バージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」。家のまわりがどんどん街になっていった結果、ちいさいおうちはその街で一番古い建物になった。 どんな街にも、一番昔からある建物がある。それはその街の「ちいさいおうち」だ。 それを探してみたい。
![この街にいちばん昔からある建物](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f86135dfd7404a5cb5aba778ad422037de2026ef/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdailyportalz.jp%2Fapplication%2Ffiles%2F5316%2F1124%2F0090%2Fb__2015_09_10_c_img_pc_top.jpg)
第4回八束はじめ・布野修司対論シリーズ 現代の都市論ーマッス、速度、政治ー On contemporary cities - Mass,Velocity and Politics - 日時:2015年3月13日(金)18:30~20:00 会場:日本建築学会 建築書店 ゲスト ■羽藤英二(東京大学工学系研究科社会基盤学専攻教授) 愛媛大学助教授、MIT客員研究員、UCサンタバーバラ客員教授を経て現職。交通工学研究会研究奨励賞、世界交通学会賞など数々の賞を受賞。各地の観光まちづくりや地域防災に関する研究を手がけている。「未来都市東京2050」として都市戦略を提示するなど、世界的に注目を集める都市工学研究者のひとり。 論文・著書(共著含む):『情報化時代の都市交通計画』、『社会基盤・環境のためのGIS』、土木学会賞論文賞(福山、羽藤)「バルセロナの歴史的発展過程と歩行者の行動圏域を考慮した広場
道が曲がっている部分に面している建物は、しばしばその角が切り落とされたようになっている。専門用語ではこれを「すみ切り」という。隅を切るから「すみ切り」だ。 以前からこのすみ切りが気になっていた。いろいろな「すみ切られ方」があって、じっくり見ていくと楽しいのだ。楽しいんです。 で、楽しいなあ、と思いながらとあるエリアのすみ切りを見ていたら、不思議なことに気がついたのでその話をします。
ヒストリー・オブ・ジャパン・アーキテクツのシンポジウムでぼくが喋ったこと、どうもうまく伝わっていないなあと反省すること頻りなのですが、大事な部分だけここで補足しておきたいと思います。 まず、ぼくとしてはそれなりに日本の戦後建築史の全体をカヴァーできる歴史的パースペクティブを用意しようと思いました。それがぼくへの発注だったし、日埜さんからメールをもらったその時点で、ぼくはそれをまともに引き受けようと決めました。それはどのみち愚鈍になるってことだなあと思い、つまりは愚鈍にいこうと決めたわけです。最終的に提示したパースペクティブは完成していないし、さほど新しいものじゃないとも思うけれど、むしろこれまでの歴史(をつくる先人の作業)を(できるかぎり)引き継ぎながら、ぼくなりにアップデートしたものと考えていただければありがたい。アップデートのアイディアは、2年くらい前からちょこちょこ出しながら練ってき
1月にEテレで『建築は知っている ランドマークからみた戦後70年』という番組をやっていた。ランドマークとなった建築を通して、様々なエピソードを交えながら戦後70年を振り返る内容。面白かったので備忘録的なメモ。 建築は、時代を語る。 東京の代表的な昭和建築と、戦後のエポックメーキングな出来事とを重ね、時代に、時に寄り添い、時に戦った建築家の思考の跡を辿りながら、日本という国の歩みも浮かび上がらせる。 建築は知っている ランドマークから見た戦後70年 - NHK 番組のナビゲーターは建築家 藤村龍至氏。誠実な語り口が良かった。番組の構成や意図は藤村氏のフェイスブックに書かれている。 藤村 龍至 - 昨日は「建築は知っている... | Facebook メモの内容としてはランドマークとして番組に登場する主な建築のリストと設計者、ウェブサイトのデータ、番組を見て思った個人的な感想等。写真はフリッカ
