タグ

2008年3月19日のブックマーク (32件)

  • 80年代文学史論 第1回――庄司薫論(1) - 感情レヴュー

    1980年代の文学を考えようと思ったのは、90年代から現在に至る文学の有様の一端を垣間見たいという思いからである。これはいずれ90年――95年? 00年?――代文学史論に引き継がれるものである。今回(および次回)はその前史として、庄司薫(1937年生)を取り上げる*1。 彼は1958年の東大在学時に『喪失』という作品でデビューを果たしたが(そのときは名「福田章二」名義)、それから約10年にわたる謎の休筆期間をあけてのち、1969年に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞、がぜん注目を浴びることになった。タイトルから感じ取れるイメージからしても明らかな通り、わりあい古典的で硬質な文体にのっとったデビュー作に比して、「ブロークンな口語体」「饒舌体」といわれた69年作は*2、しばしばJ・D・サリンジャーの野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(サリンジャー1951、野崎訳1964)の文体との類似点

    80年代文学史論 第1回――庄司薫論(1) - 感情レヴュー
  • 80年代文学史論 第2回――庄司薫論(2) - 感情レヴュー

    承前http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070922 自分を取り巻く世界に向けて不平不満をぶつけていた薫。そんな彼に対して、世界の中から痛み――これはオマエの痛みだ!――を告げに到来した女の子。 かくして分裂の痛みを引き受けることになった薫は、女の子の買い物にしばし付き合う。二人で銀ぶらしながら、薫の足を踏んで申し訳ない気持ちでいる女の子をなだめる薫だが、なだめられているのはむしろ薫である。個人が世界の中で生きることの分裂・矛盾した痛みを告げ知らせた女の子は、薫にとって世界との接点をギリギリとりもつ女の子でもあるわけだ。赤頭巾ちゃんは実は狼でもあったのである*1。 +++ 『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969)で庄司薫氏が問題にしたこと。それは、60年代的な価値と70年代的な価値の関係、言い換えれば、集団の中において個人を位置づけることで世界がまるく収まった時代(連帯主

    80年代文学史論 第2回――庄司薫論(2) - 感情レヴュー
  • 80年代文学史論 第3回――村上春樹をフライング気味に論じる - 感情レヴュー

    物語ることにそれほど関心をもたず、実験的なアプローチを突きつめていったあげく行き詰るタイプ。こういう、まあ理論先行型のタイプのアーティストは、我々には比較的イメージしやすい。純文学の作家に限って言えば、まず挙げられるのは、横光利一とか高橋源一郎。 他方で、貪欲に物語を語ることに全能力を捧げる作家がいる。このタイプの作家はそれこそクズ作家から巨匠まで様々いるだろうけれど、ひとまず巨匠に限定して、現在形で作品を生産している作家で僕が気になっているのは村上春樹だ。 彼は、文体のレベルから物語の構造のレベルからほとんど変化らしい変化をしてこなかった作家だという印象が僕にはある。無論これには反論があるだろう。じっさい僕にも、村上春樹のキャリアにおける変化の一々を追おうと思えば出来ないことはない。ただしそのような見方は今日したい話とは関係がない。まあ今日の話は印象論に過ぎないので、そこのところは矛盾し

  • 小説の言葉、アサッテな言葉 - 感情レヴュー

    私たちにとっての小説家・佐藤友哉の魅力は、まず何より、エンターテイメント(ライトノベル)と純文学の間でどっちつかずの優柔不断な問いを延々と重ねるところである。しばしば魅力的だと評される、彼の自意識過剰な「地声」も、エンターテイメントというか「まんが・アニメ的」(大塚英志)な物語設定とキャラ設定があってこそ映えるのであり、前者による後者への暴力的な介入が両ジャンルからの批判を喚起しつつも無視できない存在として魅力を放ち続ける要因なのだし、逆に、「まんが・アニメ的」な各種設定も、彼の自意識過剰過剰な「地声」あってこそ映えるのであり、前者のフィクショナルな環境に組み込まれた後者の軽さと過剰さと凶暴性が両ジャンルからの批判を喚起しつつも無視できない存在として魅力を放ち続ける要因なのである。 そして佐藤氏を評価する難しさの原因もおそらくここにあるだろう。彼に対して評価がなされるとき、一方のラノベなり

