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communicationとblogに関するhatayasanのブックマーク (338)

  • ネットと誤解 - finalventの日記

    ああ、これは誤解されているなというとき、それに釈明してもたいていは無駄だ。どうしてそんな思いこみをするんだろうという人に、釈明すること自体が次の誤解を招く。 特に匿名メディアの場合、誤解が解けるということはない。まあ、匿名メディアというのは定義がめんどくさい。いわゆる匿名というわけではない。捨てハンというだけではない。 こういうとそれ自体誤解になるのだろうが、あまり人から関心が持たれてない人に何か言うことは無駄だと思う(あと党派性のグループ)。ところがブログというのはそういう人をなにかクローズアップしてしまうところがある。普通の社会でそれを言ったらただの気違い扱いだよいうのが、素で出てくる。そして、そういうのが素で出てくるとそれに誘発される人が出てくる。現状こうした事象には対処しようがない。 ブログについて言えば、ブログをよく移転する人やハンドルを変更する人は、たとえある一定以上の関心を持

    ネットと誤解 - finalventの日記
    hatayasan
    hatayasan 2006/12/25
    「ある程度のPVが取れて、ブログやハンドルを変えない、というのは、ブログにおける対話の前提だろう」
  • 萌理学園未応募作(というかパクリ) - 瀬戸風味@はてな

    伊藤 石毛 佐藤 それぞれ名前を叫びながら三位一体攻撃を仕掛ける。 伝聞によると一行一千万の威力(単位は謎)でTOKIOも空を飛ぶという(意味は不明)。 巨大組織がバックに付いているに違いないとまことしやかに語られる。 名前はまだない。 コンと信 二人組。巨大組織を追われて(あるいは逃げ出して)隠遁生活を送る。 能力は指でスイカを割るとか。 FAMと通 巨大組織の差し金。自信家。 何かを意のままに操る。もしくは異形化させる。 リーとぴゅう太 謎キャラ。 虫*1を操る。異次元を発生させる*2。 学園になってねぇ。 馬鹿やってないで読もう。 *1:コンセプトに忠実に書くと"蟲"か *2:テニスで id:suVeneさんのコメントを呼んでいて、どうも話が前に進んでいないなあと思ったので言及。 http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20061225/1167019148

    萌理学園未応募作(というかパクリ) - 瀬戸風味@はてな
    hatayasan
    hatayasan 2006/12/25
    結局、自分の言辞について非難されるのが嫌ならmixiでまったりやるのも有でないの?と。ウェブでコメント解放している限りにおいては主観的な判断には慎重になった方がいいとも思いました
  • http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/18a2313ac5e057ed736e7dbfe6e23e80

    hatayasan
    hatayasan 2006/12/09
    余計に気になるから、気になるけどあえて見ない。ブログでもリアルでも、よくあります。
  • スルー力 - 結城浩のはてなブログ

    スルー力が高い人はスルー力についてのエントリを書かない。

    スルー力 - 結城浩のはてなブログ
    hatayasan
    hatayasan 2006/12/08
    「「何に言及しないか」を選択することは、「何に言及するか」を選択するのと同じくらい重要」深く同意。
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    hatayasan
    hatayasan 2006/12/04
    Web上のコミュニケーションの特性を考えるときに参照したい。
  • suVeneのあれ: ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義

    2006年11月30日 ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義 ブログに対する思いは人それぞれである。 その人が何を目的とし、何の為の手段としてブログというツールを使用しているのかは、多種多様であるという事だ。 ブログの目的というのは何かという考察を半年ほど前に書いた事があるが、今回はその中でも「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」を取り上げて書いてみようと思う。 *「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」の定義 説明するまでもないが、念のため簡単な定義をしておこう。 自己表現至上主義とは ブログが自己表現の為のツールであると同時に、「ブログで自己表現する事自体」に価値を見出す事 自己表現の為以外にブログを使用する事を認めないほど、自己表現至上主義傾向 馴れ合い至上主義とは 書く内容や自己表現より、他人と繋がる事に価値を見出す事 繋がりを重視するあまり、会話の流れを分断する

    hatayasan
    hatayasan 2006/12/01
    「検証可能である外面的な話と、思想や価値観が絡む内面的な話を切り分けて考えた方がよい」理解できないことほど感情で処理しようする傾向が自分にもあるなあ。気をつけねば。
  • 批判の動機(2) - Mugi2.0.1