かつて、日本には戦前・終戦直後を中心に数多くの競馬場が存在していました。それらの多くは既に廃止・休止の憂き目に遭い、人々から忘れ去られた存在となっています。このページでは、そういった廃競馬場を、現在の地図に照らし合わせてご紹介します。もしかすると、お住まいの地域の近くでも、かつて競馬が開催されていたことがあったかも??? なお、当ページに含まれる情報・画像は、ウェブ上で得られたものを基にしており、そこに管理人の想像が加わり、さらに拙いスキルも相俟って、その正確性を保証できるものではありません。また、所在地の情報を得られた競馬場のみの掲載となっており、かつて存在した全ての競馬場を網羅しているわけではありませんので、予めその点をご了承いただいた上で、かつての競馬開催に思いを馳せる材料にでもしていただければ幸いです。 画像の作成に当たっては、2010年11月時点でのGoogleマップおよび国土地
平成26年10月17日 国宝・重要文化財(建造物)の指定について ◎今回の答申における特筆すべきもの 【国宝】 旧富 と み 岡 お か 製 せ い 糸 し 場 じょう 群馬県富岡市 旧富岡製糸場は,明治5年に明治政府が設立した模 も 範 は ん 的な器 き 械 か い 製 せ い 糸 し 工 こ う 場 じょう である。繰糸所 そ う し じ ょ , 東置 ひがしおき 繭所 ま ゆ じ ょ 及び西置 に し お き 繭所 ま ゆ じ ょ の3棟は,木 も っ 骨 こ つ 煉 れ ん 瓦 が 造 ぞ う による桁 け た 行 ゆ き 100メートルを超える雄大な建 造物で,工場の中核として,我が国の器械製糸工場建物の範となった。 明治政府の産業近代化の政策を端的に物語り,世界の絹文化の発展に大きく貢献した我 が国の絹産業の拠点施設であり,文化史的に深い意義がある。 【重要文化財】 名 な
太田佳代子(コミッショナー) 中谷礼仁(ディレクター) 山形浩生(エグゼクティブ・アドバイザー) いよいよ開幕が近づいてきた「第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」(2014年6月7日〜11月23日)。国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、国別参加部門に毎回参加し、日本館展示を主催しています。日本館の展示は、コミッショナー・太田佳代子氏が率いるプロジェクトチームにより、1年近くにわたって着々と準備が進められてきました。2014年のヴェネチア建築展は、「近代建築の変化100年」という共通のテーマが与えられており、日本館のテーマを「現代建築の倉」と設定し、1970年代を軸として100年の建築をひも解き、日本建築の底力に迫ります。開催に先駆け、プロジェクトチームに展覧会の詳しい内容を聞くプレビュー・トーク「In the Real World 現実のはなし――日本建築の倉から」が開催
横浜市が、旧横浜生糸検査所附属生糸絹物専用倉庫(通称「旧帝蚕倉庫」、横浜市中区北仲通5)を歴史的景観の保全を図る「歴史的建造物」に認定した。 高さ200メートルの超高層ビルが建つ北仲通北地区再開発完成イメージ 旧帝蚕倉庫は、関東大震災後の1926年に建てられた、建築家・遠藤於菟(おと)さんの晩年の大作と言われる建築群の一つで、もともと4棟あった。現存する1棟は、地上3階、地下1階建ての近代建築で、生糸などの保管に使用されていた。今後いったん解体し、隣の棟があった位置に、部材を活用した忠実な復元を予定している。内部は歴史性を生かした文化施設などとしての利用を検討しているという。 横浜市認定歴史的建造物は、「歴史を生かしたまちづくり要綱」の規定により、歴史的建造物登録台帳に登録された建物のうち、専門家による調査で特に価値があると判断されたもの、要綱により設置された「歴史的景観保全委員」の意見を
ポストモダニズムの失脚から 1980年代に全盛期を迎えたポストモダニズムは、筆者が大学に入学した96年当時、学生の目から見ても、既に色あせたものとなっていた。 建築におけるポストモダニズムは、古典主義的な建築言語を自在に引用し、コラージュするかのように表層に散りばめる、装飾過多なデザインとともにイメージされることだろう。ポストモダニズムは、機能主義・合理主義を標榜し、また抽象芸術運動としての側面も併せもっていたモダニズムを超克することを目指すものであったから、モダニズムが否定した装飾を、建築に取り戻そうとする欲望を抱えていたことは確かである。しかし日本では、ポストモダニズムによって復権したかのように見えた装飾は、バブル経済で浮き足立つ都市を飾り立てるものとして機能し、過剰に装飾された建物は、事実そうした文脈においてもてはやされたから、バブル崩壊後の経済停滞が誰の目にも明らかになるにつれて、
