格差問題について 今、日本では、ピヶティ・ブーム、と言うか、格差論争ブームなんですね。色んな意見があるようですが、ベトナムのような、とても貧しいけれど成長している国で暮らしていると、少し見方が違ってきます。ベトナムには、物凄く大きな格差が存在します。賄賂も含めて、お金はお金持ちに集まる仕組みになっています。でも、格差問題なんて聞いたことはありませんし、それぞれに、足るを知りながら楽しく暮らしている印象があります(国民の平均年収は30万円に満たないのですが、幸福度調査で世界2位になったことがあります)。少し話を変えますが、インフレ社会で生まれる格差とデフレ社会で生まれる格差というのは違いますね。凄くシンプル化した例ですが、10%成長の企業だと、頑張った人の報酬20%アップ、頑張らなかった人でも2%アップとかが可能です。これがインフレ下での格差。ゼロ%成長の企業だと、頑張った人3%報酬アップ、
少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした シエラレオネ反政府軍に使われた少年兵は5000人以上 麻薬で殺人に駆り立てられる少年兵 『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア ユニセフは少年兵の数を25万人と想定している。では子供達が戦場でどのような攻撃をしているのか―― 子どもたちのなかには養女がいます。メムナちゃんといいます。妻エリザベスさんの姉の娘です。 3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。 (こんなに小さな子が逆らうはずもないのに、なぜ? 兵士たちは狂っている…) わたしはこの時、自分の腕がじーんと痛くなるのを感じました。 メムナちゃんがおそわれたのは、1年前のこと。 勢いにのった反政府軍が、地方から首都フリータウンへ攻め入ってきた時のことです。 反政府軍の残酷なやり方はこれまでよりも激しくなっていました。無差別
ウガンダの小さな村に生まれ、兄弟たちと共に両親の愛情を注がれ成長した少年は、白黒写真の中で無気力な目をして銃を向けていた。 アメリカ留学中、歴史の授業の中で私はその写真と出会った。少年は十歳の時、ゲリラに村を襲われ、誘拐され傭兵となるべく訓練された。彼等によって少年の両親は殺され、兄弟たちも行方不明だという。少年の写真についての説明は口頭でされ、時間にしてみればわずか五分程度であった。しかし、その五分間は私の脳裏に焼き付き、離れられなくなっていた。 現在、紛争が起こっている多くの国で子供たちが兵士として使われている。その数は三十万人に達したといわれている。子供たちは様々な理由で紛争に加わってくる。殺された家族のための復讐や、保護のために自ら兵士に志願する子供も少なくない。しかし、誘拐される子供たちはさらに多い。誘拐されるのは少年たちだけではない。性的奉仕のため十代前半の少女たちでさえも
アメリカのオバマ政権は10月25日、アフリカで少年兵を動員している国に対する制裁の撤回を表明した。少年兵を使い人権上問題があったとしても、そうした国々と新たな軍事協力を結ぶための措置だという。 「チャド、コンゴ(旧ザイール)、スーダン、イエメンの4カ国に対して(少年兵使用防止法を)適用しないことを、アメリカの国益のもとに決定した」と、バラク・オバマ大統領はヒラリー・クリントン国務長官への覚書に記した。 少年兵使用防止法は、08年に当時のジョージ・W・ブッシュ大統領が署名した。18歳未満の少年兵を積極的に動員している国に対し、米軍による訓練や財政援助といった軍事関連支援を禁止する法律だ。米国務省が毎年発行する人身売買に関する報告書で、少年兵を動員していると特定された国に適用される。これで、この法律が適用される国は、ビルマ(ミャンマー)とソマリアだけになった。 オバマが今回こうした決定に踏み切
いつか来た道 日の丸・君が代の強制 猪熊 得郎 学校での日の丸・君が代の強制が強まっている。私には日の丸・君が代に鍛えられ、十五歳で少年兵を志願した戦中の少年時代の思い出が蘇ってくる。 戦前・戦中、四大節には各戸に日の丸の旗が掲げられた。四大節とは四方拝、紀元節、天長節、明治節である。 四方拝とは 一月一日の早朝に行われる皇室祭祀であり、神嘉殿の南座で伊勢皇大神宮・天地四方の神々を拝礼する。紀元節は、一八七二年(明治五)日本書紀の伝える神武天皇即位の日に基づいて制定された祝日で、二月十一日。一九四八年(昭和二三)廃止されたが、一九六一年(昭和四一)から「建国記念の日」として復活し、国民の祝日となった。天長節とは「天長地久」から天皇誕生日を祝った祝日であり、明治節とは明治天皇の誕生日に当たる十一月三日であった。 一九四一年四月に小学校は国民学校となったが「国民学校令施行規則」には、四大節のセ
Samuel A. Cartwright (1793–1863) Drapetomania was a supposed mental illness that, in 1851, American physician Samuel A. Cartwright hypothesized as the cause of enslaved Africans fleeing captivity.[1]: 41 [2] This hypothesis was based on the belief that slavery was such an improvement upon the lives of slaves that only those suffering from some form of mental illness would wish to escape.[3][4] Car
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