    しかし,言うべきことを言わない。伝えるべきことを伝えない。というのも狡い行為だと思います。批判すべきことを批判せずスルーすることも,また姑息な逃げなのかもしれません。言うべきことを言う。伝えるべきことを伝える。これを放棄してしまったら,言論とかコミュニケーションなど成立しない。ブログらしさ,ブログの魅力も失われる。ぼくのOYAJIさんへの批判には 批判の動機 に書いたような気持ちもありましたが,同時に「批判すべきことはちゃんと批判する」という気持ちもありました。ぼくの批判を正当化する拠り所があるとすれば,唯一そこくらいでしょう。理想の形は,相手を卑下・嘲笑する気持ちを排し,批判すべき点をしっかり切り分け,伝わるように批判する。

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/28
    「批判するのに相手へのリスペクトは必要か,といったことをところどころで読んだこともあります。ぼくは必要だと思う」
  • 読者の反応にブログの楽しさがある - 304 Not Modified

    ブログを書くときって “読者”を想定するって言うけれど 当は“読者の反応”まで想定しているものです。 予定通りの反応が来たら満足するけれど、 想定していた反応と別の反応が来るとビックリしちゃう。 ポジティブサプライズだったらすごくうれしいけれど、 ネガティブサプライズはショックを受ける人もいると思う。 サイトからブログになってから、 じっくり考えることよりも、 直感で答えるような仕組みが整ってきた感じがするんだ。 おかげで、言葉を選び損じて 相手を傷つけることが増えちゃったなって。 反応できる部分だけを取り出してコメントするばかりで、 書き手が当に伝えたかった部分を考えもしなかったりして。 私は、はてブのコメントを何度も何度も修正することがある。 記事を読んでまず思ったことを書く。 しかし、ある程度の時間が経つと 相手が当に伝えたかったことがわかってきたりする。 自分も落ち着いて考え

    読者の反応にブログの楽しさがある - 304 Not Modified
  • http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20061118/p2

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/19
    「ブログで馴れ合いが生じたら、なんか「終わり」って気がするのは自分だけでしょうか?」
  • あるブログの閉鎖と、その波紋。 - ぽんすブログ

    【はじめに】 この記事は、特定の個人に向けて書いております。 その方(かた)は、おそらく拙記事を読んではくれないでしょうし、関係者以外の方々が読んでも全く意味が分からないと思いますので、無視してもらって結構です。 今さらココに書いてもムダな気もしますが、あえて書きます。 【ブログの閉鎖に思う】 近ごろ、あるブログが閉鎖しました。 私は以前、その管理人とモメたことがありました。 私は、その管理人の心ない言葉によって傷つき、私もまた怒りに駆られて、相手に酷い暴言を吐きました。 互いに傷ついたのです。 非は私にあったので、その後、全面的に謝罪しました。 しかし、内心思っていたのは、「仲間に始末を頼むのは卑怯だ。」という悔しさでした。 せめて、1対1で向き合って欲しかった。 助けてくれる仲間がいるのは、それだけ人望があるからなのだろう。 僕は独りだ。 だけど、それでいい。 所詮、人は独りだから。

    あるブログの閉鎖と、その波紋。 - ぽんすブログ
    hatayasan
    hatayasan 2006/11/17
    「無視された時が本当の終わり。 完全に見限られた時にこそ、真の孤独が待っています。」
  • ブログの信頼と懐疑 - takoponsの意味

    信頼 ブログを介して誰かと信頼関係を築けたら、それはブログの成功体験と言っていいと思う。 文字と文字との遣り取りだけで築けた、信頼。 懐疑 ブログを通じて何かを一度疑ってみる態度が備わったら、それはリテラシーが上がってきているのかもしれない。 一歩離れてみる立ち位置。 ウェブ進化論より引用 ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていくのである。 〜 ウェブ進化論 第四章 ブログと総表現社会(p.165)より引用 〜 会社の雑誌立てに「ウェブ進化論」が置いてあったので読んでみたところ、上の引用部分が目に留まった。 私もブログを通して築いた信頼関係がある。 この関係を大事にしていきたいと思っている。 恥さらし 過去があって今がある。その過去は必ずしも良いことばかりで飾られているわけではない。しかし、それがあって自分が今いるのだ。 そういう

