが案外、その先の人生を縛るんだなあ」
  • ちょっと一緒に歩こうか。 - 旧 はてブついでに覚書。

    誰かが悲しんでいるとき、 誰かが悩んでいるとき、 時間が解決することが、時間をかければ解消していくことが、結構ある。 しっかり時間を使って悲しんで、だんだんと受け入れていったり、 時間をかけて考えを整理していくうちに、道が見えたり。 そういう途中で、 その人は他の人に相談することはもちろんあるけれど、 そういうときに、相談されるほうは、あれなんだね、 結論なんて、がんばって言わなくていいんだねきっと。 あの、明らかに人が血迷ったりなんかしてる場合でなければ。 だって途中だから。 きちんときちんと時間を使って、答えを出すところまでいく途中だから。 結論出して違う道を強制したり、 考えを否定して歩みを停滞させたりしてしまうよりは、 なんていうか、邪魔しないように、伴走できたらいいんだろうね。 すみませんそんなことに今頃気づきましたはい。

    ちょっと一緒に歩こうか。 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/10
    「結論なんて、がんばって言わなくていいんだねきっと。」聴いてくれるだけで、きっといいはず。
  • 欠乏の存在理由 - 旧 はてブついでに覚書。

    幸せに育った人は、小さな、何気ない幸せに満足できる。 きちんと、無条件に、無根拠に、絶対的な存在の承認をもらって、 小さい頃から、「足る」の受容体が育つように、育っているので、 他の人と比べたりする前に、世間なんていう評価を待つ前に、 自分にとって何が足るかを知っているし、きちんと発達した受容体が、それをきちんと捕まえて、 きちんと受け取って、満足して、生きられる。 「幸せ」とか、「足る」とかの受容体を、育てる機会を授からなかった人は、 他の人の表明や、世間という評価でしか知らなかった人は、 いつも、これじゃないし、いつも、あれじゃないし、いつも、それでもないと、 たくさんの、「受け取れない」日々を、うんざりするほど重ねて、 人よりもたくさん諦めてみたり、人よりもたくさん求めてみたりして、 受け取る行為に使われなかったその、 ものすごい、欠乏のエネルギーを、希求のエネルギーを、やり場なくも

    欠乏の存在理由 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/01
    「世界ってさあ、足るを知っている人たちと、わからずあがいてる人たちで本当は2つに分かれてるような気がするよ。」
  • ファイアウォール、としての言葉 - 旧 はてブついでに覚書。

    言葉というのはものを伝える手段として効率が悪い。 お互いに文法と語彙のデータベースを持ち、 出来れば文化も共有、もしくは理解し、 その中から伝えたいことがきちんと伝わるように単語を、語順を、語感を、語尾を、タイミングを、間を、呼吸を、慎重に選んで発話し、 やっと相手にものが伝わる。・・がんばって、80%くらい。 私たち日人の多くがほかの国で的確に思う存分ものが伝えられないことからわかるように、 使用する言語が違う、それだけで、同じ人間であっても、私たちの意志は、思いはほとんど伝わらない。 生活にかかわるベーシックなことならまだしも、 抽象的になればなるほど、壊滅的に伝わらない。 You know, わかるでしょ? いいえ、知らない。言葉と文化が違うから、知らない。 言葉は時間だ。 言葉は時間をう。 話すのも書くのも、聴くのも読むのも。 だから、めんどくさいから、 テレパシーみたいに、脳

    ファイアウォール、としての言葉 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/11/15
    「言葉が伝わらない断絶は人に、他者が他者である絶望と同じくらい、自己が自己であるという希望を与える。」埋められない溝を前向きに解釈する考え方。
  • 無神経という言葉 - 旧 はてブついでに覚書。

    自分は人間のカテゴリとして大雑把チームなので、 無神経といわれないかどうかわりと気にして生きてる。 不用意に人を傷つけたくないし。 まあ努力の甲斐あってか、あんまり言われたことはない(思われてるかも)。 ただね、いまどきネット上で結構見るのね「無神経」って言葉。 その中で、すごく悲しい使われ方をしてるときがあるのね(主観)。 まあ、葬式に派手な服で行くとか、そういう社会テンプレ的なものとか、 明らかに文脈がわかるところでそれを無視しているときに「無神経」というのは、それはわかる。 知っててやっていることに対して「無神経」なんだから。 たださあ。 微妙なことを察してないだけで無神経とかさ。 言うほうにとっては自明なんだろうけどさ。 なんていうか、言われればわかるけど、そうじゃなきゃ”善意で”言ってしまいそうだったりやってしまいそうだったりしそうなことを並べて「無神経」とかさ。 そういうの見る

    無神経という言葉 - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/11/08
    「わからないときはどうしても、たとえ善意でも「無神経」になってしまう。」
  • 承認2.0 - はてブついでに覚書。