    小説の言葉、アサッテな言葉 - 感情レヴュー
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    『1000の小説とバックベアード』『アサッテの人』
  • モダニズム以降の表現の可能性 : 感情レヴュー

    博士論文が審査を通過しました。タイトルは、『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』です*1。興味のある方は、プロフィール欄のアドレスに連絡くだされば、データを送ります。 +++ ところで、僕が文学におけるモダニズムというときは、1920年代にマルクス主義や横光利一らいわゆるモダニストが参戦した、形式主義文学論争が念頭にあります。 そこで論争の主軸になった横光が試みたことは、大きく二点あります。まずは、作家が文学形式(言語手段)を自明なものとして何かを表現する時代に別れを告げ、そのような自明性にいまだしがみついている既成の文壇を批判したことが第一点。表現なんてそれこそ読者の取りようによって異なった解釈をされてしまうのだから、自分の思う通りに表現するのではなく(表現形式を無視するのではなく)、表現形式に注目せよ、ということが第二点。 この認識のもとに、言葉を駆使した様々な形式的実験がな

    モダニズム以降の表現の可能性 : 感情レヴュー
  • 二十世紀小説で遊ぼう!千野帽子海外小説リスト

    <千野帽子 ちのぼうし> /千野、といえばよく考えるとダウンタウンブギウギバンドのキーボードが/ /千野秀一といったんじゃなかったっけ。饒舌だけど芯/ /がある。頭が良さそうなのに、なぜか謙虚。ねがわくばサリーちゃんみた/ /いに不思議な力で街中に、愛と希望を振りまいてもらいたい。稿は、ニ/ /フティの「FBUNGAKU」に投稿された、二十世紀小説ベスト50予選、とい/ /う海外文学リストを改訂してもらったもの。その圧倒的な読書量に、驚か/ /されて、転載をお願いした。単なるリストといえばそうなのだが、二十世/ /紀小説というよりも、80年代〜90年代の、日海外文学受容のひと/ /つの典型を見る思いもする。/ 1. チンギス・アイトマートフ 『カッサンドラの烙印』(潮出版社) 『一世紀より長い一日』(講談社) 2. イルゼ・アイヒンガー『より大きな希望』(月刊ペン社) 3. ジョン・

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 古川日出男的地図作成術――来るべき古川論のために - 感情レヴュー

    ある意味承前*1 古川日出男の作品には、頻繁に地図が参照され、地名が記述される。しかし古川的地図は、その土地固有の風土をもたない。物語の背景として記述される地図・地名には、作中人物がかつて生活してきた記憶や痕跡をとどめないし、今後も生きるべき参照枠として固有の付加価値を持たない。それが古川的地図。 ここでおさらいをしておくと、そのような土地固有の風土を最終的に無効なものとして処分したのは、文学史上、後藤明生の「団地」と中上健次の「路地」だとされる。そしてそれ以降、そのような更地化した地図の上に、架空の物語を注入し、記号論的な都市空間やテーマパークを演出する試みがいくつかなされてきたのだった(村上春樹の「ジェイズバー」「神戸」から島田雅彦の「郊外」「ロココ町」など)。 しかし古川的地図に記述される地名はそのどれでもなく、無機質なものだ。作中人物が動く線と線を結ぶ交点として、あるいはエピソード

    古川日出男的地図作成術――来るべき古川論のために - 感情レヴュー
  • 現代批評の一分(3)――テクストと! - 感情レヴュー

    殺人事件の謎に萌えるのか、名探偵のキャラに萌えるのか。いや、ていうか、多分これはそんな複雑な問題じゃなくて、ミステリーは単に『面白いから』、生まれて、はやって、今もなお生きているんだと、僕はそう思いたいものです。『不気味で素朴な囲われた世界』「後書」西尾維新 僕たちはこの時代に諏訪哲史や川上未映子といった作家が登場したことに驚いているわけだけれど、そういう時代にぼくたちが小説を読めることにもっと驚いていいと思う。 もうすでに彼ら抜きの文学史など考えられないような気がするのだが、たとえば芥川賞の選考があんな(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070223)だった時代からはまだ一年もたっていないのだ。 もちろん、最近期される文学の変革の(遅すぎる?)予兆として芥川賞のここ数ヶ月にわたる変化があるのかもしれないが、芥川賞の選考委員に、いささか脱保守革新寄り(?)の異動があっ