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/17
    ブログを通して築いた信頼関係、些細なことで途絶えてしまうかもしれないけれど、大切にしたいと僕も思います。
  • http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/a7e6ff4bc8930a589152b80d10d0156f

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/15
    「気になるブロガーを最初に思い切りDisってほとぼりが醒めた頃に、それとなくブクマなどをすると、相手は安心して慕ってくるようになる」ブログ版人心掌握術。“いい人”の多いブロゴスフィアでは有効かもしれない
  • 「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言

    ボードゲームサークルの運営について(by 卓上遊戯創造館別館(11/8)) http://d.hatena.ne.jp/stelmos/20061108#1162993420 ↑のエントリを読みながら考えたのだけれど、こういうのって、ある集団が大きくなっていく過程において、必ず出てくる問題なのでしょうね。僕にとって身近な例で言えば、この「インターネット」というやつだって、大昔の「パソコン通信」の時代には、「パソ通をやっている人間」というだけでお互いに「同好の士としての仲間意識」みたいなものがあったのだけれども、いまや「インターネットをやっている人」だからといって、お互いに親近感を抱いたりはしませんし。まあ、「ヘビーブロガー」同士とかなら、多少はそういう連帯感みたいなものも生まれやすいのかもしれませんが。 考えてみれば、個人サイトとかブログなんていうのは、まさに「無料のサークル」みたいなもの

    「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2006/11/11
    「個人サイトとかブログなんていうのは、まさに「無料のサークル」みたいなもので、自分が気に入らないという理由で罵倒したりするのは筋違いのような気がします」
  • バトンの代わりに - 鍵大工学部

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/07
    「知識を得たいのならもっと効率の良い方法はあるし、人間関係や思考力を重視するならオフラインでより多くの人と会った方が良い、と考えています」ブログに馴染んでしまうと見落としがちな視点ですね。
  • suVeneのあれ: 「どうでもよいこと」について 3つのパターン

    2006年11月05日 「どうでもよいこと」について 3つのパターン 毎度の事ながら検証した訳でなく感覚の話で申し訳ないが、「どうでもいいのだが~~」という言葉で綴られる文章における意味についてちょっと感じた事を書いてみよう。 俺も最近「どうでもいいこと」について、簡単に触れたが 記事において「どうでもいいけど~~」「~~だよね、どうでもいいけど」といっているのは、「どうでもいいと思いたい」場合が多いように思う。 まぁ、どうでもいいけど。 suVeneのあれ: 「ブクマコメント」を見て「記事を読まない」事は思考停止か否かこの時はちょっとネタ的に触れただけで深く考えていなかったのだが、ここ最近「どうでもいいこと」について見かける記事の観点が同じ視点からの事象を言い換えただけに見えるので、自分なりに整理してみようと思う。 まず、「どうでもいい」と述べられる時にある背景は大雑把に分けて 3つくら

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/06
    「本当は「どうでもよくない」のに、興味があると思われるのは悔しいので「どうでもよい」と言ってしまう」肥大した自意識のなせるわざ、というか。気をつけねば
  • ブログ・コミュニティを超越するツールとしてのはてなブックマーク

    あんたジャージでどこ行くの (Lsty): はてなBMからのアクセスが増えるということ 数ヶ月単位でアクセス解析を見て、はてなブックマークからのアクセスが他所からのものに比べて多くなっている場合、それは「自分の書く記事のレベルが上がった」せいではなくて「はてなブックマークという空間で常連になった」せいだ。例外はあるだろうけど、多くの場合、そうだと思う。 「はてなブックマークという空間で常連になった」 というのは、“はてな村”というウェブ上のコミュニティのメンバーとして認知されるようになった、ということであると、僕は理解しました。 僕自身、2005年6月にはてなブックマーク(以下、はてブ)を使い始めて以降、はてブに言及する機会が多くなり、結果的にはてブからのアクセス、さらに個人ニュースサイトからのアクセスが増加して、全体のページビューが2倍以上になっています。 もちろん、記事そのもののレベル

