天才ヒットメーカー 【特別授業】 松本 隆 先生 世界一受けたい授業でおなじみの名講師! 【国語】 齋藤 孝 先生 ◆実は今、若者に昭和歌謡が大人気!1970年代から80年代に発売された日…
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天才ヒットメーカー 【特別授業】 松本 隆 先生 世界一受けたい授業でおなじみの名講師! 【国語】 齋藤 孝 先生 ◆実は今、若者に昭和歌謡が大人気!1970年代から80年代に発売された日…
北村初雄から吉田一穂へ、吉田一穂から三富朽葉へ この二月は東京も凍てつくような寒い日が続いたので、吉田一穂を読むにはうってつけといった感覚があった。「知性の力で極限まで表現を研ぎ澄ました〈極北の詩〉を理想とする〈孤高の詩人〉」(岩波文庫『吉田一穂詩集』より)日の暈と月の暈。「月暈」という言葉が何となく前から気に掛かってノートに書いていたのを、吉田一穂の詩集を読んでいたら「暈」という文字がひんぱんに出てくるので、そんなところも気に入る。たとえばこんなフレーズ。 「おぼろな指ざしに環る月暈」(「晩課書」) 「滲む日の暈に、寂しい午後は来る。」(「暦」) 「光と影に眩暈く水の氾濫!」(「春」) 「族の夢の沸騰する昏い碧の眩暈」(「海鳥」) 「最後の絶対詩人」というのは、まさに吉田一穂のためにある言葉だなと思わせるのは、読んでいてぞくぞくするようなこんなフレーズ。 「無風帯に闘争を超えて高く、いや
minima poetica ─詩のディアスポラ Saven Satow Feb. 12, 2006 「人は、大いに善であるためには、激しく広く想像力を働かさねばならぬ」。 P・B・シェリー『詩の擁護』 1 詩人受難の時代 近代は詩人にとって受難の時代である。近代以前、詩は神の文学として見なされ、文学の王座に長らく君臨している。ナポレオン・ボナパルトは詩人に憧れ、ドイツに遠征した際、敬愛するヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと面会している。いかなる業績を残そうが、美しい一作の詩を表わすのに優ることはない。 それは西洋に限らない。世界各地で、詩は最高の文学として敬われている。創世神話や英雄譚はしばしば叙事詩の形式で語り継がれている。また、李白や杜甫は、東アジア文化圏において、最高の文学者として敬意を表されている。小説は、この偉大な文学に比べれば、通俗的な読み物にすぎない。事実、中国を代表
ミハル・アイヴァス(チェコ語: Michal Ajvaz, 1949年10月30日‐)は、チェコの作家。 経歴[編集] 1949年、プラハで生まれた。父はロシア・イェウパトーリヤから移民してきたクリミア・カライム人で、母はチェコ人の家庭であった。1967年にカレル大学に入学してチェコ語文学と美学を学んだが、大学を終了することなく1974年に退学。その後はさまざまな職を転々とした。1989年まで作品発表の機会を奪われていたが、1989年に詩集"Vražda v hotelu Intercontinental"(インターコンチネンタル・ホテルで起きた殺人)を刊行してデビュー。1996 年から 1999 年まで"Literární noviny"(文芸新聞)の編集長を務めた。 現在は、執筆のかたわら、プラハの理論研究センターの研究員を務めている。 受賞[編集] 2004年:ヤロスラフ・サイフェル
ウィリアム・ヒルトンによるジョン・キーツの肖像画(1822年頃) ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)は詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する[1]。『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』[2]によると、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことであり、この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ。キーツが発見し、第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンにより再発見されたとのこと。 理論[編集] キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の理論は1817年12月21日日曜日付けの弟宛ての書簡に表明されている[3]: 私はディルクにさまざまなテーマ
