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ブックマーク / sociology.jugem.jp (13)

  • 「夢はあきらめなければ必ずかなう」言説の功罪を大学院の文脈で考える | Theoretical Sociology

    モーニング島田編集長『「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はない』というつぶやきに対する漫画家さんたちの反応が盛り上がっていて面白く読んだのだが、私自身も研究者を目指す大学院生にどう対応するかというところで類似の問題に直面するので、少し私自身の考えを整理しておこう。「あきらめなければ夢は必ずかなう」という命題が常に真かと言われれば、島田編集長の主張する通りあきらめなくても夢がかなわなかった人はいるので、真とは言えない。しかし、もう少し確率的に解釈しなおして、 あきらめた人よりもあきらめなかった人のほうが夢がかなう確率は高い と考えるならば、これはほぼ間違いなく正しいだろう。才能がどうとかいうのは、「死ぬほど努力した後にしろ」といわれることがあるのはもっともであるし、死ぬほど努力できないのならば、それはもともと「夢」というほどのものではなかったのだろう。 しかし、夢がかなう確率は

    「夢はあきらめなければ必ずかなう」言説の功罪を大学院の文脈で考える | Theoretical Sociology
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    heis101 2012/03/04
  • 学歴社会から「学習資本」社会へ:日本の教育と社会における階級形成の再編 | Theoretical Sociology

    Takehiko Kariya, 2010, "From Credential Society to ``Learning Capital'' Society: A Rearticulation of Class Formation in Japanese Education and Society," Hiroshi Ishida and David H. Slater (ed.) Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies, Routledge, 87-113. 日学歴社会から「学習資」社会へと再編され、そのせいで階級間格差も拡大した、という Kariya の信念を表明したエッセイ。学歴社会では労働者の訓練可能性 (trainability) が重要視されたが、臨教審の答申における個

    学歴社会から「学習資本」社会へ:日本の教育と社会における階級形成の再編 | Theoretical Sociology
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    heis101 2011/12/30
  • 盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology

    社会学とは何か―意味世界への探究 (叢書・現代社会学) 社会学とは何か―意味世界への...の他のレビューをみる» 盛山 和夫 ミネルヴァ書房 ¥ 2,940 (2011-02) 書は盛山社会学の到達点を初学者向けにわかりやすく説いたもので、専門書というよりは入門書である。以下はこの書評を書くためのメモである。 痛快・伝奇的剣豪小説? 私は書を読んで山田風太郎の『魔界転生』を思い出した。『魔界転生』とは、主人公である柳生十兵衛が、魔界から魔人として蘇った宮武蔵、荒木又右衛門ら名だたる剣豪たちと対決し、勝利する物語である。盛山は書の中で、G. ジンメル、G. H. ミード、M. ヴェーバー、T. パーソンズ、N. ルーマン、J.S. コールマン、といった古典的な社会学者たちを鬼籍からよみがえらせたうえで次々に対決し、鮮やかに切り捨てていく。そのような一風変わった剣豪小説を楽しみたい

    盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology
    heis101
    heis101 2011/07/18
    「本書は学説史研究ではなく、あくまで盛山がかくあるべしと考える社会学の概説なのであり、学説の詳細かつ正確な理解は問題になっていないのである。ジンメルやミードたちは、切られ役、引き立て役にすぎない」
  • 地下に潜らせる: 西洋市場経済の中の非公式セクター | Theoretical Sociology

    heis101
    heis101 2010/04/28
    「非公式セクターが残存している理由は、近代的なセクターの隙間で余剰労働力が生存するために、規制外の仕事を作り出しているからである」
  • 反「おもしろさ」帝国主義 | Theoretical Sociology

    何度も同じようなことを書いているので、繰り返しになるが、ストレス発散のために書く。ほかの研究者と話をしていてしばしば違和感を感じるのは、「あれはおもしろい」「あまりおもしろくない」といった基準で論文を評価している点である。学問的な基準で見て優れた論文かどうかと、ある観点から見たときおもしろいかどうかは、いちおう別の事柄である。もちろん、学問的に見て優れた論文はしばしばおもしろいのだが、必ず両者が一致するというわけではない。つまり論文の学問的価値とおもしろさは、正の相関関係にあるが、相関係数は1ではない。それゆえ、論文を評価するときには、評価者の観点から見たおもしろさは、いったんカッコにくくられなければならない(現象学的ないいまわしですが)。例えば、評価者自身の日常的実感をうまく言い当てていたり、評価者の政治的な立場にとって都合のよいことが書いてあれば、評価者は、その論文をおもしろいと感じる

