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2006年8月4日のブックマーク (11件)

  • Passion For The Future: 「人志松本のすべらない話」と「必笑小咄のテクニック」

    「人志松のすべらない話」と「必笑小咄のテクニック」 スポンサード リンク ・人志松のすべらない話 「フジテレビ系にて三ヶ月に一度放送され話題に話題を呼んだ、深夜の人気番組「人志松のすべらない話」がDVDで登場!松人志をはじめとする精鋭たちが、誰が聞いても、何度聞いても面白い実話を披露するシンプルな番組。第1、2弾放送分を収録。「衝撃の未公開映像」「すべらない話のためになる話」などの特典映像も収録。 」 会社のテレビで番組を偶然、発見して笑いが止まらず、速攻でDVDを注文。 サイコロを振って出た目の芸人が「すべらない話」をする。何度同じ話をしてもよい。司会進行兼参加者は笑いの天才、松人志。基は1,2分の小咄だが、数秒で終わるものもあるのだが、どれもきっちり笑わせてくれる。「イヌのタロ吉」という言葉を聞いただけで、吹き出すようになってしまった。どうしよう。 こうした小咄のパターン分

  • アカデミズム云々は難しいというかプロセスなのだというか - finalventの日記

    私は30歳くらいまでアカデミックな思索のなかにいた。アカデミックというのは、ネットの世界などから一般に言われているのとは違って、とてもちっこいものだ。ただ、方法論なりは明確なので、あるcontroversialな問題がでても、それなりに対応のプロセスというものがあり、ある程度学派に分散しても、そうですかで終わる。 なので、野の知識というのは、そのプロセスに耐えない。 野人は面白い発想でも土俵に登れないようになっている。これは意地悪とかではなく、アカデミズムの持つプロセスの合理性の結果なのだと思う。 ま、そんな話はどうでもいいのだが。 たいていの学者卵は実際にはそのアカデミズムとの距離で生きていく。問題はそのズレかたなのだろう。かつてはその体系のなかでこそっと生きることができた。しかし今はそうでもないだろう。 なんか当初書きたいことと話が違ってきたな。 ま、自分にしてみると。 父親の死の歳が

    アカデミズム云々は難しいというかプロセスなのだというか - finalventの日記
  • お前らいい文章書いているよ - finalventの日記

    なんだかんだって言ってもブログってのはすごいもんだ。 ⇒「俺」のターン - 携帯バイブとコンビニラバー ⇒セックスなんてくそくらえ - 売春という汚れ うまく言えないのだが、少年であることから男になることへの、狭いひりつくようなパスというものがある。

    お前らいい文章書いているよ - finalventの日記
  • 学校から、実校へ : 404 Blog Not Found

    2006年08月03日13:45 カテゴリValue 2.0 学校から、実校へ 私も今のところ「負けてなかった」のは、このことにいち早く気がついていたからだ。 分裂勘違い君劇場 - 格差は「不可視のリテラシー」によって引き起こされている それらは、学校教育では、どうにもならない。なぜかというと、学校の先生というのは、「学校を出て学校に入った人たち」だから、学校以外の世界の原理を知らないからだ。世の中が、マーケティングで生産性でマネージメントでイノベーションになっちまってることを知らない浦島太郎だからだ。学校というところは、浦島太郎が浦島太郎を拡大再生産する工場みたいなもんなのだ。 しかし、学校が格差是正装置であったというのも、また事実なのだ。 「親族」以外の教育ルートを発見し活用したことこそが、今の先進国--全ての先進国--を先進国にしたのだ。「親の後を継がない方がいい場合もある」。これが

    学校から、実校へ : 404 Blog Not Found
    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    「空間の格差と時間の格差」。近代化=みんなが貴族になること
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 魂の交わりと孤独をどちらも