発売日 2010/02/15 判型 A5判 ISBN 978-4-336-05156-1 ページ数 252 頁 Cコード 0098 定価 3,080円 (本体価格2,800円) ダダ、未来派と同時代に展開したウルトライスモ。二十世紀文学の異才ボルヘスとその妹ノラも参加した、1920年前後のマドリードにおけるスペイン前衛文学運動に光を当てた研究書・アンソロジー。ヨーロッパ文学の潮流をスペインに紹介し、ガルシア・ロルカら後の世代に影響をあたえた、半ば忘れ去られた文学運動の全貌が明らかになる。 坂田幸子 (サカタサチコ) 慶應義塾大学文学部教授 これまでの主な仕事:「テオフィル・ゴーチエ、1840年のスペイン旅行」(『続・ヨーロッパ世界と旅』法政大学出版局、2001年)。「越境を生きたスペイン女性作家たち--ルシーア・サンチェス・サオルニルとマリア・テレサ・レオン」(『モダニズムの越境』
研究アーカイブスペインで起こった前衛文学運動、 「ウルトライスモ」の魅力を伝えたい坂田 幸子 教授 私の専門はスペイン文学ですが、時代でいえば20世紀前半のスペイン内戦が終わる1939年まで、それも文学だけではなく、文化活動全般を当時の社会と関連づけて捉えようとしています。なかでも詳しく研究しているのは、1920年前後にマドリードを中心に起こった「ウルトライスモ」(超越主義)と呼ばれる前衛文学運動です。 この運動は、主として詩の分野で展開しました。マドリードの文学カフェにたむろする青年詩人たちが、スペイン文学を刷新するのだという意欲に駆られて1919年に宣言文を発表したことに始まります。当時ヨーロッパ各地では、機械文明のダイナミズムを礼賛する未来主義や、既存の文学の破壊を唱えるダダといった前衛運動が起きていました。また、第一次世界大戦でスペインは中立国だったので、各国の芸術家が戦禍を避けて
俳句はどんな形でスペイン語圏に伝わり、その詩にどんな影響を及ぼしたのか。 これまでの研究では、俳句はフランスなどでの広範な流行にかなり遅れて、 断続的にスペインに入ったと考えられていた。だが、陸続きのヨーロッパでそのようなことはあり得ない――スペイン語とカタルーニャ語に精通し、現地の文化と風土を肌で感じてきた著者が、長詩を主流とするスペインの詩に俳句という究極の短詩がいかに受容されたかを、当時の文学書はもとより雑誌や新聞、詩人たちの日記や書簡などを渉猟して、こまやかに読み解く。 序 章 パスの功罪 第一章 俳句受容の玄関口――パリとロンドン―― 一 パリのスペイン詩人たち 雑誌『メルキュール・ド・フランス』とフアン・ラモン・ヒメネス/カタルーニャの先駆者ジュゼップ・カルネーとアウジェニ・ドルス/ディエス=カネドと荒木田守武の句/エンリケ・ゴメス・カリージョの「詩の心」/アントニオ・マチャー
●現代ロシア詩の源流 宇佐見森吉 1. 1950年代の非公式なロシア詩 スターリンの死後、いわゆる「雪どけ」期のロシアではモスクワとレニングラードを中心にさまざまな文学グループやサークルが生まれた。50年代以降の非公式の芸術の担い手となった詩人たちの多くもこうしたグループやサークルから出発している。 彼らは《銀の時代》の詩人のように綱領を出したわけでもなく、流派を結成したとは言いがたい。しかし、文学の自由化が叫ばれていたこの時期に国外の新しい文学を吸収し、20世紀前半ロシア詩(モダニズムの詩)の遺産に触れ、埋もれたテキストを発掘し、その時代の生証人でもある詩人たち(たとえばパステルナーク、アフマートワ、ザボローツキイ、クルチョーヌイフなど)と交渉を持ち、地下文学の系譜に触れ、オフィシャルな文学の枠外で新しい詩的言語の可能性を探求したという点ではおおむね一致している。 近年公にされた資料はま
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