    反「おもしろさ」帝国主義 | Theoretical Sociology
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    heis101 2010/02/04
    「論文の学問的価値とおもしろさは、正の相関関係にあるが、相関係数は1ではない。」「「おもしろい」という言葉の濫用が、学界の無秩序状態をさらに悪化させているのではないか、という気もする」
  • 「XXとは何か?」という問いの不毛 | Theoretical Sociology

    これも酒飲み話の補論。 社会学では、「権力とは何か?」「イデオロギーとは何か?」「社会とは何か?」といった問いがしばしば問われるが、私は、こういった「XXとは何か?」という問いの形式は、教科書や啓蒙的な文脈ならばともかく、個々の研究を主導するリサーチ・クエスチョンとしてはしばしば不毛であると考えている。不毛であるというのは、他人を説得できるような証拠やロジックに基づいてオリジナリティのある結論を導くことができないだろうという意味である。 例えば、「市民社会とは何か」という問いを考えてみよう。私の知るかぎり、このような問いにアプローチする方法は、2つある。一つは現象学的な方法、もう一つは学説史的方法である。 現象学的方法とは、自らの知覚や意識を反省的にとらえ返すことを通して、自分自身が「市民社会」というものをどのようにとらえているのかを明らかにしていく方法であると考えておく。このような方法は

    「XXとは何か?」という問いの不毛 | Theoretical Sociology
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    heis101 2009/10/17
    「 例えば、「市民社会とは何か」という問いを考えてみよう。私の知るかぎり、このような問いにアプローチする方法は、2つある。一つは現象学的な方法、もう一つは学説史的方法である。」
  • 研究計画と構想発表における Research Question の設定: 修論構想を読んで | Theoretical Sociology

    ちょっと前に、修士2年の有志が修士論文の構想発表会を自主的にやっていて、そのときのレジュメを全部渡されてコメントしてくれと言われたのだが、私の専門とは異なる論文ばかりで、とくに具体的なアドバイスはないのだが、一つだけコメントすることを思いついたので書いておく。みなそれなりに勉強してはいるようだが、構想発表のやり方をあまり理解していないようである。構想発表では、要するに研究計画を発表することが期待されている(少なくとも私は研究計画を期待している)わけだが、研究計画の書き方が分かっていない人がほとんどのようである。研究計画では、研究の意義と Research Question 、それにこたえる仮説、および、その仮説を検証するための方法と、実現の見込みや今後のスケジュールなどを書くのがふつうである。科研などの研究費の申請書でもこういったことを書くことが多い。今回もらったレジュメでは、「こんな調査

    研究計画と構想発表における Research Question の設定: 修論構想を読んで | Theoretical Sociology
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    heis101 2009/10/17
    「社会学はトマス・クーンの言う通常科学とはほど遠い状態にあるため、何が研究すべきテーマなのかがはっきりしない。そこで、論文の冒頭ではっきりと Research Question を設定し、」
  • 社会学雑誌に関する(正しい、あるいは誤った)思いこみ | Theoretical Sociology

    Lowell L. Hargens, 1991, "Impressions and Misimpressions about Sociology Journals," Contemporary Sociology, pp.343-349. 社会学の雑誌の特徴について論じたもの。"Featured Essay" なので、いわゆる論文とはちがうのかもしれない。さて、 Hamilton(1991) によれば、社会学の雑誌論文のうち、出版後4年以内に参照される論文は、23%にすぎないという。つまりたくさんの論文が出版されているが、それらはほとんど読まれていないか、読まれていてもその後の研究の役に立っていないと示唆されているのである。こういった現象の背後には、社会学雑誌の数の急速な増加があり、どんなにひどい論文でもどこかの雑誌には掲載できると揶揄する研究もあるという。Hargens はこういった議論

