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  • ウィリアム・ブレイク - Wikipedia

    ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757年11月28日 - 1827年8月12日)は、イギリスの詩人、画家、銅版画職人。預言書『ミルトン』の序詞「そして古代にあの足は[1] (And did those feet in ancient time)」に1918年にヒューバート・パリーによって音楽が付けられたものが、聖歌『エルサレム』として、または事実上のイングランドの国歌として現在のイギリスではたいへんよく知られている。 生い立ち[編集] 1757年11月28日、ロンドン、ソーホー地区のゴールデン・スクエア、ブロード・ストリート(現ブロードウィック・ストリート)28番地に、下商人ジェイムス・ブレイク、キャサリン夫の間に第3子として生まれ、同年12月11日にピカデリー教区のセント・ジェームズ教会で洗礼を受ける。幼少期から絵の才能を示して絵画の学校に入り、1772年に彫刻

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    inmymemory 2021/04/11
    「ブレイク著作集(名古屋大学出版局)」の翻訳により梅津済美が1989年第26回日本翻訳文化賞受賞
  • ペトラルカ - Wikipedia

    ペトラルカ フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304年7月20日 - 1374年7月19日)は、イタリアの詩人・学者・人文主義者。ペトラルカは、学者としてはキケロに範を取ってラテン語の文法を整備し、また詩人としては一連の抒情詩集(カンツォニエーレ(イタリア語版))を物した。なお、「ペトラルカ」とはラテン語式に付けた名で、名はフランチェスコ・ペトラッコ (Francesco Petracco)。 生涯[編集] 中世イタリアのアレッツォ生まれ。父であるラテン系公証人(英語版)セル・ペトラッコ(英語版)は、詩人であり政治家でもあったダンテとも政治的に繋がりのある人物である[1]。グェルフィ党(教皇党)白派に属したが、黒派との政争に敗れ、フィレンツェを追放された亡命者であった。一家は1309年にアヴィニョンに居を移したローマ教皇クレメンス5世に従い(アヴィニョ

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    inmymemory 2021/04/11
    「カンツォニエーレ -俗事詩片(名古屋大学出版会)」の翻訳により池田廉が1992年第29回日本翻訳文化賞受賞
  • パウル・ツェラン - Wikipedia

    パウル・ツェランまたはツェラーン(Paul Celan、1920年11月23日 - 1970年4月20日)は、当時ルーマニア(それ以前はオーストリア)で現在はウクライナに属するブコビナ地方チェルニウツィー出身のドイツ系ユダヤ人の詩人。 名はパウル・アンチェル(Paul Antschel/ Paul Ancel)。パウル・ツェランという名前はユダヤ系の名を隠すためアナグラム化したものである。戦後のドイツ語圏詩人の代表的存在であり、20世紀を代表する詩人の一人とされる[1]。 生涯[編集] 1920年、両親ともユダヤ教徒の家庭に生まれた[1]。家でドイツ語を用いたが、6歳でユダヤ系(ヘブライ語)の国民学校、10歳でルーマニア国立ギムナジウム(ルーマニア語)と、早くから多言語の習得を余儀なくされた。1939年よりチェルニウツィー大学でロマンス語文学を学んでいたが、1941年、ナチス・ドイツ

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    inmymemory 2021/04/11
    「パウル・ツェラン全詩集全3巻(青土社)」の翻訳により中村朝子が1992年第29回日本翻訳文化賞受賞
  • シュテファン・ゲオルゲ - Wikipedia

    シュテファン・アントン・ゲオルゲ(Stefan Anton George、1868年7月12日 - 1933年12月4日)は、ドイツの詩人。ドイツ詩における象徴主義を代表する人物である。 1868年、ライン川湖畔のビューデスハイム(現ビンゲン・アム・ラインの一部)に生まれる。父は旅館業、のち葡萄酒の仲買人であり、経済的には恵まれた環境で育った。ダルムシュタットのギムナジウムに学び、この頃から詩作を試みる。ギムナジウム卒業後はすぐには大学へ行かず、1年ほどスイス、イタリア、パリ、スペイン各地を放浪。パリ滞在中マラルメに会い、象徴主義的詩風を確立する上で多大な影響を受けた。ベルリン大学で学んだ後1902年に『芸術草紙』を創刊、芸術至上主義に共感するフーゴ・フォン・ホーフマンスタールなどの同志が集まりゲオルゲ派とも呼ばれた[注釈 1]。 マクシミリアン・クローンベルガー1902年に当時14歳の美

