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communicationとblogに関するhatayasanのブックマーク (339)

  • 本当に、ブログを書いているとロクなことがない - 花見川の日記

    自分の駄文や幼稚な考えをブログという公共の場に晒すことにどれだけの意味があるのかと疑問を抱いていた。 口は災いの元、というように訳のわからん論を撒き散らして他者の反感買うことにどれだけの意味があるのか、と。 「著名なニュースサイトに紹介されたり、人気エントリ入りしたい」というのであればそれは”他者から注目されたい”というだけであって、それが実現できたとしてもそれはブログでしかできないことではないし、一旦人気を得てしまえば目的は達成されてしまいブログは事実上終わってしまうつまらないものだ。「有益な議論がしたい」というのであれば、確かに情報分野、学術分野において時に有益であるとは思うけれども、それ以外の分野であれば門外漢の一言など結構ノイズが多いためか、ストレスもたまりやすく、不毛な言い争いに終始することも少なくない。(それは「自分のためのメモ」を書いたときであっても同様である。) じゃあ、「

    本当に、ブログを書いているとロクなことがない - 花見川の日記
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/23
    「繊細な感情や自分の内面を誰にも拾ってもらうつもりも無かったのに「そう、そうなんだよ」と思わぬ共感をいただいて驚きが隠せないことだってある。ブログというのは「人と人」であり、人というのはおもしろい」
  • ROM専の友人に向けて書くこともある - takoponsの意味

    私は、コメント欄には登場しないけど、きっと読んでくれているであろう友人に向けて書くことがあります。ロムラーだからネット上の目に見える反応はないけど、それでも書いてます。 以降は主にMarumamekoさんへのお返事。 id:Marumamekoさん 誰に向けて書くか - こころの風景 はてなブックマークとトラックバックは無視されることがあるので、ブロガーとのコミュニケーションを望むなら直接コメント欄で発言したほうがレスは期待できると思います。でも、指摘や反論だと拒絶される可能性アリまず、私の以前から繋がりがある人たちに限って言えば、「はてなブックマーク」とは無縁のネットユーザーですから…。私は今後も彼らとのコミュニケーションを望んでいるので、彼らのブログを読みコメントをしたい記事があればコメントしています。ただ私のブログの傾向が彼らと著しく違うので一方通行。 他人のブログのコメント欄で発言

    ROM専の友人に向けて書くこともある - takoponsの意味
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/21
    表立って指摘するときは、それなりに思うことがある場合に限られる。
  • ブログのコメントにカチンとくる事を書かれたときの対応策(1/2) - OKWAVE

    高校生の女子です。私はブログを書いているのですが、 だんだんと自分と趣味の合う人たちが遊びに来てくれるようになり、 コメントも頂けて楽しいブログライフを送っています。 しかし、その中の一人にとても困ったがいるのです。 特に困るのがイヤミな知ったかぶり。物知りならばいいのですが、 明らかに間違った情報を書いているのに、 あたかも自分しか知らない情報を教えてやっている、という書き方なのです。 他のみなさんは私の書いた記事についてのコメントをくれるのに、 その人だけは「一つ覚えておいて欲しいのは」とか、屁理屈ばかりを言うのです。 例で言えば、私が「○○という番組を見て面白かったです。大笑いしました。」 と書いたとすると、その人は「テレビはみんなやらせですよ(笑)やつらは視聴率の為ならなんでもしますからね。」 とか、気分を害すようなことを書きます。 テレビの中にはやらせの物があるのはみんな知ってい

    ブログのコメントにカチンとくる事を書かれたときの対応策(1/2) - OKWAVE
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/20
    粘着系の人に好かれたときの対処のしかた。コメント欄閉じるかユーザを限定するか、そのあたりからかなあ。
  • suVeneのあれ: 「表現」するということと、その「読者」

