週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
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■「勉強ができる」という蔑称(理系兼業主婦日記)を読んで思い出したのが、スティーヴン・ジェイ・グールド(優れた科学エッセイを書いたことでも有名な進化生物学者)の「恐竜の効用」というエッセイ。ちなみに、グールドはアメリカ人でニューヨーク育ち。「頭のいい」子供が苦労するのは、日本だけではないようで。 ■がんばれカミナリ竜〈上〉(早川書房) スティーヴン・ジェイ グールド (著) 子どもの文化は無残で、すさまじく反知性的になることがある。私が生き残れたのは、悪口の対象となっても絶望せず、ベースボールに関する知識でいくぶんかの尊敬を勝ちとったからである。しかし、科学に知的情熱を燃やす子どもは、うすのろとか、かたぶつとか、まぬけとか、とんまとか、奇人変人にされてしまう(どんな言葉がそのときよく使われていたか覚えていないが、残酷で独特の呼び方の一つがいつも流行っていた)。私は多くのクラスメイトから、変
教育の目的が社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校で歴史、理科、国語を教える意味はまったくないだろうね。 まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在の日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子は最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学の教養課程でやりゃーいい。 国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728 理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。 んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)と英語をばっちりと教え込む。課
追記 補足となる論考をあげましたにゃ。この花は、まことの花にはあらず@風姿花伝 - 地下生活者の手遊び 7/7 1:25 追記ここまで 皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊びで紹介した非常勤の美術講師と茶飲み話をしましたにゃ。彼によると、「ある種の【囚われた】タイプがどうも最近増えてきたのではないか」というのですにゃ。 「その、ある種の【囚われた】タイプってどういうのなのかにゃ?」 「他人と同じことをやりたくない、というやつ」 「そういうの、昔からいただろにゃ?」 「増えてるし、かたくなになっている」 音楽もそうなんだろうけど、美術についても実は「理系」といっていい部分が結構ありますにゃ。遠近法とか色彩理論とかいうプロとしては身につけなければ話にならにゃー理屈はほとんど理系的なアタマの使い方を必要とするし、デッサンの構図には「正解」といっていいものがありますにゃ。このあたりの基礎理論とか「
1. 慣性のある生活 - 一年目の教師が経験した教育現場(リンク切れ) asahi.com:夢見た教壇2カ月 彼女は命を絶った 23歳教諭の苦悩 - 社会(リンク切れ) どちらもリンク切れなので、もうひとつリンク。 教育って、みんなで「みんな上手く回るように」考えなきゃよくならないのかな 単純には、若い教師一人に教室を任せずに、ベテランを一緒に配置すればいいはず。塾での経験から、そう思う。進学塾はさておき、補習塾では当たり前のように学級崩壊します。経験不足は仕方ない、みんな最初はそんなもの。だから必要な限りずっと、新人バイトのクラスには、ベテランが補助教員として参加します。 財政が逼迫する中、教師の効率的な配置を進めるため、学校の統廃合を強力に推進すべきではないでしょうか。 あと、教育の仕事は、その大部分をマニュアル化できます。生徒の個性に合わせて云々といっても、少なくとも文書化される「計
学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会の体育・保健部会は4日、中学校の体育で選択制の武道を必修化する方針を決めた。 礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙い。 2011年度から実施予定。男子の武道は92年度まで必修だった。女子について必修化するのは戦後初めて。 伝統文化の尊重は、昨年12月に改正された教育基本法にも盛り込まれていた。 同部会主査の浅見俊雄東大名誉教授は「必修化で一層、日本の伝統に親しんでもらいたい」と話している。 武道とともにダンスも必修化される。 というニュースを見る。 不思議なことを考える人たちである。 武道とダンスを必修化・・・って、それって神戸女学院大学の「武術と舞踊で切り開く新しい教育の可能性」と「同じ流れ」なんですか?と訊かれそうであるが、私は(ぜんぜん)違うと思う。 どこが違うのか、その理路を述べたい。 日本の武道は近代におい
1981年、『ひと 2月号』(太郎次郎社)に掲載された内藤朝雄さんの文章です。愛知県立東郷高校における「管理教育」についての、渾身のルポです。(この文章は『〈いじめ学〉の時代』(柏書房)に収録され、さらに当時の教員との対談や、新たな考察が付け加えられた。) ******************* ?熱中高校?って、なんだ 〜愛知・東郷高校で何が行われているか〜 内藤朝雄 ■はじめに ぼくが高2までかよっていた愛知県立東郷高校は、1968年、現・仲谷愛知県知事が教育長のときに“新設校プラン”のモデル校として創立された。愛知県の県立高校は、大別して、新設校と既設校というふうにわけてよばれていて、東郷高校以後にできたのは新設校、それ以前からあったのは既設校というわけだ。そして、それ以降につくられる新設校は東郷高校を手本にしてつくられている。 その東郷高校で、どんな教育が行われているのか、ぼく自身