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    inmymemory 2021/04/11
    「ゲオルゲ全詩集(郁文堂)」の翻訳により富岡近雄が1994年第31回日本翻訳文化賞受賞。ドイツ象徴主義詩人
  • トーマス・ハーディ - Wikipedia

    イギリス指定建造物として保存されているドーチェスターのマックス・ゲート トーマス・ハーディ(Thomas Hardy OM, 1840年6月2日 - 1928年1月11日)は、イギリスの小説家、詩人。ドーセット州出身。トマス・ハーディと表記されることもある[1]。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 1840年、トーマス・ハーディは6月2日、イングランド南部、ドーセット州の州都ドーチェスターの近郊の小さな村ハイアー・ボックハンプトン(Higher Bockhampton)に生まれた。先祖はフランスから渡来したらしいが、同名の父は石工の棟梁で、母はサクソン系の地主の家柄のジマイマ・ハンド。彼はその4人兄弟の長男として生まれ、弟妹にメアリー、ヘンリー、キャサリンがいた[2]。村の周囲には、のちに作品の架空の舞台となるエグドン・ヒースのような、ヒースの生い茂った荒野があった。読書家の母の影響で幼少時

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    inmymemory 2021/04/11
    「トマス・ハーディ全詩集 I・II(中央大学出版局)」の翻訳により森松健介が1996年第33回日本翻訳文化賞受賞
  • ジョン・ダン - Wikipedia

    ジョン・ダン(John Donne, 1572年 - 1631年3月31日)は、イングランドの詩人、著作家、後半生はイングランド国教会の司祭。 カトリックの家の生まれで、イングランド国教会に改宗するまで宗教的迫害を経験した。優れた教養と詩の才能にもかかわらず、長く貧困の中で生き、富裕な友人たちに頼らざるを得なかった。1615年に国教会の司祭になり、1621年にセント・ポール大聖堂の首席司祭(Dean of St Paul's)に任ぜられた。そういった背景がダンの文学作品(初期の恋愛詩・風刺詩から晩年の宗教的講話に至るまで)に反映しているという意見がある。 大胆な機知と複雑な言語を駆使し、恋愛詩、宗教詩、講話を書く。形而上詩人の先駆者とされる。代表作に『蚤』、『日の出』といった唄とソネット、「死よ驕るなかれ」の一節で知られる『聖なるソネット10番』や『冠』といった宗教詩がある。T・S・エリオ

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    inmymemory 2021/04/11
    「ジョン・ダン全詩集(名古屋大学出版局)」の翻訳により湯浅信之が1997年第34回日本翻訳文化賞受賞
  • 李賀 - Wikipedia

    李 賀(り が、791年(貞元7年) - 817年(元和12年))は、中国・唐代中期の詩人。字は長吉。官職名から李奉礼、出身地から李昌谷とも呼ばれる。河南府福昌県昌谷(現:河南省洛陽市宜陽県三郷鎮[1])の人。その詩は伝統にとらわれず、はなはだ幻想的で、鬼才と評された。 李賀・『晩笑堂竹荘畫傳』より 李晋粛の長男として生まれる。その祖は唐の高祖李淵の叔父の鄭孝王李亮であるという。その長男の淮安靖王李寿(字は神通)、さらにその十一男の呉国公・益州大都督李孝逸から3代あとの子孫が李晋粛であるという。李賀はその出自を大いに誇り、出身地を唐帝室と同じく隴西郡成紀県(現在の甘粛省天水市秦安県)と称していたものの、李賀の生まれたころには中産階級に没落していた。父の李晋粛はまた杜甫の親族で、陝県県令など地方官をもっぱらとする中堅官僚だった。陝県は洛陽と長安の両都を結ぶ途上に位置する要地で、帝室の血を引く

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    inmymemory 2021/04/11
    「李賀歌詩編・全3巻(平凡社)」の翻訳により原田憲雄が1999年第36回日本翻訳文化賞受賞
  • ルドヴィーコ・アリオスト - Wikipedia