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/31
    ↓らぶさんの「バリアフリー」って言葉、いいですね。ブロゴスフィアのバリアフリーをSBM、はてブが果たすことができればいいのですが。
  • オフ会の話 - ARTIFACT@はてブロ

    こころ世代のテンノーゲーム - 「リアル主義」者は現実的か――オフ会なんてリアルじゃない! http://d.hatena.ne.jp/umeten/20061027/p3 梅天さんの記事は、人数が多い飲み会への嫌悪とオフラインで会うことの是非がごっちゃになっているために、細かく意見する気はない。そもそも該当の発言をした姜尚中氏はオフラインで会おうとは言ってるけど、飲み会をしようとは言ってないんだし。 オフ会=飲み会となりがちなのは、自分も疑問には感じるけど、それは自分がやる際などに気を付ければいいと思ってる。 それにしても「オフ会なんてリアルじゃない!」はやっぱり名言だなあ。 さて、この記事に対する反応は、オフ会の利点や欠点について語る記事が多くて面白い。オフ会のレポートは一杯あるけど、こういう記事は見かけなかったので紹介。 BLOG STATION:「オフ会」と「オフラインのつながり」

    オフ会の話 - ARTIFACT@はてブロ
    hatayasan
    hatayasan 2006/10/30
    オフ会作法まとめ。
  • 自分が正しいと思うことの是非 - 鼻が赤くなりにくいティッシュです

    私は常々『自分自身が正しい』と思うことは悪いことじゃないと思っています。 しかし、『自分が正しいから、(自分が)悪だと思ったものに対しては何をしてもいい」という考えには賛成できません。 まず、ネガティブコメントの定義 記事を書いてアップした時。 コメント欄にネガティブコメントが書かれる時もあるだろうし、はてブでネガティブコメントをつけられることもあるだろう。 私が書く「ネガティブコメント」の定義は「言われた人が不愉快に思ったコメント」とします。*1 どんな記事でも反論されたくない人はいる 「無断リンクして欲しくないんだもん。知らない人に見られるのって不愉快。(私に利益のある人だけ見てよし)」 「言及されて反論される(違う意見を言われる)のは不愉快なんだもん。同意してくれる人だけコメントして」 「何何? いきなり知らない人がやってきて、訳の分からないことごちゃごちゃ言って不愉快だわっ。私が何

    自分が正しいと思うことの是非 - 鼻が赤くなりにくいティッシュです
    hatayasan
    hatayasan 2006/10/27
    「みんなやっているから私も」程度の論理で行動している人はネットイナゴと根は一緒だよ、という話。自分を常に疑う姿勢は、自分に自信があるなしとは別の次元で必要だと思う
  • 交流しなければ覚えられない相手は興味が持てないのではないかな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「Ladder to the Moon - 人間もブログも、やっぱり大事なのは中身」を読んで。 laddertothemoon氏は交流のあるブロガーであれば覚えるというように言っている。 webという、他者を漠然としか感じられない場所で、「相手も人間」と意識するのは、やはり個人対個人の 直接の交流なのではないかな、と思う。 それは確かにそうなのであるが、私は違うな。勿論、私も交流のある相手は他の者より注目しているということで誰それであると覚える事はある。だが、私は全く交流の無いブロガーでも心の中では「やあ、また○○氏がこの様な戯言を書いているぞ」とか「何時も色気のある記事を有難う、○○氏」といったようにまるで旧知の仲のような会話を脳内で繰り広げているのだ。 それはもう相手ではなく自分がどれだけその人を好きであるかが重要であり、交流など関係ないのだ、名前を覚えるのにはな。私は自分が非常に我が

    交流しなければ覚えられない相手は興味が持てないのではないかな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    hatayasan
    hatayasan 2006/10/18
    「すんなり覚えられる相手だけ覚えればいい。」それでいいですよね。
  • http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20061018/p1

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/18
    「「自分の中での相手に対する情報量」の違いが、自分の中でのその人(ブログ)の認識・他との識別につながるのかもしれない」