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一理あるに関するheis101のブックマーク (3)

  • 反「おもしろさ」帝国主義 | Theoretical Sociology

    何度も同じようなことを書いているので、繰り返しになるが、ストレス発散のために書く。ほかの研究者と話をしていてしばしば違和感を感じるのは、「あれはおもしろい」「あまりおもしろくない」といった基準で論文を評価している点である。学問的な基準で見て優れた論文かどうかと、ある観点から見たときおもしろいかどうかは、いちおう別の事柄である。もちろん、学問的に見て優れた論文はしばしばおもしろいのだが、必ず両者が一致するというわけではない。つまり論文の学問的価値とおもしろさは、正の相関関係にあるが、相関係数は1ではない。それゆえ、論文を評価するときには、評価者の観点から見たおもしろさは、いったんカッコにくくられなければならない(現象学的ないいまわしですが)。例えば、評価者自身の日常的実感をうまく言い当てていたり、評価者の政治的な立場にとって都合のよいことが書いてあれば、評価者は、その論文をおもしろいと感じる

    反「おもしろさ」帝国主義 | Theoretical Sociology
    heis101
    heis101 2010/02/04
    「論文の学問的価値とおもしろさは、正の相関関係にあるが、相関係数は1ではない。」「「おもしろい」という言葉の濫用が、学界の無秩序状態をさらに悪化させているのではないか、という気もする」
  • ポジショントーク大歓迎 - モジログ

    ネットではしばしば、「それはお前に都合がいいだけのポジショントークだ」といった批判を見かける。 別にポジショントークでもいいんじゃないか?と私は思う。 ポジショントークかどうかが重要なのではなく、その人の言っていることが妥当なのか、有益な見方を含んでいるのかどうかが重要だろう。 「それはポジショントークだ」と批判する人は、要するに「もっと客観的な立場から発言せよ」と言っているのだと思うが、完全に客観的になることはそもそも不可能だ。それに、ヘタに客観的であろうとすると、何を言っても主観的になるように思えてきて、保留だらけの意味不明な発言になったり、結局何も言えなくなったりする。これはちょうど、失敗やリスクを徹底的に回避しようとすると、結局何もできなくなるのと似ている。 以前、ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」を紹介したことがある。 反論ヒエラルキー http://mojix.org/20

    heis101
    heis101 2010/01/18
    「ヘタに客観的であろうとすると、結局何も言えなくなったりする。」「ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」」「DH0)罵倒、DH1)人身攻撃、DH2)論調批判、DH3)単純否定、DH4)抗論、DH5)論破、DH6)主眼論破」
  • 営業が出来る人の共通点 ~根拠のない自信からの脱出~

    大きな結果を残している人も、最初は同じ素人です。最初から見栄を張って、「出来るフリ」「根拠のない自信」を見せる必要はありません。 売れる営業の共通点は、言葉に自信があることです。営業スタイルは様々ですが、この点は共通しています。 顧客の立場になれば、当然ですね。自信もなく、おどおど商品・サービスを紹介してくれても、買おうという決断には繋がりません。もし、類似した商品・サービスを他の人からも自信を持って説明され、頼れると感じたなら、その人から買ってしまいます。 それでは、この自信はどこからくるのでしょうか? 経験です。 当たり前のようですが、多くの人が実際の経験もしないで、なんとか自信を持ちたいと思っているのは事実です。ハウツーや、ノウハウだけで吸収しようとするのは、その一つです。 それなら「長く経験すれば、自信を持てるようになるのか」という疑問を持たれるかもしれません。 その答えはNo

    営業が出来る人の共通点 ~根拠のない自信からの脱出~
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