    レッジョ・エミリアで要塞司令官をしていたニッコロ・アリオストの息子として生まれる。幼少から詩を好んでいたが父の命令により5年間を法律の勉強に費やす。26歳の時についに許しを得てグレゴリオ・デ・スポレートのもとで主にラテン語の古典を中心に研究することができるようになったが、グレゴリオがフランチェスコ・スフォルツァの家庭教師としてフランスに随行したために、ギリシア語を学ぶ機会を失う。父が亡くなって、長子として大家族を支える責任を負うこととなり、エステ家の枢機卿イッポーリト1世に仕え、将校・外交官として活躍し、のちフェラーラ公アルフォンソ1世の弟イッポーリトに仕える。1517年以降はガルファニャーナの総督となったが、晩年に結婚して余生をフェラーラで送ったアリオストとレオナルド・ダ・ビンチは、イッポリト・デステ枢機卿の姉、イザベラ・デストがパトロンだった。枢機卿がハンガリーへ旅をする際、アリオスト

    ルドヴィーコ・アリオスト - Wikipedia
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    inmymemory 2021/04/11
    ルドヴィーコ・アリオストの代表作である物語詩「狂えるオルランド」 の翻訳により 脇功が2001年第38回日本翻訳文化賞受賞
  • エドマンド・スペンサー - Wikipedia

    エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser, 1552年頃 – 1599年1月13日)はイングランドの詩人で、エリザベス1世の時代に活躍した。仕立て職人ジョン・スペンサーを父に生まれる。アイルランドに赴任していた時に反イングランド暴動に遭遇した。『妖精の女王』が最も有名な作品である。 生涯[編集] 少年期、ロンドンのマーチャント・テイラーズ・スクール(en:Merchant Taylors' School)で学んだスペンサーは、ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジに奨学生として入学を許可された[1]。 1570年代、スペンサーはアイルランドに行くが、おそらく新しく赴任したアイルランド総督(Lord Deputy of Ireland)アーサー・グレイ(en:Arthur Grey)に仕えていたものと思われる。1579年から1580年に起こった二度目のデズモンドの反乱(en:Se

    エドマンド・スペンサー - Wikipedia
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    inmymemory 2021/04/11
    エドマンド・スペンサーの代表作の長編叙事詩「妖精の女王」 により 福田昇八が2017年第54回日本翻訳文化賞受賞
  • ルネ・シャール - Wikipedia

    ルネ・シャール(René Char、1907年6月14日 - 1988年2月19日)はフランスの詩人。シュルレアリスムの運動に参加するが、5年ほどで離れる。断章形式、アフォリズムによる、しばしば難解、晦渋とされる形而上詩を書いた。ナチス・ドイツ占領下でレジスタンス運動を率い、このときに使用した偽名からアレクサンドル隊長として知られることになった。ブラック、ピカソ、ミロ、ド・スタール、ジャコメッティなどの前衛芸術家との共同制作による詩集・詩画集を多数発表するほか、カミュ、ブランショ、バタイユ、ハイデガーなど同時代の作家・思想家とも交流が深かった。 1907年6月14日、南仏リル=シュル=ラ=ソルグ(フランス語版)(プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、ヴォクリューズ県)にルネ・エミール・シャールとして生まれた。4人兄弟姉妹の末子であった。両親とも労働者階級の出身で、母マリー=テレー

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    「ルネ・シャール全集(青土社)」の翻訳により吉本素子が2020年第57回日本翻訳文化賞受賞
  • PPZ Reisindustrie Nieuws [nl] | Tourism Portal - Toerisme, Vrije Tijd En Reizen, Attracties | April 06, 2024

    April 2024 De 10 beste restaurants in Oost-Atlanta East Atlanta is een bruisende buurt. Met talloze attracties, winkels, winkelcentra, bars, restaurants is er genoeg om je bezig te houden. Hier is onze gids voor 10 van de beste restaurants in de omgeving. Bewaar in verlanglijst Facebook EAV Thai & Sushi Iedereen houdt van een goede Thaise en sushi-verbinding, dus de inwoners van East Atlanta en de

    PPZ Reisindustrie Nieuws [nl] | Tourism Portal - Toerisme, Vrije Tijd En Reizen, Attracties | April 06, 2024
  • 『塚本邦雄監修 現代詩コレクション』 - k-bijutukanのブログ