    ふと思った。 朝から晩まで、「どの仕事のために 今これをやっているのか」と文脈付けられた ことばかりじゃないか。 文脈から自由な、勝手に魂が動き出すような 時間を確保しないと、やって られないと思って、即日実行したい! と思いながら歩いていった。 誰にも会わずに、一人で閉じこもるのは 得意なはずで、 どんな地下室の手記でも書いて見せるから、 さっそく・・・と思って予定表を見ると 何やらびっしり文字が書かれており、 真白き大地はどこにもない。 しかし、こういう時に現実とは異なる 仮想を想像することは昔から得意だったのであって、 空想の中ではコンサートをやめてカナダの 湖の畔に一人住むグレン・グールドである、 と思うことにした。 午前。 量子重力や情報幾何、ツイスターの 専門家であるDorje Brodyと、Julian Brody と会って議論した。 二人とも香港生まれでJulianなどは

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    一瞬の空想に遊ぶってやはり難しいことなのか、、
  • ツキモトユタカ ノ マイニチ:亀田に呆然 - livedoor Blog(ブログ)

    まあ今までは触れないようにしてたんだがさすがに昨日のには驚いた。 勝谷さんの当然の怒りを読むべし。そしてTBSラジオでの怒りを聞くべし。 切込隊長がストレートに問題点を指摘している。スポーツとしてのボクシングの問題ということにとどまらず、モラルハザードの問題でもあるのだ。隊長の指摘。 ------引用------- 最大の課題は、視聴率の取れるスポーツ系のイベントが欲しいTBSと、一連の亀田さんの一件で何が起きているのかを見極めることです。そうなると、今回の判定単体の問題ではなくて、厳重警備の元で行われた今回の試合会場に訪れた人たちの顔ぶれは、いったい何を意味していたのかが重要になります。敢えて極論を言うのならば、1920年代、マフィアの主たる財源であり続けたブロンクスのボクシング界とそう変わらない(賭けはない代わりに、放映権、つまりTBSの信用を元にスポンサーからTBS経由でどこかに流れ

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    なるほど。「興行の世界」という語彙は今まで持ってなかった、
  • まげてのばして ── 映画「嫌われ松子の一生」を考える:空中キャンプ

    「金がなければくよくよします/女にふられりゃ泣きまする/腹が減ったらおまんまべて/命尽きればあの世行き/ありがたや、ありがたや」。これは、昭和35年に、浜口庫之助の手によって書かれた「有り難や節」の歌詞である。なんとも実にいい。わたしは、人の幸福と不幸は、すべてこの歌詞に集約されているのではないかと感じることがある。そして、映画「嫌われ松子の一生」について考えると、どうしてもこの歌詞のことが頭から離れないのである。 「不幸とはなにか」について、いくらかでも真剣に考えたことのある人は、ひょっとしたらわかってもらえるかも知れないが、不幸のバリエーションってやつは、意外にすくないような気がするのである。きっと、特別な不幸などというものは存在しない。この世間に転がっているのはきっと、ありふれた不幸ばかりだ。不幸のパターンなんて、きっと三種類くらいしかないんじゃないだろうか。一、金がないこと。二、

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    納得。3つしかない不幸に対して、幸せっていっぱいある気がする。お金がなければ幸せを求めればいい、とかって思えるのは何となく今がいい気分だからかな
  • 空中キャンプ - もう把握しきれない

    この週末、DJをしている後輩の男の子と、レコード屋にいった。ここしばらく、レコードなどすっかり買っていなかったのだが、ひさしぶりに店でレコードを見てみると、値段のつけ方がどうもよくわからない気がする。疑問におもい、「あのさあ、こっち系のレコード、前はもっと高かったよね」と後輩に訊くと、「ああ、それは再発になってるし、最近は値段も落ち着いてきてるんですよ」という。なるほど。かとおもえば、以前は二束三文だったレコードに、やけにいい値段がついてたりする。今の相場がよくわからなくなっていたのだ。以前はそんなことはなかった。どのくらいの値段が妥当なのか、どういうレコードが手に入りにくいのか、たいてい見当がついたものである。最近、レコード見てなかったからなー。そのことを後輩に話すと、「なんでもそうですけど、ものごとをリアルタイムでちゃんと見ていないと、ぜんたいの流れがわからなくなりますよね」という返事