    2008年03月18日 「表現」するということと、その「読者」 どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) - ヘボメガネ一進一退 http://d.hatena.ne.jp/hebomegane/20080317/1205724829 を読んで。 リンク先の内容は、「読者はいったい何を求めているのか」ということなのだが、これを読んで最初に思ったことは、「著者はいったい何を求めているのか」だった。 ブログを書く目的とは何か 人によって、ブログを書くこと。すなわち、文章によって表現する意味というのは様々だろうが、俺にとってブログを書くことをいうのは、技術的な話は別として、自分の意見に対する反応をみる事が一番の目的であると思う。反応をみてどうするのかといえば、自分の意見との差異を考えたり、自分にない視点を参考にしたりしている。 そういっ

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/18
    記事よりも人に興味を持ちたいし、持ってほしいと思う。
  • 身内読者を苦痛に感じるブロガーと、よそ者読者を苦痛に感じるブロガー。 - 真性引き篭もり

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

  • 「雑談あってのつながり」と思うと、たしかに辛い仕組みですね。 - CONCORDE

    ブログはコミュニケーションに向かない - こころの風景 もう少し限定して言うと、雑談には向かない。 あの掲示板文化から生まれた「横レス失礼」を使うのに躊躇してしまうのだ。AさんのコメントにBさんが答えて話題が広がったり、CさんのコメントをDさんが茶化したりEさんが混ぜっ返して笑いの渦が起きたりというようなコメント応酬の面白さも味わえない。 そうそう! 主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)より再掲: こういうワイワイガヤガヤはなかなか出せないですね。どうしても「エントリの内容に沿った」コメントになりますから。 だからといって殺伐とするわけでもないしノイスがどうのという観点では"効率的"でいいのですが、 雑談なくして(継続的な)つながりは生まれにくい。論客同士とか真面目一徹な方面ならいざしらず。 "気が合うひと"とのおしゃべりを楽しむ、ことにネットワークコミュニケーションの楽し

    「雑談あってのつながり」と思うと、たしかに辛い仕組みですね。 - CONCORDE
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/17
    「"気の合いそうなひと"という時点で、おしゃべりを続けられるようにうまくつなげられれば、もう少しコミュニケーションの満足度も上げられるような気はするのですが」
  • よく考えたら文章のみで双方向性のコミュニケーションを生み出すブログのフォーマットってすごいな - とりあえずなんですけどね

    前回の反響 どうもお久しぶりです。忙しくてなかなかエントリが書けていませんが、まずはお礼を。前回のエントリに多くの方々から反響をいただきましてありがとうございました。ブックマークやはてなスターをもらえるのはやっぱり嬉しいものですね。読んでくれる人がいる、共感してくれる人がいる、というのは当たり前に嬉しいことだ、と改めて認識しました。 でも前回の日記でいろんな方々からの反響を受けて思ったのは、ただ単に共感してくれる人がいる、という事実を知ることができた!ということだけじゃなくて、自分の書いたものに対して様々な「フィードバック」があること、これがすごく重要なことなんだなと気付きましたね。なんというか、「アウトプット大切だからブログ書け」といろんなところで言われますけど、単にアウトプットするだけではWeb(というかブログ?)来の良さである「双方向性」のコミュニケーションにはなかなか行き着かない

    よく考えたら文章のみで双方向性のコミュニケーションを生み出すブログのフォーマットってすごいな - とりあえずなんですけどね
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/17
    「それなりに考えたものをアウトプットしていかないと見ている人には伝わらない」
  • 「距離感」というようなもの。 - 琥珀色の戯言

    テレビの企画などで、「有名ミュージシャンが、あなたひとりの前で歌ってくれます」だとか、懸賞で「抽選に当たった、20名の前だけでのライブ!」とかいうのがあるのだが、僕はそういうのを目にするたびに、「いくら好きなアーティストでも、こういうシチュエーションで聴くのは辛いんじゃないかな」と、つい考えてしまう。もしそんな状況になったら、たぶん、観客としては、ものすごく嬉しそうな表情をしたり、幸せそうな気分になったりしなければならないだろうから。 そして、「一生懸命、楽しそうに、嬉しそうにしなければならない」という強迫観念めいたものは、たぶん僕の顔を引きつらせ、曲そのものよりも「今、自分は楽しそうな表情になっているのだろうか?」というような自問自答ばかり繰り返すことになるだろう。 仕事で実習の学生と一緒に行動することがある。何も知らない学生に細々としたことを教えるというのは、けっこう手間がかかる割には

