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ブックマーク / shiika.sakura.ne.jp (2)

  • わたしの好きな詩人 第42回 – 吉田加南子 – 井上法子 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

    闇 ひとみのない 目 闇 いいえ 目ざめています 闇 じぶんのなかで立ってる 闇 わたしを傷として持つもの 闇 わたしの痛さ 誰から見られているための? * (「見ること / 闇が光となるまで Ⅰ」より) バンジージャンプをするような気持ちで、詩集をひらくときがある。 天才の威脅に身をさらしたいわけでも、何かのクッションとして比喩を求めているわけでもない。ダイヴのような、たとえば身をささげること(「献身」と「滅私」をおなじ意味では捉えないでほしい)と釣り合うくらいの安全性をもつものや、数や韻律にとらわれない他人の言葉が欲しいとき。ひとことでこころを浄化させてくれるような言葉が必要だと感じたとき。真実に対して酔っ払いたくないとき。 * 匂いという 闇 闇 わたしは囲まれているのだとおもいます * (「見ること / 闇が光となるまで Ⅴ」より) 雰囲気というものを、はじめて意識した。 改行。ま

    hyougen
    hyougen 2012/03/13
  • 私の好きな詩人 第37回 – 朝吹亮二 – 河邉由紀恵 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

    学生時代は当時はやっていたガストン・バシュラールを好んで読んでいた。渋沢孝輔訳の『蝋燭の焔』や『空と夢』『水と夢』・『空間の詩学』に『火の精神分析』。卒論は確か「川端康成に於ける水のイメージ」だった。「みずうみ」や「眠れる美女」の短編を中心に重い水や眠る水や流れる水をバシュラール風に分析した。詩論は好きだったが現代詩はあまり読んでいなかった。私にとってブンガクは大学の中だけで充分だった。それよりも進行形の恋愛の方が面白かった。今から思えば、その頃、もっと勉強をしておけばよかったと後悔することしきりなのだが「芸術新潮」だけは毎月読んでいた。宗左近の日美術論やアンドレ・マルローや「気まぐれ美術館」の洲之内徹や白洲正子のエッセイに夢中になった。七十年代前後の話だ。その頃創刊されたばかりの季刊「銀花」の装丁特集にも心奪われた。子供が生まれてからは福音館の絵と植物や昆虫の図鑑と女性誌と料理書と南

    hyougen
    hyougen 2012/02/05
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