    現代批評の一分(3)――テクストと! - 感情レヴュー
  • 映画評論家緊張日記: 拷問者の影(新装版) ジーン・ウルフ

    ジーン・ウルフの最高傑作、〈新しい太陽の書〉がついに新装版で再登場。第一巻『拷問者の影』は来月4/23に発売である(早川書房)。すでに既報の通り、新装版の表紙は小畑健。表紙が届いたので公開させていただきます。たぶんネット初公開、さあどうだ! まあいろいろ声はあると思いますが、ぼくは前にも言ったとおり、新しい読者が手に取ってくれるきっかけになってくれればいい、と前向きに考えています。 第一巻の解説を書くために一巻から順に読み直していたのだけれど、やはり面白くて途中から止められなくなってしまった。昔読んだときよりも、ずっとよくわかったような気がする。たぶん細部に気をつける読み方をするようになったのと、ウルフがヒント(読み方)を入れ込むやり方に慣れてきたからだろう。解説に「今ようやくウルフを受け入れる土壌ができた」と書いたのは、決して煽りではなく当のことだと思うのである。是非、みなさんも読んで

    映画評論家緊張日記: 拷問者の影(新装版) ジーン・ウルフ
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    ジーン・ウルフの最高傑作、〈新しい太陽の書〉がついに新装版で再登場。第一巻『拷問者の影』(早川書房)。新装版の表紙は小畑健
  • ジャン・ジロドゥ『オンディーヌ』 - 書物を積む者はやがて人生を積むだろう

    オンディーヌ (光文社古典新訳文庫) 作者: ジャンジロドゥ,Jean Giraudoux,二木麻里出版社/メーカー: 光文社発売日: 2008/03/12メディア: 文庫 クリック: 10回この商品を含むブログ (23件) を見る 「あなたがべるもの、それがあたし」 「この塩かげんがいいですね、絶妙だな」 「あたしをべて! ぜんぶべて!」(46ページ) フケーの『ウンディーネ』に基づく三幕の戯曲。漁師オーギュストのもとに立ち寄った騎士ハンスは、美少女オンディーヌと恋に落ち結婚する。しかし、性が水の精であったオンディーヌは、人間の社会に溶け込むことができない。 ――という話ではあるのだが、台詞回しは全般的にコメディ調。平凡な性格の登場人物たちが、物の天然娘たるオンディーヌに振り回される様子がコミカルに描き出されていて、ライトな感触のこなれた訳文(オンディーヌが「いってよし」とか言

    ジャン・ジロドゥ『オンディーヌ』 - 書物を積む者はやがて人生を積むだろう
  • Hatena ID

  • Hatena ID

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 今週の本棚:鹿島茂・評 『ヴェルレーヌ伝』=アンリ・トロワイヤ著 - 毎日jp(毎日新聞)

    (水声社・5250円) ◇「呪われた詩人」の逆説と栄光 ダメなやつ、どこまでもダメなやつ。甘ったれの弱虫のくせに酒が入ると急に気が大きくなり、身内の者に見境のない暴力をふるう。酔いがさめると激しい後悔に苛(さいな)まれ自己嫌悪の塊になるが、反省が続くことは決してない。最後にはだれからも見放されて孤独のうちに死ぬ。そう、われわれの回りにいそうな弱く惨めな人間。だが、この人生の落伍者は偶然にも超一流の詩人であった。ためにマイナスのベクトルは一挙にプラスのベクトルに転化して、「落魄(らくはく)の詩人」という栄光に満ちたイメージでわれわれの前に立ち現れることとなったのである。伝記作家アンリ・トロワイヤが読者に届けようとしたのは、どうやらこうした文学特有のパラドックスの有り様であるらしい。 一八四四年、メッスの軍人家庭に生まれながら、一人っ子として甘やかされたヴェルレーヌは、自我を肥大させながら育つ

