言語と思考が不可分(密に結びついて切り離せないもの)であるか、はたまた可分であるのか、それを正面切って言及できる立場にないけれど、今回は一人のプログラマとして言語と思考という言語学から脳科学にまで及ぶであろうことについて綴ってみたいと思う。 もしも言語と思考が不可分だとあまりに強く主張すると、脳損傷などにより失語してしまったら、まったく思考ができないことになる。言葉を失っても知的な活動ができるという事実から、おそらく可分なところもあるにちがいない。きっと脳の中で言語野から遠い部分(非言語的な右脳)になるのだろう。 私が最初に習い覚えた言語は日本語である。そして、初めて学んだプログラミング言語はフォートランであった。日本語は今でも私の母語となっているが、フォートランは母語にならなかった。プログラミングにおける私の母語はスモールトークである。ソフトウェアを開発する際に思考の道具として用いている