    ウェブのおかげで、世界にはほんとに多種多様な人がいて、 みんな凡庸というけれど、1人として同じじゃないし、個性的だということを、やっと実感として知った。 今までは自分がリアルで見ている、小さな小さな世界のなかで、 人生を構築していたし、自分の一生を、まあそつなく、中庸で、人生にありがちなことは大抵経験して死ぬ、みたいな感じに見ていたけれど、 世界という大きな大きな人の塊のなかで、 その一人ひとりがみんな、平均値を取ったような生き方をしなくてもいいのだなと思った。 私がたとえどんなに偏っていようが、 世界のどこかには、私と正反対に振れている人が必ずいて、 それは天上から見れば、きっとバランスが取れている。 それでも、ウェブがなかったころは、自分が普通なのか、特殊なのか、 これでいいのか、いけないのか、そんなバランス取りは結局、 自分がリアルに触れる環境の中でやるしかなかったけれども、 今は、

    承認2.0 - はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/10/27
    「他人を承認すれば、自分の居場所が出来る。そんな簡単なことを、簡単にやれる時代を、私達は生きられるようになった」
  • 他人の不幸を奪う - 旧 はてブついでに覚書。

    悲しいほうが、安心する人がいるので 不安な方が、充実する人がいるので 苦しい方が、楽しい人がいるので 寂しいほうが、落ち着く人がいるので そこに留まって、時間を止めて、思考停止して、 いる時間が確かに、必要な人はいるので そういうのは私は、基的には、そのままにしてしまうのだけれど、 その人が、大切に、大切に手放さない不幸を でもたまに意地悪で、奪い取りたくなる。 その拘りを、囚われを、恨みを、未練を、蹴散らしたくなる。 ちょっと表現違うか、どちらかというと 優しく分からないうちに、でも確実に、はぎ取ってしまいたくなる。 幸せという最大の不安の中で 幸せであり続けることを決意することが出来たなら きっとそこには その人が来生きるはずだったあり方が 見える気がするので ただ単にそれを、見てみたいと、私が希望するので。

    他人の不幸を奪う - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/10/15
    "その人が、大切に、大切に手放さない不幸" "幸せという最大の不安の中で幸せであり続けることを決意する"
  • 次元をまたいだ取引は結構高度、かも - 旧 はてブついでに覚書。

    音が、『(自分は)何々して欲しい!』なのに『(みんなは)何々するべき!』って言い方しちゃう時ってあるよね。 『(自分が)何々しないで欲しい!』って訴えたいときに『(一般論として)何々するのはおかしい!』って言う人いるよね。 大学の先生が言ってた。弱者が自分の分け前を欲しいとき、俺にもくれじゃなくて、こう言うんだって。 『みんなで平等にしようよ。』 ・・・男女の会話か何かのアドバイスに書いてあったけど、 旦那さんがいっつも仕事で遅かったりとか彼氏が浮気したりとかで 奥さんや彼女が悲しい思いや寂しい思いをしたときに、 男性が受け入れやすいのは、 『あなたはもっと家庭を大事にするべき』や『浮気なんてありえない』じゃなくて、 『私は、〜〜で、寂しい』 という言い方をする事なんだって。 べき論で話を振られると、 それがほんとに”べき”なのかの方に焦点が行ってしまう。 それを論破することに思いが行っ

    次元をまたいだ取引は結構高度、かも - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/10/05
    「強固なべき論や一般化の被った、ふるえる小さな一個人による欲求をきちんと読みとって対処出来たらいいんだけどね。。」
  • ネガティブな自己表現には自分のキャラクターを承認してくれるコミュニティを要請する(それが例え幻想でも) - 旧 はてブついでに覚書。

    心が鉄でない殆どの人は、そうなんじゃないかと思ってる。 (はてな使ってない人にはどうでもいいおはなしだけど) 例えば”はてな”が「村」認定されるのは、 住民同士がしっかり知り合いになってしまっているというか、 お互いにある程度「あの人はそういう人だから」とか「あの人はそういうキャラだから」とか そういうメタ情報(文脈)がある程度共有されている雰囲気があるからだと思う。 都会のマンションで隣に住んでる人が誰だか分からないところじゃなくて、 ちょっとの罵倒も偏見も炎上も、「ああまたお前かよ。でも、分かってるよ」って暗黙の了解と受容がある村。 知らない人に突然罵倒されたら怒るけど、 ○○丁目の某っぁんに罵倒されたら「おうおう今度は何だい?」ってわくわくする感じ(笑)。 で、具体的にどこがはてな村かよく知らないで言ってるんだけど、 でもなんかそういう「村意識」をさしての言葉だもんねこれきっと。 で

    ネガティブな自己表現には自分のキャラクターを承認してくれるコミュニティを要請する(それが例え幻想でも) - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2007/10/04
    「例えちょっとムッとしたりとかする内容でも、書いている人を知っていれば、過去ログをずっと読んでれば、私の中でなにがしかの文脈を見つけ、そこに帰着させ、感情を補正し、そして安心する。」自分も近いかも。
  • 文系教授の恐ろしさ - 旧 はてブついでに覚書。