  • 2008-03-14

    ブログをサボっていたというより、ある単行を読んでいて文芸誌をあまり読んでません。 『決壊』が終わると尚更モチベーションが下がりそうで恐いです。(別に恐いことはないか。誰に叱られるわけでもないし。) 売り切れが恐いので一応4月号は買いましたが。 あれだけ『決壊』を面白い面白い言っておきながら、なぜか平野ファンという方向に行ってない私は、最近出た対談も評論も持ってないし、平野氏のブログもたまに覗くだけ。そんなこんなで先月号を読み終わって初めて今月号が最終回と知ったのだが、内容はというと余りに悲しい終わりで、しかしこの終わり方しかなかったというぐらい納得できる終わり方。 類似事件がフォロワーによって頻発するようだと、『ワールドイズマイン』みたいでマンガちっくになるところだが、それも抑えられて、リアリズムの緊張感を残してくれた。 印象に残っているものを思いつくまま挙げると、まず、TV番組で得

    2008-03-14
  • 2008-01-09

    ラジオなんかたまに聞いて、やっぱり音楽っていいなあ、と思ったりする事があるんですけど、積極的にCDで何かを聴いたりする気には、最近ほとんどならないのは何故なんでしょう。 昔は趣味欄に音楽鑑賞とか書いていたくらいなのに。 超有名な作家であるが、きちんと読むのは初めて。そんな奴がこんなブログをやっていていいのだろうか、という疑問は至極当然という気もする。(だから勝手ながら、悪評のときなどあまり気にしないで欲しいんだけれど。) とりあえず、『すばる』を除く買った新年号3誌のなかで、いちばん心動かされた作品である。ただどこが?と言われると困惑してしまう。文章も平易だし、難しい単語が使われているわけでもない。中学生でも高学年なら読めるかもしれない。それに、例えば、人の気持ちが雲になるというモチーフも単純といえば単純。ただ、それも、こういう平易な文章で表現されると違和感がなく、かような単純な感情を平易

    2008-01-09
  • 『ニッポンの小説』高橋源一郎 高橋源一郎様ありがとうの巻 『文學界』2008.3より - 文学は面白いのか(仮題)

    陽射しの色も変わってきましたね。 私がいちばん好きな季節の到来です。寺山修司には、われに5月を、という名言があってその意味合いの正確なところは分かりませんが、我に3月4月をと私なら言いたいところ。 気候の寒さと陽の光のミスマッチがなんか心地良くって、日当たりの良い所にいると"さむ気持ちよい"のです。 でも、もっと大きな理由は別れと出会いの季節であることでしょう。とりわけ出会い。 新しい組織や状況に立たされることで否応無く感じさせられる緊張感、そして孤独感。一人で世界と対峙していることが一層意識され、風景への意識を鋭敏化させるのでしょうか。 じつは花粉症なんですが。 いつもつまらんつまらん紙の無駄だと言ってきた高橋源一郎のページだが、じつは、『新潮』の福田和也の連載などと違って一応目を通している。たんに何をどう書いてくるのか予想がつきにくい部分もあるからなのだろうが、正直、高橋源一郎にたいす

    『ニッポンの小説』高橋源一郎 高橋源一郎様ありがとうの巻 『文學界』2008.3より - 文学は面白いのか(仮題)
  • Passion For The Future: 一億三千万人のための小説教室 高橋源一郎

    一億三千万人のための小説教室 スポンサード リンク ・一億三千万人のための小説教室 私は小説を書くのが子供の頃からの夢である。でもまだひとつも書いていない。いいガイドはないものかとずっと探しているわけだが...。 高橋源一郎が書くのだから並みの内容ではあるまいと予想して読んだが冒頭から「実際、わたしの知っている限り、「小説教室」や「小説の書き方」を読んで小説家になった人はひとりもいません。」と読者を突き放す。 「真実というものは、知ってみると、たいていガッカリします。身も蓋もない、という感じだからです。この「小説家」の代わりに、「音楽家」や「数学家」や「建築家」ということばを入れてみてください。みんなあてはまっちゃう。ほんとに、真実って味気ない。」 とはいいつつも、もちろん高橋源一郎なりのアドバイスがある。「つかまえる」「口まねする」という二つの方法が小説家になる近道だと教えている。 つ