    「距離感」というようなもの。 - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/12
    「「自分から声をかける勇気はないけれど、向こうのほうから声をかけてくるような女の子じゃダメ」というような、出口のない堂々巡り」仕事やネットでの心地よい距離感について。
  • 良薬口に苦し - 素通りできなかった時のために

    ■なぜネガコメばかりに見えるのか 定期的に否定的なブクマコメ(ネガコメ)にムキになる人が現れたりする。そして決まって言うのが「ネガコメばかりしている人に限ってブログがつまらない、書いてない」だ。 だから何なんだろう、と思う。ネガコメばかりしている人が面白いブログを自ら書かねばならない理由など、何一つ私には思いつかない。そういう行為をしている人は尊敬されない、省みられない? 別にそれでいいではないか。尊敬されないリスクは他でもない、ネガコメばかりしている人が背負うのだから、いらぬおせっかいだろう。 そもそもコメントがネガコメばかりに見えてしまうという事じたいが、特段なんの不思議なところのない無理もない現象である。ここに底の浅い近視眼的な誤解があると、ネガコメ批判となってしまう。 当該記事に賛意を示す場合と批判を示す場合とでは、ブクマの仕方が違うだろう。賛意を示す場合はコメントそのものは無くな

    良薬口に苦し - 素通りできなかった時のために
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/11
    「自分の意に添うように読んでくれる人だけに向けてブログを公開するとしたら、その行為はなんと意味のないことだ、と思う。」 cf.http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20080131/p1
  • ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet

    ネットで誰かと議論しお互いに「理解しあおう」とする試みは、基的に時間の無駄といって良いと思う。だから、「スルー力」が一番求められているというのは、当にその通りなのだな、と。 まず、ネット上のやりとりでは、「言葉しか使えない」というどうしようもない困難さがつきまとう。リアルな対面状況におけるコミュニケーションでは、言葉以外にも、身振り手振り・表情・声のトーンといった、無意識的・非言語的情報(文脈に関する情報)や、情報発信者の信念・欲求・意図など(「情報に関する情報=メタ情報」)が豊富だ。しかし、言葉のみに基づくやりとりを強要されるネット上でのコミュニケーションでは、そうはいかない。 人間が無意識で処理できる情報量は膨大(一秒当たり数兆ビット)であるのに対して、意識で処理できる情報量は極めて少なく(一秒あたり十数ビット)、人間の「心」はまず何よりも無意識的・自動的なプロセスに支えられて認知

    ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/07
    「意識レベルでの「言葉しか使えない」コミュニケーションは、基本的には失敗を運命づけられている。」対面接触の大切さなど。携帯ウェブの界隈を見てると、島宇宙化はますます進むんだろうな。
  • コメントこわい - ノイズなツブヤキ

    律儀にコメントしてくれる人 昔、ヤフーの掲示板で知り合った人の日記がとても好きになって、掲示板に毎日のように書き込みをしていたことがあった。その人から、書き込みを自粛してくれと言われ、当時の私は自分を否定された、嫌われたと思い込み、絶縁状を叩きつけたことがあった。もちろん、絶縁状叩きつけても日記は好きだったのでこっそり(でもないけど)読みに行ったものだったけれど。 私だけじゃないとは思うけれど、何かを読んだ場合、何か書きたくなることってあると思う。あの頃は、自分の日記でそれを書くという人はあまりいなかったように思う。何か感想があればその人の掲示板に書くのが礼儀だと思ってた。少なくとも私は。だから、感じたことをつらつらと相手の掲示板に書いていたわけだけど、それが相手の負担になっているとは想像もできなかった。 今は、感じたことをこんなふうに自分のブログで書くことができるから、いい時代になったよ

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/04
    コメントを書くに際して相手に感じる距離感、親近感について。
  • 久々にネットで感動したこと - 嗚呼院卒就職