    『塚邦雄監修 現代詩コレクション』書肆季節社1990年、直球、変化球、くせ玉、豪速球、いろいろな詩が ないまぜに。へえ〜と感心したり、わからねえなあ、と天を仰いだり、これはいいなあ、とうれしくなったり。 塚邦雄の渉猟の広さにあらためて驚く。深刻難解な詩はちょっと敬遠。 《 高野喜久雄「せめて」 せめて 最後の思いやりに 人と枯葉とを混ぜようと 神様は 風を吹かせたのでした だのに 人は少しも枯葉を間違えることなく 枯葉は枯葉でいつ迄も荒涼としている 竹中郁「足どり」 見知らぬ人の 会釈をうけて こちらも丁重に会釈をかえした 二人のあいだを ここちよい風がふいた 二人は正反対の方角へあるいていった 地球を一廻りして また出会うつもりの足どりだった 扶川茂「再会」 とある夜の海峡で 地球の裏側から それそれ航行してきた 二隻の貨物船が接触した あとにのこった非常に焦げくさい臭いが 目覚めた

    『塚本邦雄監修 現代詩コレクション』 - k-bijutukanのブログ
  • ひとでなしの猫 齋藤磯雄 譯 『ボオドレエル全詩集 惡の華・巴里の憂鬱』

    「カインの裔よ、天に昇りて 神をば地上に抛(なげう)ち落せ。」 (ボオドレエル 「アベルとカイン」 より) 齋藤磯雄 譯 『ボオドレエル全詩集 惡の華・巴里の憂』 東京創元社 昭和54年10月5日 初版 昭和57年1月15日 三版 661p 目次17p 口絵(モノクロ)1葉 A5判 丸背布装上製 貼函 定価6,700円 装釘: 日下弘 書「後記」より: 「拙譯『惡の華』の初版(三笠書房)が、おほけなくもその巻頭に辰野隆、日夏耿之介、山内義雄三先生の推薦文を掲げて刊行されたのは、昭和二十五年の末つ方であつた。」 「小散文詩集『巴里の憂』の拙譯が一應の形を整へたのは遠く戰前に溯るが、もろもろの障碍に遭つて長年の間陽の目を見ず、昭和四十二年に至り初めて或る叢書中の一巻(「世界の名詩集」5、三笠書房)として刊行された。(中略)このたびの改譯に際しては、(中略)舊譯の魯魚の誤を訂し、措辞の修

  • ひとでなしの猫 『斎藤磯雄著作集Ⅲ 翻訳詩 他』

    「夙に幼少の頃より、孤獨感。家庭にあつても、――特に、朋輩のさなかにあつても、――永遠に孤獨なる運命を擔つてゐるといふ意識。」 (シャルル・ボードレール) 『齋藤磯雄 著作集Ⅲ 翻譯詩 他』 編集委員: 宇佐見英治・窪田般彌・渋沢孝輔・安藤元雄・矢内原伊作 東京創元社 平成3年10月25日 初版 xiv 683p 口絵(モノクロ)1葉 A5判 丸背布装上製 貼函 定價11,000圓(體10,680圓) 装釘: 日下弘・足立秀夫 口絵: 「越生梅林にて (昭和53年)」 付録3 (8p): 清河八郎と齋藤磯雄(小山松勝一郎)/磯雄先生のこと(大野順一)/齋藤磯雄と日夏耿之介、長谷川潔(井村君江)/郷里 磯雄さんのこと(佐藤三郎)/図版(「長谷川浩、齋藤磯雄、佐藤四郎」) 第三回配文正字・正かな。 帯文: 「高潔な精神、清雅にして鋭敏な語感、 稀有なる文人の半世紀にわたる文業 第II

  • ひとでなしの猫 『斎藤磯雄著作集Ⅱ 詩と音楽 他』

    「ヴィリエ・ド・リラダンにとつて《夢》は《もう一つの人生》であるばかりではなく《唯一の現實》であつた。彼は壮麗な夢想の世界を昂然と生きて、所謂《實人生》の權威も支配權も認めない。――《生きる? そんなことは下僕共がやつてくれるさ!》と、作中の沈な青年貴族は言ふ。」 (齋藤磯雄 「王者の末裔」 より) 『齋藤磯雄 著作集Ⅱ 詩と音樂 他』 編集委員: 宇佐見英治・窪田般彌・渋沢孝輔・安藤元雄・矢内原伊作 東京創元社 平成3年4月30日 初版 iv 293 口絵1葉/iii 332p 口絵1葉 A5判 丸背布装上製 貼函 定價11,000圓(體10,680円) 装釘: 日下弘・足立秀夫 付録1 (8p): 優雅ニシテ毅然タル人(小堀杏奴)/沈醉愁に堪へず(中井英夫)/回想(阿部富美子) 「解題」より: 「『齋藤磯雄著作集』の第一回配にあたる巻には、まず、著者の筆になる創作詩十一篇を掲

