昨日は宮崎哲弥さんに招かれてCSの討論番組の収録でした。五時間やって五言くらいしか喋らなかったが、まあ政治経済中心だから、はなからそのつもりでした。和田さんのフィンランド惚れと、何とかいう民主党の人の「人間の尊厳」と「真善美」はたいへんおかしかったです。けどなんか、予算委員会みたいだなあ、と思いました。 それはさておき、最近、学者が小説を書くのが流行のようです。上岡伸雄さんまで書いたのには驚きました。しかもいきなり連載だというのだから、凄い。柴田元幸先生も書いたので、東大英文科の五人の文学教師のうち三人は小説書きになりました。大橋先生も書けばいいのに。 そして! 『出版ニュース』に、遂に船曳先生も小説を書くとの情報が! これで日本も西洋並みになってきましたね。加藤典洋先生も、昔は書いていたんだから、書けばいいのに。川村湊先生とか。 あ、そうだ。次に小説を書きそうなのは、やはり石原千秋先生で
村松剛について調べていて、『元号ーいま問われているもの』(日本教文社、1977)を見た。村松、黛敏郎、福田恒存、葦津珍彦らの共著。当時、元号廃止論があってそれに反対した文集らしい。村松が、前年のロッキード事件に触れて、あれだけあっても混乱が起きなかった理由として、天皇がいたからだと書いている。 これが共和国であったら、大変なことですよ。例えば、田中角栄が大統領だったらどうなっていますか。元首が牢屋にはいる。クー・デタ騒ぎでしょう。 バカか。逮捕された時角栄は総理じゃない。ニクソンは辞職したがクー・デタなど起きていない。じゃあムッソリーニはどうか。国王がいても内戦になったでしょう。結構村松というのはいい加減な人だということが分かった。
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