昨日のラジオクリルタイのレポートがいろんな所であがってますね。あれをやっていた同時刻に渋谷にいたにも関わらず、別件で覗くことも出来なかった私は、歯軋りするばかりです。まあ時間が空いていたとしても出席する勇気はなかったと思うけど。レポートの中で大変興味深い(というか驚きの)事実を知ったので、書いておきます。・Latest topics > 年下・年上http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom.cgi/mote/2006-05-07_junior.htm「そもそも非モテは年上と年下どっちが好きなんだ?」と。そしたら大体の人が「年下でしょ」と、そうお答えになる。「じゃあ何故年下が好きなの?」と再び問うたら、「年下の方が御しやすそうだから」という答え。えーマジで??という感じだ。間違ってる、明らかに間違ってる。いや闇雲に間違ってるとか言っちゃいけないけどさ。平坦
AFTERTOUCH surreal SxGx maniac cinema&book; review *めぐりあうたびに溺れて 見失うたびに胸焦がしてた* InverseDiaryFunction SxGx キェェェェ N山家の人々 Dairy ☆質問ダイアリー☆ ネタ帖 むらみぃ 世の中とあたしの繋がり GOOBERS ++今日のechiko++ ロストマインドガール * mayumi blog * モウソウtagebuch 読書感想日記☆ネタバレ注意警報! 癌と煙草と酒と 俺の道 toro's blog. ++ torog ++ ココアシガレット・アンダーグラウンド Deportare gorf net AFTERTOUCH surreal 2ちゃんねるの超怖い話 maniac cinema&book; review CARLTON1976 平凡な日々 秘密のホンネ ゴリラ秘話。 L
「俺、21才にもなってまだ童貞だよ orz」とか「早く処女を捨てたい・・・」なんて言う人、多いですよね。20を過ぎての童貞・処女は恥ずかしい・・・みたいな。特に若い人が読む雑誌を中心に、童貞・処女を捨てる(「捨てる」という言い方も余り好きではありませんが)ことをあおっているような気がします。 こういっちゃぁ〜なんですが、ティーン向けの雑誌のセックス経験調査って、あまり信憑性がないと思いますよ。だって、統計を取る対象が、例えば「渋谷の若者だけ」とか、アンケートをとる時もおおっぴろげに答えさせたり。本当は経験が無いのに、童貞って思われるのが恥ずかしいから、経験あるように答えることだってあるんじゃないかな・・・と。ですから、実際の経験率よりも随分と高い数字が出ているのでは、と考えています。 まぁ、他人のH経験が気になる気持ち、分かりますよ。私もそこそこ興味あります。でも、よく分からない雑誌の
みんな、みんな、なぜこんなにも苦悩しているのだろう! あわれで、あわれで、いたいたしい! わたしになにができるというのだろう! わたしをかいかぶらないでくれ! わたしをしたってきても わたしには、なにもない! わたしは、人を導ける人間なんかじゃない! 主体性のない いいかげんな人間なのだ! わたしはずるがしこく、うそつきで、女たらしで、女々しく、 弱いものをいじめて権力者にへつらう、いやらしい人間なのだ! わたしはだめだ だめだ。 だめな男なのだ! いままでにどれだけひとをキズつけてきたかわからない! ゆるしてくれ! ゆるしてくれ! (ジョージ秋山「告白」) ジョージ秋山先生の漫画は良いなあ…何時読んでもダウナーな気分にさせてくれる… それはそうと、「喪男は、真実の愛がねーぞ、とかひたすら他人に求めるくせに、自分は他人を愛さないよな」という意見をそこここで見かけるのですが、まったくその通り
なんというか酔っ払って書いてるんでその議論の正確性とかやらはとりあえず置いといてここ最近考えてたことを書いとくとする。 いわゆるオタクとか非モテのファッション論の特殊性についてである。それが脱オタにしろ非モテを固持するにしろ、彼らがファッションを語るときにその脱目的性(つまりはファッションやオシャレってのはただ楽しいからするという観点)が捨象されるという特徴がある。どちらの立場にしろ、ファッションという文化をモテるための手段という点でしか議論されてないのが非常に不思議に思っていた。 なんとなく過去の歴史を考えてみると、これは80年代的な差異の多様性による文化的平等といった話のアンチなのではないかと思う。80年代のファッション論とか消費論が今考えれば明らかに楽観的だとは思うが、現代のファッション論、ひいては趣味論がその俗流マルクス主義的なところにも行き過ぎたところを感じる。つまりはオタク趣味
悩めるオタクの自信回復応援サイト オタにつける薬 last up date:06.06.01. こんにちは。オタにつける薬 管理者のAccelです。 突然ですが、あなたは自分のオタクライフに満足していますか? 趣味のある生活はとても楽しいものですが、あまりのめりこみすぎると、自分の将来に不安を抱いてしまうようになります。 異性と仲良くなれない 趣味が違う人と話が合わない 第一印象で既に嫌われている気がする 就職できるかどうか不安。そもそも何をしたいのか分からない。 でも、これらのことはオタクなら誰でも悩んでいるのかというと、そうではありません。 漫画やアニメに携わっていてもファッションに高い感性を持つ方はいらっしゃいますし、 趣味の範囲を超えて相手と会話を楽しむことも可能です。 彼らとあなたと、いったい何が違うのでしょうか? どうすれば、彼らに近づけるのでしょうか? この機会に、少し、考え
