先日来言及している「構造構成主義」の提唱者、西條剛央氏が、氏のmixi日記で、加藤典洋氏の著書「僕が批評家になったわけ」についての感想として、膨大な「知識」を楯にではない、素手の議論ということについて述べておられた。 実は僕はこのフレーズに大いに同感し、惹き付けられた。 氏は次のように書いておられた。 そして,批評というものが膨大な「知識」を楯に展開するのではなく,基本的には素手で議論してよい,という持論にも多いに共感した。 (中略) もちろん,「フッサールがこんなことを言った」とか,「~の主張は間違っている」と批判したりといった類のことは,その人の本を読んで,理解していないとまともにできやしない。それは当然のことである(その意味でも,僕は公の媒体における「批判」という行為には慎重なのである。的はずれな批判をすることは研究者として極力回避したいことの一つだからだ)。 メロンを食べたことがな