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2015年10月19日のブックマーク (2件)

  • クリーネ代数への批判と賞賛: プログラムのモデル色々 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    僕は、クリーネ代数に批判的なことを言ったりしています。例えば、古く(2005年)は「実はKleene代数は好きじゃない」、最近(2014年)では「クリーニ代数と圏論」とか。批判の対象にするということは、それに興味を持っているということです。興味がないものは批判さえしません。 僕はもちろん、クリーネ代数に興味を持ち続けています。でも、「これじゃ足りない」感があるのです。その感じを記します。不足を補う方針にも言及します。過去の記事への参照をたくさん入れますが、それにより、僕がこの話題の周辺を長年ウロウロしていることが分かるでしょう。 内容: プログラムの代数としてのクリーネ代数 クリーネ代数では表せない現象 トレース付きデカルト圏とデカルト半加法圏 並列実行と同期通信 条件付き実行はどこに行った? 時分割実行と待ち合わせ クリーネ代数は足りないけど素晴らしい プログラムの代数としてのクリーネ代

  • 数学がはじまる瞬間 —『数学する身体』に寄せて― - HONZ

    数学する身体』は、独立研究者・森田真生氏が「数学とは何か」そして「数学にとって身体とは何か」を自問しながら数学歴史を追いかけた一冊である。その流れは、アラン・チューリングと岡潔の二人へと辿り着く。 そしてこの森田氏の試みを応援すべく、二人の刺客が客員レビューに名乗りを上げた。一人目は科学哲学を専門とし、同じように身体論へアプローチする下西 風澄さん。彼は書を「格闘の書」と評す。ちなみに2人目は10月21日に掲載。乞うご期待。(HONZ編集部) 私たちが心を高鳴らせるのは、いつも「はじまりの瞬間」である。 数学という完成された美しい建築物を眺め、そして学ぶとき、私たちはその起源を忘却している。しかし、そこには確かに、不安になるほどの未知と可能性に開かれた「はじまりの瞬間」、そしてそこから走り出す物語があったのだ。 書は、「数学がはじまる瞬間」、その風景を垣間見せてくれる。それは、生ま

    数学がはじまる瞬間 —『数学する身体』に寄せて― - HONZ
    hitotakuchan
    hitotakuchan 2015/10/19
    数学の対象が心と独立に存在するか、人間の心の中に存在するかは、数学の哲学における主題の一つ。一般には現在の数学は前者の立場に立って行われている。後者の立場は直観主義論理に対応する。