watapoco氏の記事のタイトルにもある通り、「男と女の間には深い溝が横たわっている」というセリフは古今東西よく聞かれます。男と女は相互理解のできない生き物だ、という趣旨の著名人の格言はいくらでも挙げられるでしょう。私は長い間、このような言説に馴染めないでいました。というのも、私にとっては、同性である男性の方こそが「深い溝」を感じざるを得ない「理解し難い生き物」であったからです。 さて今回は、こうしたよく言われる「男性から見ての女性のわからなさ」が一体どのようなところからくるのか、その背後にある問題について考えていきたいと思います。引用は正午氏のこちらの記事と、それに対するwatapoco氏のTB記事より。 つまり童貞には童貞にしかわからないセックスの真理があり、モテにはモテにしかわからないセックスの真実がある。 自らの体験について語るということは、手のひらから次々にこぼれおちていくもの
何となくだけど、ブログ論(サイト論)とモテ・非モテ論は、人に注目してほしいという観点からは良く似た話だということ。しかし、両者は良く似ているようで微妙に違う。 ブログを始めた理由 ブログを始める理由は人ぞれぞれで、流行っているからとか、簡単そうだからとか色々でしょう。しかし、webという多くの人に見られる場に文章を公開するという動機の裏には、多かれ少なかれ目立ちたいとか皆に注目して欲しいという理由が必ずあるのではないでしょうか。恐竜はもういないにある、ブロガーになりたくてブログを始めた人こそまさに、人に注目して欲しいからブログを始めたのでしょう。まぁ、実際にブロガーになりたくてブログを始めた人なんているのか疑問ですが、恐らく実名主義のアルファブロガーさん達の中にはいるのではないかと睨んでいる。 関連 マスコミしか経験のないあなたがネットで情報発信する時に守ったほうがいいこと)。 上記エント
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
ぼくが驚くのは、本田さんが、オタクを差別する思想にかんしては非常に敏感なのに、ぎゃくにひとを差別する観点にかんしては案外鈍感であることです。「萌える男」には、三砂ちづる『オニババ化する女たち』を引いて、つぎのように述べている個所があります。 三砂ちづるの著書『オニババ化する女たち』(光文社新書)は、女性の負け犬化・非婚化に対するひとつのアンチテーゼだ。 内容は「女性は子供を生んで育てないと、オニババになる」という極端な話だが、萌える男の僕としては、うなずける部分も多々ある。僕は今年で三十六歳だが、思い起こせば、同年代の独身女性と一緒にいて心が癒されたという記憶がまったくない。『喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!』的な厳しいチェックの視線にさらされ、オタク趣味を咎められ、金を稼げと叱咤され、果ては役にも立たない陳腐な人生訓を長々と説教され……という経験を十数年も積み重ねてくると、「恐ろ
有閑マダムさん の萌え男への書評を読んで、、、コメントを書こうと思ったのですが、思わず長くなったので、記事で上げさせていただき ます。(あのダメならばマダムさんの部分は削除しますので、いってください)。 http://ameblo.jp/dvdrentallife/entry-10011155368.html#cbox この話は、「誰が?」によって、スゴイ変わるので、興味深い意見でした(笑) 失礼な言い方ですが、あまりに ちゃんとした大人の女性の意見からは、こうなるぞ!という見本 であった、と思ったことと、 この「萌える男」系統の意見には、実は僕は、ある大前提が隠されている、と思っているのです。 たぶん、そのことが、ちゃんと伝わって いない、と思うのです。 彼の議論の進め方は。 それは、 コミュニケーションによって実りがもたらされることはない、 という世界観・前提 です。 もう少し、細かく
目の前に見える東京タワーに向かって 二人で歩いているときのこと。 「あの東京タワーは何メートルの高さだと思う?」 と彼に聞かれました。 そんなこと急に言われても よくわからないから適当に答えた研究員A。 そしたら「それは論理的に間違ってる」との答えが。 ろ、論理的に間違ってるって‥‥。 すると彼は ある地点(A)からある地点(B)までに歩く間に 歩数を数えてそのAB間の距離を概算し さらにそのA地点・B地点から見上げた 東京タワーの角度の値から 東京タワーの高さを計算して出してくれたのでした。 【蛇足かもしれない解説】 A地点から東京タワーを見上げた角度が 30度だとすると、 30, 60 ,90度の直角三角形から (東京タワーの高さ):(A-東京タワー間)=1:√3 になるわけです。 B地点から東京タワーを見上げた角度が 45度だとすると 45, 45, 90度の直角三角形から (東京タ
最後はこちら。 はてな 私はリンク先のテキストの見解を、否定せざるを得ない。DQNに身体を許す女性達をもって、「彼女達は男を選んでいない」と考えるのは、今少し軽率ではないだろうか。男性を評価する尺度なり基準なりが女性達に無いとすれば、もうちょっと(能動性が欠如した)オタク達も選ばれて良いだろうし、『電車男』がシンデレラストーリーとして消費される可能性も生まれなかった筈だ。また、DQNに若くて思慮の無い女性が群がる構造も謎のままになってしまう。私は、女性達は評価尺度こそ様々ではあっても、男性達を何らかの形で選別していると考える。 恋愛は男のコミュニケーション能力のテストではないし、女は審査員なんかではない、ということは、「だめんず・うぉーかー」読んだらよく分かる。そういうセンサーが全然働いてない女だって結構いるってこと。 その辺のオタクなんて目じゃないくらいに自分の都合しか見えてない、空気読
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