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  • 加藤治郎 (歌人) - Wikipedia

    加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日の歌人。歌誌「未来」選者。 岡井隆に師事。口語短歌の革新に意欲を見せ、「ニューウェーブ(現代短歌の改革運動)」の旗手と目された。歌集に『サニー・サイド・アップ』(1987年)、『環状線のモンスター』(2006年)、『しんきろう』(2012年)など。 人物[編集] 1983年に未来短歌会に入会。 岡井隆に師事し、アララギから前衛短歌への流れを消化したうえで、「口語は前衛短歌の最後のプログラム」と宣言。口語短歌の改革者として意欲的な試みに取り組み、「ニューウェーブ」の旗手と称せられるようになる。若手歌人のプロデューサー的役割を担うことも多く、現代短歌における最重要人物の一人といえる。 母、加藤ミユキも岡井に師事していた。 「未来」の選歌欄「彗星集」には比較的若手が多い。門下に笹井宏之、柳澤美晴、野口あや子、佐藤羽美、天道なお、中

  • 荻原裕幸 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "荻原裕幸" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年7月) 荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、日の歌人。 人物[編集] 塚邦雄に師事。塚邦雄の影響を受けた前衛的作風から出発し、やがて都会的な口語短歌へと着地。シュールな比喩表現や、言葉で発音できない「記号短歌」の導入など、日語の解体による新しい詩的表現を志向する。そのような新傾向の短歌を自ら「ニューウェーブ」と命名し、加藤治郎、穂村弘とともに短歌革新運動の原動力となる。 電脳歌人と称してインターネットでの活動を始め、イベントの企画・運営

  • 荒川洋治 - Wikipedia

    この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "荒川洋治" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年6月) 荒川 洋治(あらかわ ようじ、1949年4月18日 - )は、日の現代詩作家、随筆家。日芸術院会員。名の読みはひろはる。 来歴・人物[編集] 来歴[編集] 福井県三国町(現坂井市)に生まれる。福井県立藤島高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。 高校2年生のときに詩誌「とらむぺっと」を創刊し、全国から同人を募って、19号の終刊まで100余名の高校生が

  • 井坂洋子 - Wikipedia

    この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "井坂洋子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年5月) 井坂 洋子(いさか ようこ、1949年12月16日 - )は、日の詩人。小説家の山手樹一郎は祖父。小説家の井口朝生、国文学者の井口樹生は叔父にあたる。 来歴[編集] 東京生まれ。上智大学文学部国文科卒業後、1985年まで自由学園女子部に国語教師として勤務する。 1979年、十代の女子学生の視点から女性の性意識や身体性を表現した詩集『朝礼』を発表して注目を浴

  • 伊藤比呂美 - Wikipedia

    伊藤 比呂美(いとう ひろみ、1955年〈昭和30年〉9月13日 - )は、日の詩人。東京都板橋区出身[1]。東京都立竹早高等学校、青山学院大学文学部日文学科卒業。ポーランド文学者の西成彦は元夫[2]。 経歴[編集] 1975年、大学在学中より新日文学会の文学学校にて阿部岩夫に学ぶ。同年、詩人の岩崎迪子らと詩誌『らんだむ』を創刊。1976年から『現代詩手帖』に投稿をはじめる。1978年、第一詩集『草木の空』でデビューする。同年に第16回現代詩手帖賞を受賞。 のちに詩をやめて小説に移行し、1999年『ラニーニャ』などで一定の評価を得るが、2005年『河原荒草』で、また詩に復帰し、2007年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を発表。 1984年より熊市在住、1997年よりカリフォルニア州に在住しつつ、熊とカリフォルニア間を往復する。2008年、熊文学隊を旗揚げ[3]。2011年10月1日

    伊藤比呂美 - Wikipedia
  • 多田智満子 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "多田智満子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 多田 智満子(ただ ちまこ、1930年[1]4月1日[2] - 2003年1月23日[3])は、日の詩人・随筆家・翻訳家・フランス文学者。福岡県出身[3]。名、加藤智満子[3]。 経歴[編集] 生い立ち(1930年 - 1955年)[編集] 銀行員だった父の転勤に伴い、幼少期を京都、東京などで過ごす。小学校5、6年で『プルタルコス英雄伝』や『平家物語』を愛読し、15歳で滋賀県愛知川沿いに戦争疎開した際にプラトン、エピクテトス、セネカなどを携えるなど、少女時代

  • 茨木のり子 - Wikipedia

    茨木 のり子(いばらぎ のりこ、姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日の詩人、エッセイスト、童話作家、脚家。 主な詩集に、『見えない配達夫』(1958年)、『鎮魂歌』(1965年)、『自分の感受性くらい』(1977年)、『倚(よ)りかからず』(1999年)など。 人物・来歴[編集] 1926年6月12日、大阪回生病院で、宮崎洪(ひろし)、勝の長女として生まれる[1]。 1937年12月、母、勝死去。1939年、愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)入学。卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校薬学部に入学する[1]。19歳の時に終戦を迎え、1946年9月に同校を繰り上げ卒業する。 1946年夏、帝国劇場で上映されていたシェークスピアの「真夏の夜の夢」を見て感激する[2]。その時、劇場前にあった「読売新聞第1回戯