  • ひとでなしの猫 『斎藤磯雄著作集Ⅰ 文学研究 他』

    「――然るにボオドレエルは、例外の存在である。(中略)彼は絶對に群衆と同穴の契(ちぎり)を結び得ない。彼は甚だしく群衆と異り、甚だしく他人と違つてゐて、しかも常におのれ自身と等しい。比類を絶した存在であり、唯一獨特の存在であり、偉大なる獨身者である。」 (ジョルジュ・ロオダンバック) 『齋藤磯雄 著作集Ⅰ 文學研究 他』 編集委員: 宇佐見英治・窪田般彌・ 渋沢孝輔・安藤元雄・矢内原伊作 東京創元社 平成3年7月10日 初版 vi 650p 口絵(モノクロ)1葉 A5判 丸背布装上製 貼函 定価11,000円(体10,680円) 装釘: 日下弘・足立秀夫 付録2 8p 三度目の世紀末 (阿部良雄)/輝ける砦 (塚邦雄)/もう一つの戦慄 (杉秀太郎)/齋藤磯雄さんの想い出 (堀内規次)/図版(「薄暮の旅人」自筆原稿) 第二回配文正字・正かな。 単行『リラダン』(1941)、『

  • この世を去るときに -- R.ヘリック

  • 王党派詩人 - Wikipedia

    王党派詩人(おうとうはしじん、Cavalier poet)は、17世紀イングランドの詩人たちの一派。「キャヴァリアー(Cavalier)」という名前はイングランド内戦期(1641年 - 1653年)に王チャールズ1世の支持者であった王党派の呼び名「騎士党」に由来する。その生活様式・宗教によって、議会派(円頂党)側のピューリタンたちと区別される。王党派詩人の多くは軽いスタイルで、テーマは普通、非宗教的なものだった。 王党派詩人には、ベン・ジョンソン、ロバート・ヘリック(Robert Herrick)、リチャード・ラヴレース(Richard Lovelace)、トマス・カリュー(Thomas Carew)、サー・ジョン・サックリング(John Suckling)らが含まれる。 王党派詩人のほとんどは廷臣だったが、例外もあった。例えば、ロバート・ヘリックは廷臣ではなかったが、そのスタイルは王党派

  • 鷲巣繁男 - Wikipedia

    鷲巢 繁男(わしす しげお、1915年1月7日 - 1982年7月27日)は、日の詩人。宗教評論家。ギリシア正教徒。洗礼名ダニール。漢詩文では不羣(ふぐん)と号した。 サン=ジョン・ペルスに影響された長大な叙事詩的スタイルの作品が特徴である。少年時代からボードレール『悪の華』に原書で親しむなどしたが、戦時中に新興俳句運動に出会い、富澤赤黄男に師事して俳人として出発した。北海道石狩に戦後開拓に入るが、やがて離農、札幌で印刷会社に校閲者として就職した。その頃に現代詩に転じ、和田徹三の形而上詩誌「湾」同人として活動した。 定年退職とともに埼玉県に移住。前年に出版した『定鷲巣繁男詩集』で歴程賞受賞。呉茂一、寺田透、荒井献、齋藤磯雄、澁澤龍彦、多田智満子、高橋睦郎、種村季弘、加藤郁乎、草森紳一ら多くの学者や文人と交友があった。生前最後の詩集『行為の歌』で高見順賞を受賞した。 経歴[編集] 生い立

  • 鷲巣繁男「ポエーシスの途」 牧神社 1977年初版 函付き

    古代と異端の詩歌に耽溺し、独自の地位を確立した詩人・鷲巣繁夫。 上質なクロス装も美しい牧神社刊行の名著「ポエーシスの途」、1977年の物です。 函に経年のイタミややあり、体は状態良く保たれています。 箔押し、マーブル紙など、凝った装丁。 多くの作例を引きながらも、読みやすく組まれた版の美しさ。 多くの文学と言語の内に、グノーシス的なる自らの文学世界を作り上げた鷲巣繁夫。 彼の詩神へいたる旅路の一端が垣間見えるような強い印象を残す一冊となっています。

    鷲巣繁男「ポエーシスの途」 牧神社 1977年初版 函付き