    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    私は小説を書くのが子供の頃からの夢である←そうなの?!是非実現してほしい
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    記事になってる。嬉しい! cf. http://b.hatena.ne.jp/inmymemory/20080306#bookmark-7764649
  • [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート): 極東ブログ

    書「2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)は昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)で扱った書籍の続編にあたる。 ストーリーの展開としては、「自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)の20年ほど前の話になるので、スターウォーズのシリーズのような趣もあるが、内容的な展開からすれば、出版された順序で、つまり、現代に近い「自分の小さな「箱」から脱出する方法」を先に読み、それから「2日で人生が変わる「箱」の法則」を読んだほうがよいだろう。こちらのだけ単独で読むこともできるし、ある程度の読書人が普通に読めばわかるように書のテーマは、9・11事件とその後の世界をどう捉えるかという壮大なテーマが仕組まれていることで、読後のかなり重みを受け

  • 意義のある人生は、スピードや効率の問題ではない──『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則』

    スティーブン・R・コヴィー、レベッカ・R・メリル、A・ロジャー・メリル『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則』(キングベアー出版刊) 従来の時間管理は、「物事を効率的に行っていれば、いずれ人生をコントロールできるようになる。そして、コントロールできるようになればなるほど、安心感と充実感が得られる」というものでした。 私たちはこの意見に賛同できません。 何もかもコントロールできる能力を身につけて幸せになろうとしても無駄なことです。自分の行動を選択することはコントロールできても、自分の行動から生じる結果は、自分ではコントロールできません。なぜなら、それをコントロールするのは「原則」だからです。(p.13) 12 年前に刊行されベストセラーとなった『7つの習慣』の続編となる書は、「7つの習慣」の第3の習慣である「重要事項を優先する」に焦点を絞り、精細に解説している。刊行から8年が

    意義のある人生は、スピードや効率の問題ではない──『7つの習慣 最優先事項―「人生の選択」と時間の原則』
  • いただいたコメント等について(1/2) - I 慣性という名の惰性 I

    まあ正直ここまでのことになるとは思ってもいなかったので、ずいぶんと楽しませてもらいました。ほとんどネガコメがなかったのも驚き(と知人に言ったら(゚Д゚ )ハァ?って顔されましたが)。 はてブ、トラバ等々でコメントもずいぶんといただきましたのでとりあえずお答えできる範囲で。 このエントリでは主に最初の『新社会人が読んどけと思うのリスト』について、次のエントリは主に『新人の面倒を見る羽目になった人向けのリスト:三部作』についてという形で。多少オーバーラップすることもありますが、まあそこはそれで。 ⇒新社会人が読んどけと思うのリスト - I 慣性という名の惰性 I ⇒新人の面倒を見る羽目になった人向けのリスト:前編 - I 慣性という名の惰性 I ⇒新人の面倒を見る羽目になった人向けのリスト:中編 - I 慣性という名の惰性 I ⇒新人の面倒を見る羽目になった人向けのリスト:後編 -

    いただいたコメント等について(1/2) - I 慣性という名の惰性 I
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    新社会人が読んどけと思う本のリスト/新人の面倒を見る羽目になった人向けの本リスト
  • 『他人とふれ合い、自分と向き合う』: 愛する人に愛される方法

    独りぼっちでいることが耐えられない、という人がいます。 買い物に行くのも、事をするのも、必ず誰かを誘って行きます。 休みの日に家で独りで過ごすなどということは考えられず、手当たり次第に友人たちに連絡をし、誰もつかまらないと、まるで自分だけが世の中から取り残されてしまったような不安と焦りにさいなまれます。 他人との一体感をもつことでしか、自分の存在意義を確認できないのです。 人当たりはよく、社交的に見えるのですが、他人と対立することを避け、心には憤がたまっています。 他人に文句が言いたくても言えず、笑顔をつくってしまう。頼まれれば、嫌なことでも断れない。他人の感情を素早く読み取り、自分を押し殺して相手に合わせてしまう。 心がすり切れるほど他人に気を遣ってでも、独りぼっちになることを避けようとしているのです。 それだけに、自分を尊重してくれない人がいれば、はげしい怒りを感じます