    トラックバックは、読まれることが保障されていないにも関わらず、自分のページ上にしぶとく自己主張する、気がかりなヤツです。私は、主流の議論から脇にそれ、そちらがわで独自に議論が行われているということが非常に気がかりではありますが、いったんそこでの議論に参加すれば、様々な自己の分断とそれにともなう煩雑さを経験することになるので極力避けております。しかし、今回は、真夜中で疲れていたのでしょうか、うっかりトラックバックの自己主張に負けてクリックしてしまいました。 まぁ、自分がそういう訳なので、よもや他人なんぞトラックバックをクリックするまい、ましてやそのページにて発言など、と思っていたのですが、実際には、私に宛てられているメッセージを別の方(id:idiot817さん)が応答して、私の過去の主張を元に、相手側の間違いを訂正しているではないですか。他人の議論のために(ため?)過去ログを頼りに発言する

    久々にネットで感動したこと - 嗚呼院卒就職
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/03
    「誰かの思考の軌跡を「素直に」たどって思考してみるということは、思いやりとか、やさしさといった類の行動なんだろうなぁと思います。自分の解釈をはさまずに、他人の思考をたどるということはなかなかできない」
  • ブクマ効果 - 嗚呼院卒就職

    昨日は、多くのアクセスが継続的に維持されるには、ホッテントリに入るかどうか、大御所にブクマされるかどうか、多くの人にブクマされるかどうか、このうちのどちらが一番重要なのかしらと思ってアクセスの動向を見ていました。すると明らかに日付が変更された時点でアクセスが前の時間の十分の一に減ったではないですか。やはりホッテントリなのですね。ターミナルに集う情報は、手っ取り早く「はてな」界隈の動向がつかめるし、面白いものに出会える可能性も高い。書き手へ注目するのが「アンテナ」で、記事単位で注目するのが「ブクマ」や「RSSリーダー」。情報の旬が終われば見てもらえなくなるという厳しい面もありますが、良い情報は長く読まれることになるわけです。ブログ・テキストがブクマ・テキストによって威信なり、ある一定の評価を与えられ、その数によって注目度をあげるわけですね。誰かが言っていましたが、いまや、アンテナではブログを

    ブクマ効果 - 嗚呼院卒就職
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/03
    SBMは「対話を通じてではなく、選択した「情報」そのものを媒介して繋がるコミュニケーション」2006年10月。
  • 律儀にコメントしてくれる人

    とか映画とか漫画とかの感想書いてる普通のブログ(はてダではない)やってるんだけど、 エントリを書く度に毎回真っ先にコメントを残してくれる人がいる。 元々は別のSNSサイトで付き合いのあった人で、どうもSNSのノリの馴れ合いをブログ にまで持ち込んでいるようだ。 悪い人ではないが、友達でもないのに毎回毎回コメントは、はっきり言って重い。彼のコメン トはとても真面目で中傷という訳ではないが、ネットによくいる評論家気取りというか、とに かく厨二病くさい。 それでなんとなく疲れて毎日書いてたブログの更新をしばらくやめた。 一ヶ月程。 そして今日久々に更新してみた。 もう彼はこのブログチェックしてないだろう、やった、これで解放された!のびのびまた書ける という爽快感を味わっていた。数時間、更新ボタンを押すまでの私は。 ところが、さっきみたらコメント(1) あーあ。 RSS購読してるのか、毎日チェッ

    律儀にコメントしてくれる人
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/03
    立ち止まった記事にはブクマやコメント、関心に引っかからなかったらスルー。長く心地よく関係を保っていきたいならそれくらいの緩さはほしい。禁止はやりすぎだと思うけど…
  • http://www.blog15.net/archives/51269090.html

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/02
    批判をしておいて、本人から突っ込まれると記事を削除するブログ。中の人はそれだけの人なのでしょう。
  • 松岡美樹さんはid:marubonさんに対して「すちゃらか」でいるべきだと思うんだ - 煩悩是道場

    weblog ◆「ご迷惑をかけました」と書かなければ「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンスになるのかだが、ご自分が紛らわしい表記をしたことにより、記事を読んだ人たち(私を含め)を錯誤させたことについては、「ご迷惑をかけました」的なニュアンスの言葉がまったくない。「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンスだ。正しい表記をするには、最低限の「編集の基礎知識」が必要だ - すちゃらかな日常 松岡美樹marubonさんは確かに「ご迷惑をかけました」とは書いていないですけれど、だからと言って『「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンス』であるという事にはならないのではないでしょうか。「ご迷惑をかけました」と書かないよりは書いたほうが良いとは思いますけれど、書かなかったら『「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンス』という事にはならないと思います。 ◆はてなブックマ

