亀山はなぜジラール理論を使ったのか さて、これまでの批判によって最初の約束を果たすことができたと思う。この批判の第一回目で私は次のように述べた。 先に引用した亀山の序文に明らかなように、亀山はこれからフロイトの「父殺し」の理論、つまり、エディプス・コンプレックスの理論、さらに、亀山の手になる「使嗾」の理論を使ってドストエフスキー論を展開してゆくと述べている。そこで、私も、エディプス・コンプレックスの理論をドストエフスキーの小説全体に適用するのは間違っているということについて説明しながら、同時に、亀山の「使嗾」の理論についてもそれが愚かな妄想にすぎないということも明らかにしてみよう。 要するに、亀山が『ドストエフスキー 父殺しの文学』の二つの柱としているフロイトの「父殺し」の理論と亀山製の「使嗾」の理論は、ジラールの模倣の欲望の理論によって否定される。ジラールによれば、フロイトのいう「父殺し