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  • 杉原一司 - Wikipedia

    杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日の歌人。塚邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 経歴[編集] 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。同年3月27日に徴用され戦地へ。同じ部隊にいた佐々木一雄(今井書店勤務)と知り合い、歌集の作成を計画したが、実現することはなかった。4月3日から翌年の1946年(昭和21年

  • 前川佐美雄 - Wikipedia

    前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、昭和期の歌人。の前川緑、長男の前川佐重郎も歌人。五味康祐夫人千鶴子はの妹。 来歴[編集] 奈良県南葛城郡忍海村(現葛城市忍海)の素封家の長男として生まれる。父は佐兵衛、母は久菊。祖父佐重良は一族の長老として分家にも采配を振るっていた。 小学校六年で初めて短歌を作り、14歳で奈良の儒者越智黄華の漢学塾に学ぶ。1921年、下淵農林学校卒業。同年竹柏会「心の花」入会、佐佐木信綱に師事する。1922年に上京して東洋大学専門部倫理学東洋文学科に入学。木下利玄、石槫茂(後の五島茂)ら「心の花」の精鋭が集まる「曙会」にも参加し、「心の花」の新鋭として注目を浴び始める。二科展で古賀春江の「埋葬」を見たことをきっかけに新興芸術に関心を持ち始める。 1925年、東洋大学を卒業して帰郷。大阪八尾の小学校の代用教員となるが、堀口

    inmymemory
    inmymemory 2022/06/05
    第一歌集『植物祭』刊行。ダダイスム的・超現実主義的な歌が歌壇に衝撃を与え、モダニズム短歌の旗手と評価
  • 塚本邦雄 - Wikipedia

    邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行や文庫には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚靑史、現在「玲瓏(短歌結社)」の発行人。 生涯[編集] 滋賀県神崎郡南五個荘村川並(現東近江市五個荘川並町)に生まれる。父方の塚家、母方の外村家はともに近江商人

  • 詩と思想  土曜美術社出版販売公式トップページ 佐藤正子詩集販売中

    目次は、こちら 作品 壺阪輝代 菅野眞砂 斎藤恵子 小野ちとせ 網谷厚子 樋口忠夫 伊丹悦子 平岡緑 相沢正一郎 結城文 重光はるみ 金子秀夫 沢聖子 鈴切幸子 雪柳あうこ 森原直子 藍川外内美 荻悦子 後山光行 久保木宗一 伊藤芳博 滝勤 二宮清隆 井上和之 宮尾壽里子 小林登茂子 渡邊那智子 関中子 長尾雅樹 こまつかん 志田道子 郷武夫 ついきひろこ 北野つづみ 青柳泉 繭中舞百合 谷口明美 いだ・むつつぎ 野篤美 山下重人 石井也子 茨海ゆう 伊藤恵理美 有田和未 駒井喜久子 和崎くみ子 菅秀俊 井上和子 松井潤 うえじょう晶 水越晴子 柴田秀子 福間明子 小山修一 倉田史子 高橋裕子 滝政博 門田璃瑠子 潮江しおり 加川清一 三村美代子 松田道弘 長友セージ 田中淳一 市野みち 阪井達生 田尻文子 青木美保子 近江正人 青山勇樹 中島めい子 むらやませつこ 青柳晶子 くろ

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  • 土曜美術社出版販売 - Wikipedia

    土曜美術社出版販売株式会社(どようびじゅつしゃしゅっぱんはんばい)は、詩を主に扱う日の出版社。 概要[編集] 日全国の詩人が執筆する著名な詩の総合月刊誌『詩と思想』を主軸に、日現代詩文庫、新・日現代詩文庫などの日全国の詩人の詩業を集成した文庫、詩論・エッセー文庫、新・詩論・エッセー文庫や、世界現代詩文庫、新世界現代詩文庫など海外の詩人の詩業を集成した翻訳詩の文庫を刊行。また気鋭の詩人や新人による詩集の叢書でも知られる。 「詩と思想」新人賞による新人の発掘も行い、詩人の研鑽・交流の場として「詩と思想」研究会を開催している。 かつては「活動家集団思想運動」機関誌『社会評論』の版元でもあった。 主な刊行[編集] 雑誌[編集] 『詩と思想』‐全国の詩人による詩の総合月刊誌。 書籍[編集] 日現代詩文庫‐全国の詩人たちの詩業を集大成した文庫。 新・日現代詩文庫 詩論・エッセー文庫‐全国

  • 須永朝彦の埴科便り

    リュシアン・ドリール【サン・ジャンの私の戀人】 Mon amant de Saint-Jean https://www.youtube.com/watch?v=3O4BxW206OU&nohtml5=False 「ゆらぎ」            赤井キツネ  B 「群雨」             川瀬みちる  LBQA 「最初の事件」          益岡和朗   G 「9・8」            成瀬     L 「江ノ電追想」          スイ     B 「「主語」は「君」です」     マルメロ   BA 「n/100」          詩か詩    LGBQA 「黒のバラッド」        ぱぴこ    LB 「それぞれの愛のカタチ」     黒江零    GQ 「寒い夜の光とは」        めぐる    LB 「サロメの皿」          佐々木紺  