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/01
    振り上げた拳の収めどころについて。
  • コメントを残す8タイプの読者

    「コメントリストで考えられるパターン」では、ブログのコメントリストの見せ方から読者との関係を良いものに出来るかを考えて行きましたが、今回はもう少し突っ込んで読者にスポットを当てたいと思います。読者と一言でいってもブログに訪れる方は実に様々です。住んでいる場所も職種も年齢もすごく幅の広いです。それゆえ明確な切り分けは出来ませんが、コメントを残す方はある程度決まっていると思います。 もちろん人間なので、そのときのムードやちょっとしたことがきっかけで変化すると思うので明確な区別は出来ないですが、8つのタイプの方(もしくはモードになった方)がコメントを残したりコメントを残す可能性を秘めています。 友達・同僚 その人を個人的に知っているから読んでいる方も少なくないです。たとえ日常を書いた日記でもおもしろく読めるのは、文字だけでは伝わらない何かを読み取ることが出来るからかもしれません。今でも mixi

    コメントを残す8タイプの読者
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/29
    友達・同僚からゴールドメンバー、裁判官、編集者タイプまで。記事の温度や内容によって比率は変わってきそう。
  • ブログに会話を呼び戻そう:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    ブログを書いていると、「反応がなくてつまらなくない?」と聞かれることがあります。せっかく時間をかけて文章を書いたのに、コメントやトラックバックが付くのはまれで、たまに来た思ったらスパムばかり。これじゃ書きっぱなしの言いっぱなし……と感じられるわけですね。そもそも「会話」がブログの魅力の1つだったはずですから、どうも話と違ってつまらない、と思われても無理はありません。 しかしブログの外に目を向けてみれば、様々な反応があることが分かります: 他人のブログ内での言及 ミニブログやSNSなど、他のCGM系サービス内での言及 ソーシャルブックマークでのコメント オフ会等で対面した際にいただくコメント …… などなど、コメントとトラックバックがブログへの反応の全てではありません。むしろスパムが横行しているコメント/トラックバックよりも、上記の反応の方が実りある「会話」ができることがあります。その理由は

    ブログに会話を呼び戻そう:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/29
    「「誰かに読んでもらえて嬉しいという気持ちが、書こうというモチベーションにつながる」というケースが多く見られました。」はてブや☆で気軽に感想を伝えられるようになったのはホント大きいと思う。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/28
    「そのゲームに勝つために頭のいい人が逆張りエントリーやコメントを連発して、その結果として「下げる→上げる」あるいは「上げる→下げる」といった現象を生み出しているのではないだろうか。」おもしろい見方。
  • 好きだったり、気になったりするから言及するんだ - novtan別館

    大体において以下はブクマのコメントの話です。とりとめもなく、結論もなく書きます。 コメントをつける人にしかわからないこと。そのコメントをつける時にネガティブな感情でつけているのかポジティブな感情でつけているのか。その感情は、何に対してなのか。 僕は、少なくとも無条件に人に対してネガティブにはコメントしない。出来るだけエントリ単位で考えているけど、まあ、それまでの実績には影響されるな。 でも、そもそもコメントするのは何故かというと、書かれていることに対してそれが自分にとって少なくとも感想を言いたくなるくらいは興味があるからだ。 だから、書かれていることと自分の価値観を照らしてネガポジな思いが喚起されることは筆者に対するネガポジとは直接は関係ない。もちろん、内容がそれを考えた人の頭の中を想像してしまうようなものであるとき、関係が生じるけどね。 だから、他人のことだから憶測だけど、「人」に対し

    好きだったり、気になったりするから言及するんだ - novtan別館
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/27
    「その人が否定的な感情のみを受けることについての感受性を持ち合わせていたら、自分でも耐えられないんじゃないかって思うんだけどどうなのかな」