    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    独りでいるときは他人と一緒にいるように、他人といるときは独りでいるように
  • 詩人ではない人間が詩を書く方法 - 両世界日誌

    ヨーロッパの伝統的な芸術の分類法に、建築、音楽、絵画、彫刻、文学、演劇の六つにわけるというのがある。七番目が二十世紀になって発達した映画で、八番目以下もあることはあるが、それらは多かれ少なかれハイブリッド種に属する。 ところで、こうやって芸術を分類してみると、文学だけがほかのものと比べて異質なことに気づく。というのも、文学にはそれに対応する専門の教育機関が存在していない。もちろん大学に文学部というのがあるが、それにしても小説や詩の書き方を教えているわけではあるまい。 詩(歌)や小説の書き方を先生について習う──むかしはそういうこともおもに私塾や個人教授によって行われていたようだが、しかしそういう環境から偉大な詩人や小説家が出たという話はあまり聞かない。 これは文学というものが芸術として一人前ではない証拠だろうか。 ドイツ語では文学者をひとまとめにしてDichter(詩人)と呼ぶ。これでいく

    詩人ではない人間が詩を書く方法 - 両世界日誌
  • いかに書かないか - www.textfile.org

    だから、いかに書くかなんて考えたことはなくて、いかに書かないかばかりを考えている。小説を書き始めた頃に、これに気づき、以来ずっと、どこまで削れるか、というチャレンジを続けている。 http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/03/post_1754.php 非常に興味深い文章。 結城の場合はどうだろう。結城が文章やを書く流れはこうだ。 複雑・難解だけれど興味深い現象や事象がある。 その「原典」や解説文があるけれど読みにくい/分かりにくい。良さが伝わらない。→いらいらもやもや。 書きたい、と思う。 勉強しながら、少しずつ何かを書く。 いくら長くてもいいから、全部を説明しきる(書くこともあれば、書かないこともある)。 読者にわかってもらえるトピック、さらに学ぶための核になるトピックを選ぶ。 適切な比喩、適切な物語を何とか見つけ出す(書き

    いかに書かないか - www.textfile.org
  • 書き続ける見知らぬ人々に感謝と敬意を込めて - 試作型思索と詩作

    日記書きの心得毎日、何かを書いてると、これを書こう、と不意に思うことがあるのだが、時間が無いから後回しにしてしまうことがある。そうすると、これは書かない方が良いんじゃないか、という気持ちが後から出てきて結局書かなかったりする事がある。また、それが誰かの考え方に異を唱えるものだったり、反発する思いを込めたものだったりすると、その分、多くの気力が必要になるため「そんな気力と時間は自分には無い」と判断して書かないという事もある。そうやって、書かないことが賢明なのか、臆病なのかは、なかなか判断のしづらいところだ。書くことが正しいのか、書かないことが正しいのか。 なんで、こんなことを思ったのかというと、今日の朝、書きたい、と思ったことがあったのだが、それが結構、自分の痛い所に触れる話で、さらに答えのはっきりしてないモヤモヤとしたものだったものだから、帰ってきたら、書く気力が無くなってしまっていたのだ

    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    これは時々感じる。誰かのアウトプットに助けられたり、突き動かされたり。見知らぬ誰かがそれとは知らず、支えてくれる
  • suVeneのあれ: 「表現」するということと、その「読者」

    2008年03月18日 「表現」するということと、その「読者」 どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) - ヘボメガネ一進一退 http://d.hatena.ne.jp/hebomegane/20080317/1205724829 を読んで。 リンク先の内容は、「読者はいったい何を求めているのか」ということなのだが、これを読んで最初に思ったことは、「著者はいったい何を求めているのか」だった。 ブログを書く目的とは何か 人によって、ブログを書くこと。すなわち、文章によって表現する意味というのは様々だろうが、俺にとってブログを書くことをいうのは、技術的な話は別として、自分の意見に対する反応をみる事が一番の目的であると思う。反応をみてどうするのかといえば、自分の意見との差異を考えたり、自分にない視点を参考にしたりしている。 そういっ