This site is continuous records of my activities with public from 2011 がさごそとコンピューターの隅をさがしていると、こんなの書いたなあと思う時がある。そういう時はここに流し込もうと思う。 ポストモダン前夜−1972年の断層を発端として (*初出『現代建築の軌跡 新建築創刊70周年記念号』1995年12月。はじめての1970年代論。) ●ポスト・闘争とポスト・モダンとの閾 「このつかみどころのない言葉は実に便利なものだ。なぜならどこへ到着したかでなく、ぼくらがどこから出発したかだけしか言い表わさないから」と評論家C.ジェンクスは、自らが第一提唱者として知られる「ポストモダン」の定義に、ややシニカルな補記をつけ加えている(註1)。ポストモダンは1970年代後半から80年代を通じて世界中をかけめぐった共通語であったにもかかわ
忙しさや雑事から離れ、ゆったりしたひとときを満喫できる温泉宿。泉質や宿のサービスなど宿の選び方はいろいろだが、今回は名建築を楽しめる宿を専門家に聞いた。国の重要文化財や登録有形文化財、日本を代表する建築家が手掛けた宿がずらりと並んだ。<東日本>1位 富士屋ホテル(神奈川県箱根町) 565ポイント明治の和洋折衷 明治時代をしのばせる和洋折衷の建築。外国人向けのリゾートホテルとして1878年に創業した。本館は和風建築の代表的な装飾である唐破風(からはふ)屋根の柔らかな曲線が美しい。当時の洋館に多かったよろい戸付きの上下窓がある西洋館、校倉造りの外壁の花御殿、食堂棟などの建物が国の登録有形文化財に指定されている。 メーンダイニング「ザ・フジヤ」では頭上に注目したい。日光東照宮本殿をモデルにした5メートル超の格天井には高山植物や鳥などが描かれ、欄間の彫刻や装飾は荘厳さを感じさせる。館内ツアーが毎日
「帝国日本の知識ネットワークに関する科学史研究」の研究会に参加してきましたので、簡単に参加メモを。 栢木まどか「日本統治期の台湾における都市計画・建築史――日本植民地建築史研究のレビューをふまえて」帝国日本の知識ネットワークに関する科学史研究・第3回研究会(人類学・民俗学班)、2013年5月18日、於:PORTA神楽坂 https://sites.google.com/site/imperialsciences/report/20130518 報告者の栢木まどかさんは、建築学がご専門で、最近では植民地台湾の建築の研究をおこなっているそうです。植民地の建築史研究というトピック自体はまさに植民地科学史の研究領域の一つですが、これら研究は歴史研究者を中心に進められてきました。そのため、いつもの科研報告会とは異なり、歴史学ではなく建築学の観点からの報告でしたので、よりテクニカルな部分にまで話が及び
復原された東京駅を実際に見て 藤森──まさかこういう日が来るとは思ってなかったですよ。感動しました。とにかく壊されるのを食い止めるのに精一杯で力尽きちゃっていて。驚いたのは、昔は結構雑然とした駅周辺と背後の光景だったのに、周りにボンボン新しいビルができていたことです。実はあれがかえって東京駅にとって良かったと思いました。みんなが辰野金吾(1854〜1919年)の横綱土俵入りを迎える観客のように見えました。三菱地所は無色の灰色建築をつくっていますので、おかげで邪魔にならなかった。あの周りの空間は100%ひとつの美学、三菱地所スタイルで管理されたオフィスビルで囲まれていてすごいですね。あそこに個性を主張したがる建築家が何か建ていたら相当違っていたと思いますよ。 清水──今までより周りがすっきりしたので、こんなに長い建物だったのかと驚きました。超高層が横になっているようなスケール感ですね。 藤森
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