    須永朝彦の埴科便り
  • 須永朝彦 - Wikipedia

    須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日[1] -2021年(令和3年)5月15日 )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 生涯と作品[編集] 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、与謝野鉄幹、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鷗外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。17歳の頃、三島の評論・エッセイから澁澤龍彦、森茉莉、ジャン・ジュネ、テネシー・ウィリアムズ、サドなどの文芸を教えられ、眼を灼かれる

  • 齋藤愼爾 - Wikipedia

    齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日[1])は、日の俳人、編集者、文芸評論家。 来歴[編集] 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。 高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2013年、『周五郎伝 虚空巡礼』でやまなし文学賞受賞。法政大学文学部講師。芝不器男俳句新人賞選考委員。 2004年に車谷長吉の私小説「刑務

  • ひとでなしの猫 塚本邦雄 『現代百歌園 ― 明日にひらく詞華』

    「作者は時あって異次元に歩み出す。無可有郷であるか、無間地獄であるかは分明ではないが、そこが彼女の魂のふるさとであろう。」 (塚邦雄 『現代百歌園』 「葛原妙子」 より) 塚邦雄 『現代百歌園 ― 明日にひらく 詞華』 花曜社 平成2年7月10日 初版第1刷印刷 平成2年7月20日 初版第1刷発行 214p 四六判 丸背紙装上製 カバー プラカバー 定価2,500円(体2,427円) 装訂: 政田岑生 書「跋」より: 「昭和60年1月4日金曜日から、翌年12月19日金曜日までの二年間週一回、計百回、徳島新聞に連載したのがこの一巻である(中略)。」 「このたびの一冊は、現代歌人の秀作を網羅しようと努めた点、他の詞華集とはやや趣を異にするだらう。ただ、新年から始まつた連載ゆゑ、必然的に季節に順ふ配列を考へねばならず、作者の最高作と四季の一致はまことに難事で、次善を採る結果になつた例も

  • 安立スハル - Wikipedia

    安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。死後に仲間の尽力で出版された『安立スハル全歌集』をもって初めてその全貌が歌壇に知られた[1]。歌の素材は個人の狭い生活範囲に限られ

  • 二行連 - Wikipedia

    二行連(にぎょうれん;二行連句、対句、couplet, カプレット、カプリット、クプレ)は2行で1組の韻文(詩)。通常押韻され、同じ韻律を持っている。文化によっては、それぞれの文化に関連した装飾的な伝統を持っている。たとえばアフリカでは部族の精神的指導者が主に用いる。 西洋詩の二行連[編集] 伝統的に西洋の二行連は効果的な押韻であるが、すべての二行連が押韻されているわけではない(同様に、詩は空白を用いて二行連を区分する)。iambic pentameter(弱強五歩格)の韻律を持つ二行連はヒロイック・カプレット(heroic couplets, 英雄対句、英雄対韻句、英雄対連、英雄詩体、英雄詩体二行連句、英雄二行詩 )と呼ばれる。エピグラム(警句)も二行連で作られる。さらに、シェイクスピア風ソネット(シェークスピア風十四行詩)の最後の二行連のように複雑な押韻構成を持つ場合もある。 押韻され

  • 三行連 - Wikipedia

    三行連(さんぎょうれん。三行連句。tercet, テルツェット、テルチェット or triplet, トリプレット)は3行で作られる詩のスタンザ(詩節、連)のこと。3行で1つの詩になる場合は三行詩または三行連詩と呼ばれる。 三行連の種類[編集] 押韻されていないが俳句は三行詩である。 enclosed tercetは、「aba」という押韻構成の三行連である。 ダンテ・アリギエーリが『神曲』で使ったテルツァ・リーマ は、「aba bcb cdc ...」と三行連が続き、最後は「yzy z」か「yzy zz」で終わる。 ヴィネラルは三行連が「A1bA2 abA1 abA2 abA1 abA2」と続き(A1とA2はそれぞれ同じ語を繰り返し、aと同じ押韻)、最後は「abA1A2」という四行連で終わる。 ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの『雪の十字架』(1879年)は、「abbaabba cdc

  • 押韻構成 - Wikipedia

    押韻構成(おういんこうせい、または押韻配列、押韻スキーム、英語:rhyme scheme, ライムスキーム)は、詩または歌で、行の押韻のパターンのこと。押韻は行の最後の部分にされるので、end rhymes(脚韻、終末韻)のパターン、つまり、脚韻構成(または脚韻配列、脚韻パターン)と言うこともできる。 押韻構成は通常、ABCなどの文字を使って、各行にどんな押韻がされているかを表す。例えば、「ABAB」は4行からなるスタンザ(詩節、連、節)で、第1行と第3行に「A」、第2行と第4行に「B」の押韻がされていることを示している。例として、ロバート・ヘリック(en:Robert Herrick (poet))の詩『To Anthea, Who May Command Him Any Thing』を挙げる。(太字は押韻されている語) Bid me to weep, and I will weep,