某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。 その学部では、 コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。 多くの企業は (情報系の) 新卒の学生さんに技術力よりは コミュニケーション能力を求めているというから、 そのニーズに答える形でこのような教育が行なわれるようになったのだろう。 だから責められるべきは大学側ではなく、企業側である。 なぜ情報系の卒業生に、 コンピュータ技術者としての素養ではなく、 コミュニケーション能力を第一に求めてしまうのだろう? このイベントには、学生さん達による研究発表 (パネル展示) もあったのだが、 研究内容そのものよりも、 いかに分かりやすく説明するか、 さらにいえば、聞きに来た人にいかに満足してもらうか (ひらたく言えば、いかに「わかったつもり」にさせるか) に 重点を置いているという。 企業側参加者に配ら
納豆だの波動水だの血液型だのに沸く日本列島。 安部首相率いる現政府は「識者」達の「教育再生会議」を招集し、実にステキな対策や提言を通じて教育改革に取り組んでいます。 一方、アメリカにおいては既に1985年から大規模な教育改革プログラムが発動しており、現在も進行中です。 その名も"Project 2061"。 Project 2061は、先日も書いた最強の民間理系支持団体AAASを中心として、様々な分野の専門家を集め国ぐるみで作成された一大プロジェクトであり、全アメリカ国民の科学的思考力を増進するための76ヵ年計画を米国全土、あるいは州レベルにおいて遂行せんとする極めて戦略的で具体的なプランです。 Project 2061ではまず、Science for All Americansという報告をまとめ、「科学」とは何か、そして国民が身に付けるべき「科学力」とはどういうものであるか、について徹底
「先のことは分からないから、将来どんな知識が必要になるか分からない。 だから、今のうちに、たくさんのことを、よく勉強しておきなさい。」 と言うのは、 「先のことは分からないから、将来どんなビジネスが儲かるか分からない。 だから、いまのうちに、たくさんのビジネスに、たくさん投資しておきなさい。」 と言っている、無能な経営者と同じです。 ポートフォリオ戦略を考え抜いて分散投資するのではなく、 安易な思いこみで分散投資しまくれば、不良債権の山が築かれるだけです。 重要なのは、 「幅広く大量に投資すること」 ではなく 「投資効果やリスクを考えて、戦略的に投資すること」 です。 投入できる資金(時間と努力)はごくわずかなのですから。 投資戦略立案に必要なものは、たとえば、以下のようなものです。 ●自分を待ち受ける未来の状況の予測。 ●自分の強み、コアバリュー、コアコンピタンスの洗い出しと、育成方法の
教育基本法が委員会を通過した。 これまで何度も申し上げたとおり、教育については国は口を出さない方がいいと私は思っている。 それは「国が教育に口を出さない方が私にとってよい」ということではなく、「国が教育に口を出さない方が国にとってよい」と思っているからである。 忘れてもらっては困るが、私は熱烈な愛国者であり、日本が住みよい国になって、日本国民がにこにこ幸福に暮らすことを切望する点において、私の愛国心を超える人間としては急に訊かれると村上龍くらいしか思いつかないくらいくらいのパトリオットなのである。 加えて、ガバナンスのコストをできるだけ削減したいと望んでいる点においては、おそらく日本国官僚のうちで私以上に計算高い人間を探すことはまずもって至難の技であろう。 その私が言うのだから、信じて欲しい。 教育のことはそれぞれの教育現場で各自好きにやってもらうのがもっともコストパフォーマンスがよい。
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2006.10.21 不思議な敵意 (18) テーマ:感じたこと(2892) カテゴリ:その他 教壇に立っていると、時折不思議な敵意のようなものを感じることがある。 最初の出会いの時からそれはなんとなく感じとれる。そういう信号を発している生徒は例外なく後の方、ほとんど最後列のあたりに座っている。そして、授業中によく身体を動かす。それは遠目に見ると「オマエの話なんか聞いてられないよ」というボディ・ランゲージのように感じられる。机に突っ伏したり、ぷいっと横を向いたり、隣と話しはじめたり。まあ、ふつうの教師なら「なんか態度の悪いやつだなー」と思って終わりというところである。 しかし、幸か不幸か私はふつうの教師ではない。週に二コマしか授業しないニセモノ教師ということもあるが、生徒のメッセージを受信する能力はそれほど低くないと自分では思っている。 私が「不思議な」というのは、彼らのその「態度の悪さ」
人がよりよい教育を求める、あるいは子供によりよい教育を与えたいと考える理由の1つに、教育によってよりよい職を得たい、与えたいというものがある。教育によって能力を高めることで、より収入が高く、より楽で、より社会的地位の高い職業を得ることを期待するわけだ。 ところが、現実にはそううまくいかないケースがけっこうよくあるように思う。 身近でよく聞くのは、いわゆるポスドク、つまり博士号を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学などに籍を置いて研究を続ける研究者の話だ。去年だったか、2004年度時点でポスドクが12,500人に達した、という文部科学省の調査結果が報道されていた。2003年度は約10,200人で、1年間で約2,300人増と。しかも、うち約8%が40歳以上。私自身はこの立場になったことはないが、たいへんだという話はよく耳にする。声高に主張されないことこそが深刻さの証明であるとも。 大学院進
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