尖閣諸島は明治28(1895)年にわが国の領土に編入された。それに先立つ17年、福岡県出身の実業家、古賀辰四郎氏が同諸島を探検、漁業などを始めたのが開発の始まりだった。 国立国会図書館外交防衛課の浜川今日子氏の論文「尖閣諸島の領有をめぐる論点」によると、29年に沖縄に郡制が敷かれると魚釣島、久場(くば)島は八重山郡に編入され、北小島、南小島とともに国有地に指定、地番がつけられた。政府は同年、これら4島を古賀氏へ30年間無償貸与。昭和7年に古賀氏の子息へ払い下げられ、私有地となった。 古賀氏はアホウドリの羽毛の採取やグアノ(海鳥糞)の採掘、カツオ節工場などの事業を営み、最盛期には130人余りが生活。毎年、地租を納めていたという。太平洋戦争前の15年ごろ無人島となり、米軍統治を経た49~63年、親しかった埼玉県の男性(69)一族へ譲渡された。今回購入対象となった3島は男性が所有。久場島は男性の