    お断り:えっと、100%主観の話をします。 大学に入ったとき、(文系の)教授たちの勉強量というのを 垣間見ることがちょくちょくあったけれど、 それを見て、ああ学問の世界に自分は無理、と 早速挫折した記憶がある。 理系は、他人に話を聞いてほしくばまず英語で書け、という 素晴らしい効率化がなされているけれど、 文系は、興味があるなら俺の母国語を勉強しろよ、 という世界である(わりと)。 で、その国の言葉を勉強すれば理解できるかというと、 んなこたーない。 行間というものがどの国の言葉にもあって、それを理解しないことには始まらない。 国際的に共通した術語の定義がされる理系と違って、 国ごとに概念の集合(たとえば”愛”が何を指すかとか)が違う自然言語を そのまま利用している、もしくはオリジナルに概念を製造しているので、 つまりはその国の文化や時代性を理解しないことには、「専門」として 語るまでにた

    文系教授の恐ろしさ - 旧 はてブついでに覚書。
    hatayasan
    hatayasan 2006/11/27
    「私たちが昨日今日”考え付いた”「新しい概念」なんてのはニコニコして聞いてくれていながら、(ありがちなメタだねぇ。若いねぇ。)と心の中で軽く瞬殺しまくっている、恐ろしい人種」
  • 文系のオープンと理系のオープン - 旧 はてブついでに覚書。

    恐れ多くも梅田さんに絡んでしまったせいなのか、 前エントリに、コメントやTBやぶくまたくさんしていただいてしまった。 私を含む多くの人達は、ネットの隅でこそこそやってる気分でブログ書いてると思うんだけど、 ああフラットなweb世界に場末は存在しないのねと薄く思い知った今日この頃。 ただ、世界がヒエラルキーの元にインデックス化されていた頃と違って、 フラットだと逆にどれがどれで誰が誰なのやらさっぱりなわけで、 今度はこの大海原で、情報を釣ってくれる人がいてこその世界って感じですね。 私が(似非)社会人に成りたてのころ、 リクルートのナレッジマネジメント―1998~2000年の実験 ってを読んだけど、そこにも、 膨大な情報を全部きれいにインデックス化しようと血眼になって入力・整理してても意味はない、 それよりも社内で、誰が何の情報を持っているかを明確にしておけ、 というような事が書いてありま

    hatayasan
    hatayasan 2006/08/07
    「自分が自分のアイデンティティをかけているものを、片手間や息抜きなんかじゃないものを、思い切って全部吐き出したなら、その方がもしかして、何かあるかもしれない。少なくともフィードバックがある。」
  • 匿名か実名か・・・。. - 旧 はてブついでに覚書。

    はてなブックマーク - 煩悩是道場 - ウエブで匿名でいるデメリットとは何か』 (元URL;http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060310/) なるほどうー。 私のような庶民はあんまり悩まなくてもいい。 ただの人が実名さらしても、『で、誰?』 でもいざとなったら素性を調べるのが簡単な実名をさらすことは責任というか、覚悟というか、を示す担保になるんかも。 実名がよい人 (引用)「リアル>ネット」か「リアル≒ネット」な人。 そだなあ、リアルコミュニケーションの補強としてネットを使ってる人かな。 あとは、ネットで気があった人とリアルでも交流したいぞ、って人(後で実名明かしてもいい気はしつつ。) 匿名がよい人 (引用)「ネット≠リアル」な人や「リアル<ネット」 そだなあ、身近な人や組織の悪口書いてたり、ネット人格がリアル人格と乖離してる人。 あとは、言っていることの割

    匿名か実名か・・・。. - 旧 はてブついでに覚書。
  • web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。

    昔何かで見かけた話に、 どこかの、日よりは先進国ではない国から来た人が、 普通に、店の入り口にある傘置き場を見て、 盗みたいというわけじゃないけど、、持って行きたくなりますね、、。 とコメントしていた、というのがあった。 その人の国だと、無防備に放置されたものなんて何でも、 盗られてしまう感じなんだろう(そして放置したほうが悪い)。 どのくらいのものまで放置されていて大丈夫なのかはわかんないけど日、 傘くらいだったら盗りはしないよ、っていう豊かさはあるんだなあということと、 後はまあ、人様のものを盗むということの 卑しさというか心の貧しさというか恥みたいなものを、過剰に教育されたので 相当切羽詰ってもそれだけはやりたくないものだ、と結構みんな思ってるんじゃないかなと、 (違う??かなあ。でも他の国の人は、盗んだら臆面も無く勝ち誇りそうだけど、日人は割と、恥しそうに盗むよね、盗む人も、

    web性善説を信じる勇気。 - 旧 はてブついでに覚書。