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    情報の海の泳ぎ方。無理って思いたくないけど、、
  • 2006-07-11 - 空中キャンプ

    ゴキブリはとてもいやなものだが、わたしたちには、あらためて考えておかなければいけないことがある。彼らは、危険を察知すると、逃げる習性がある、ということについてだ。やつらは逃げる。人間をこわがっているのだ。現時点では。わたしたちは、それを当たり前だとおもっている。しかし、これが仮に、逆だったらどうか。想像するだけでおそろしいことになる。 「人間を見ると、襲いかかってくるゴキブリ」 書いただけで、戦慄が走る。たとえば、台所で見かけたゴキブリ。ものすごいスピードで、こちらに向かってくる。がさがさがさ。足にかみついてくるのだ。そんなことになったら、わたしたちは、悲鳴をあげて逃げだすしかない。完全に立場逆転である。そろそろ、ゴキブリたちも、相談をはじめているのではないか。 「ひょっとすると、人間は、俺たちにびびってるんじゃないのか」 「こっちから、襲ってみるのはどうだろう」 「意外に、効果あるかもな

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    ゾッとした・笑
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 19歳の亀田興毅さんが、その人生を賭けて、私たちに教えてくれたこと

    判定に勝ったのは亀田さんで、負けたのは放送行政ということになります。 ここ二年、堀江氏が倒され、村上氏が潰され、三木谷氏がいろいろ取り沙汰されているのは何の目的があったのか、ある程度知見のある人であれば誰でも想像がつきます。我が国の重要な機能の一つ、テレビ局など放送業界を守るためでしょう。それも、アメリカ投資銀行経由や、タックスヘイブンを通して中国の資が日の放送業界の資を握って支配することに対して、官民一体となって敢然と抵抗しましょう、という話だったはずです。 ところが、日の捜査機関や情報機関が必死になって周辺事情を整理し、微罪でも何でもいいからとにかく摘発に漕ぎ着け、市場の透明性に先鞭をつけようとしている矢先に、今回の事件ですよ。 TBSは、三木谷氏からの買収に抵抗するために、各所調整のうえ、電通ほか各社からの資増強を仰ぎ、経営の独立性を確保する方向で努力してきたはずで

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    下手な陰謀を打って自分の首を絞める、みたいな話って何とも言えない感じ。どうなるか、どうするか。
  • 2006-07-31 - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。興味ぶかく見ました。 作品において、選択されている主題は、消費文明の批判、命の価値とはなにか、というふたつだった。どちらも、テーマがおおきすぎて、かんたんには答えがでない問題である。人間の欲には限界がない。その欲は、自然や環境のバランスを崩してしまう。それはもう、じゅうぶんわかっている。しかし、暑い日にはクーラーをかけたいし、よく冷えたビールをぐっと飲みたいとねがうのが人間である。そうした生活の快適さだけを求め、後はどうでもいいや、誰が飢えても、どこかの国の人が貧困にあえいでいても、このアメニティは手放せない、というような、きわめて利己的な暮らしを、この国に住むわたしたちは営んでいる。それに対して答えをだせといわれても、もちろんだせない。この前者の主題について、映画は、無自覚であるよりは、せめて煩悶ぐらいするべきであろう、と訴えているように感じた。 後者の主題、命にはなぜ価値

    imaokazuki
    imaokazuki 2006/08/04
    「命の循環」って、自殺だろうが寿命だろうが、命自体は死なないってことではないかと。自殺する人って、別に命の価値を否定してる訳じゃなくて、ただしんどいだけ?などと思う。ともかく映画観に行こう