    社会学雑誌に関する(正しい、あるいは誤った)思いこみ | Theoretical Sociology
    heis101
    heis101 2009/10/16
    「社会学(社会科学)では発見をめぐる競争がほとんどない。それゆえ、査読や出版までのスピードがあまり重要ではないため、自然科学系よりも雑誌の重要性が低い。第2に、社会学の雑誌は分散度が高い」
  • 本質的緊張: 研究におけるアイデンティティ・統制・リスク | Theoretical Sociology

    heis101
    heis101 2009/10/16
    そうそう。こーゆーのがあるから社会学がバカにされる(原因になる)んだと思う。「つまり、この論文は、常識の上塗りなのである。100人以上にインタビューして、この程度のお話しか書けないなんて、悲しすぎる。」
  • 日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology

    社会学会大会が立教大学で開かれたので行ってきた。また風邪をひいたため1日目は少し遅れていったのだが、学内で結婚式を挙げているカップルもあり(噂ではキャンパス内にチャペルがあるらしい)、1日目はよく晴れていたせいもあり、美しいキャンパスがさらに美しく見えた(写真ではあまり美しく見えませんが、1日目はこれより100倍ぐらいきれいだった)。 今回は真面目にずっと参加していたのだが、全体的な印象としては、「方法論が失われているのではないか?」ということである。方法論とは、研究を進める手続きのようなものである。例えば学説研究ならば、コーパスのようなものを作り、その範囲内のテキストはきっちりと読み進めていく、といった常識的な手続きである。かつての農村研究にも、農村にフィールドワークに行くときは、こういう手順であいさつしたり話を通したり、資料を収集・整理しなさい、といった常識的な手続きがあったはずで

    日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology
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    heis101 2009/10/16
    「けっきょく大学院できちんとした方法論を教える教師が減っているのではないだろうか。おもしろおかしい話をするだけでなく、学術的な研究が従うべき手続きや方法論をしっかりと教えるべきなのである。」
  • 本、雑誌、学術的な名声 | Theoretical Sociology

    Elisabeth S. Clemens, Walter W. Powell, Kris McIlwaine, Dina Okamoto, 1995, "Careers in Print: Books, Journals and Scholarly Reputations," American Journal of Sociology 101(2): 433-494. 1987年と1988年にAJSとASRに掲載された論文(90)、および1988年と1989年にアメリカ社会学会の賞の候補としてノミネートされた(80冊)をとりあげ、著者のその後のキャリアや生産性、被引用回数などを調べた研究。焦点のぼけた論文だが、細かなところでは結構意外で面白かった。社会学者の場合、論文とという二つの発表媒体があり、そのどちらに研究成果を発表するかで、その後の読まれ方や評価が異なるという。日アメリカ

    本、雑誌、学術的な名声 | Theoretical Sociology
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    heis101 2009/05/14
    「米国では、本であっても専門家の査読を受ける。持込原稿の出版率:コネなし→27/3640=0.7%、あり→79/940=8.4%、編集者からの依頼原稿の出版率:35/100=35%。日本での出版は「赤子の手をひねるよりもやさしい」」
  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

    明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、当に楽しい6年間でした。 最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生はしか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社もが売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先

    阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology
    heis101
    heis101 2009/03/31
    よく言った。是非広めるべき。/ 著書って、すごい気がするけどよく考えたら査読ないじゃん、的な。ソーカル事件もアレだけど、社会学の査読基準を客観的に設定するのって他分野に比べて難しいの?
  • Theoretical Sociology

    Joop de Boer and Harry Aiking, 2024, "Citizens and conspiratorial anti-science beliefs: Opposition versus support in 38 countries across Europe," Public Understanding of Science, Vol.0 No.0, pp.09636625241245371. 陰謀論的信念の探索的な国際比較研究。明確な仮説は無し。Eurobarometer (Spring 2021) を使った国際比較。従属変数は、「がんを完治する方法は存在するが、企業の利益のために秘匿されている」「ウィルスは市民の自由を統制するために政府の実験室で製造された」という二つの言明について正しいと思うかどうかを示す二値変数を平均したもの(0, 0.5, 1 のいずれ

    Theoretical Sociology
    heis101
    heis101 2009/03/26
    理論社会学
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