  • 身内読者を苦痛に感じるブロガーと、よそ者読者を苦痛に感じるブロガー。 - 真性引き篭もり

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

  • 読冊日記 - 2003年5月29日(木) ブログ

    赤瀬川源平の『超芸術トマソン』の表紙を飾っていた、あの衝撃的な写真がどこかにないかな、と探してみたらありました。この場所は現在、アークヒルズになり、同じ位置にはサントリーホールが建っているそうな。撮影したのは飯村昭彦さんという写真家の方。 「トマソン」が次第に話題に上らなくなったのは、街が変化するスピードがあまりにも速くなりすぎたからか、路傍のしょうもないものを愛でる余裕を失ったからか。 あまりにも有名なので今さら紹介するのは気が引けるのだけれど、「トマソン」的な視点で東京をとらえた素晴らしいサイト東京真空地帯も私の好きなサイトのひとつ。いずれ消えゆく(あるいはすでに消えた)、はかない風景の記録。

    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    最近のウェブの世界は光が明るくなりすぎて、沈黙、夜の闇といった、儚いコミュニケーションを受け入れる土壌が急速に失われているような気がする。真夜中ひとりで黙っていないと、銀河通信は届かない。
  • ブログとブ日記 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私がもっぱらウェブを読む人だった頃、ウェブで書く人たちのたくさんの言葉の中で、心に残る言葉がありました。ウェブで書く人になった今も、ときどき読み返します。風野春樹さんの読冊日記2003年5月29日の「ブログ」と名付けられた日記の中の言葉です。 そしてまた、ウェブログに限らず最近のウェブの世界は光が明るくなりすぎて、沈黙、夜の闇といった、儚いコミュニケーションを受け入れる土壌が急速に失われているような気がする。真夜中ひとりで黙っていないと、銀河通信は届かない。 谷山浩子さんの「銀河通信」という曲の歌詞の中に「それはどこか宇宙の果ての知らない星からの長距離電話」という言葉があって、そんな不特定多数の見知らぬ誰かに向けられた、小さな言葉のことを、風野さんは銀河通信と呼んでいます。 細い、細い糸で結ばれたような儚いコミュニケーション。そもそもウェブ日記にとってもっとも重要だったのは、そうしたコミュ

    ブログとブ日記 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    人が本当に言いたいことは、沈黙という言葉の中にあるのではないか←書けなかった思いに、言葉にできない感情に、潜んだ熱情。悔恨または愛惜。眠れぬ夜に書き殴る懸想文
  • 70のトラックバックを読むだけの、めったにないお仕事です。 - Attribute=51-コメント欄(tamao氏発言)

    もしかしたら、自分はこういうことを言ってはいけないポジションなのかもしれないけど、 どうしても書きたくなっちゃったので、あえて空気読まずに勢いで書いちゃうことにした! 春だし! 「要は、勇気がないんでしょ?」にたくさんの意見をもらいました。 この記事に限らず、自分は自分の書いたエントリーでもらったコメント、ブコメ、トラックバック、 果てはトラックバックしてない記事まで、見つけられる限り全部読むようにしてます。テクノラティ超便利。 なので、「要は…」の記事についても同じように全部読もうと思ってます。 特にトラバは、相手もちゃんとしたエントリーなので気合い入れて読むことになります。 今回の内容は、賛否両論(と言っていいかわからないけど)を呼んでしまった内容なので、褒めてもらえることの一方で、 叩かれ方も結構なもんでした。 そりゃ、「こいつは死んで欲しい」とか「殺したい」とか書いてあれば、やっぱ

    70のトラックバックを読むだけの、めったにないお仕事です。 - Attribute=51-コメント欄(tamao氏発言)
    inmymemory
    inmymemory 2008/03/19
    暫くブログから遠ざかっていたけれど、また書きたくなった。求めているものと目指しているものの相違。期待されていることとやりたいことの齟齬。理解されたことと伝えきれないことの宿命。