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poemに関するinmymemoryのブックマーク (1,155)

  • 日本象徴詩集 | daily-sumus

    百万遍で三冊千円のコーナーにて。未来社同人編『日象徴詩集』(玄文社、一九一九年)。発行者は長谷川巳之吉になっている。むろん後の第一書房主。序文、三木露風。三十二人のアンソロジーである。 三木露風 柳沢健 西條八十 増野三良 二宮典美 北村初雄 椙森事麿 上里春生 横山弁人 川浩 前田正嗣 斎藤正雄 伊藤百蓮 加藤精一 灰野庄平 上田敏 北原白秋 堀口大学 斎藤佳三 喜志麦雨 近衛直麿 浜野英二 竹内勝太郎 保科良造 前田春声 竹友藻風 山宮充 新城嘉香 日夏耿之介 河井酔茗 蒲原有明 ÷ こちらは最新の詩集、水島英己『楽府』(思潮社、二〇〇八年)。「山帽子」の冒頭。 なにもすることのない日がいつかはやってくる なにもわからずにこの世界に泳ぎ出した日が終わる 慈眼寺の門前には無断で入るな、散策するなという看板がある 無断で生れ、散策するように生きてきた あの世を管理する権力 この世を管理

    日本象徴詩集 | daily-sumus
  • 『日本の象徴詩人』窪田般弥 - うちゅうてきなとりで

    ヨーロッパの象徴主義運動を解説した後、日における受容や、日の象徴詩について考える。前提となる知識が足りないので、読みにくかった。 エドマンド・ウィルソンによれば、「フランスの象徴主義の運動は、ロマン主義者が手をつけずにいた韻律の諸法則を破壊し、ロマン主義者たちが、なお非常に尊重していた伝統的な古典主義の、明晰と論理を完全に放擲することに成功した」。 一九〇五年、上田敏による翻訳詩集『海潮音』が出版された。 明治の洋風ディレッタントだった上田敏について。 彼の訳詩集の問題点は、象徴詩が音楽と密接に結びついているにもかかわらず、古語や雅語を用いざるをえなかったことである。音楽にかんしては成果は得られなかったが「造形」、かたちにかんしてはかなりの成功をおさめた、と窪田は書く。 象徴詩と音楽……オスモン婦人曰く「映像および音楽によって暗示を求める創作」、エドマンド・ウィルソンはポーの言葉を引

    『日本の象徴詩人』窪田般弥 - うちゅうてきなとりで
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  • heart3

    inmymemory
    inmymemory 2017/11/19
    寺山修司「ハート型の思い出」
  • サトウハチロー - Wikipedia

    サトウ ハチロー(1903年〈明治36年〉5月23日 - 1973年〈昭和48年〉11月13日)は、日の詩人、作詞家、作家。名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現在の早稲田中学校・高等学校)中退後、旧制立教中学(現在の立教池袋中学校・高等学校)へ転入。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 「うれしいひなまつり」、「リンゴの唄」の作詞者として知られる。 人物[編集] 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。作風に反して私生活は放蕩、奇行が多く、その振る舞いに関しては佐藤愛子の長編小説『血脈』に詳しい。なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実

    サトウハチロー - Wikipedia
  • おすすめの詩 - 全文 -

    「ドラえもん」はマンガ世紀の最高傑作と言われ、海外でも人気の高い不朽の名作である。このマンガの主人公でダメなやつの代名詞にもなっているのび太について多くの読者は、成績が悪く、運動もまるで駄目、先生や母親に叱られることは日常茶飯事、友だちからはいじめられてばかり、しかし、ドラえもんのひみつ道具が彼に夢を運んでくる…と思っているかもしれない。だが、「のび太という男の子は、じつは想像以上に人生を上手に歩んでいる」と著者は言っている。僕も書に出会うまで、「ドラえもん」について、小学生向けのマンガとしか思っていなかったし、無理に回を重ねている感があった。しかし、実は大部分のひみつ道具に、常に何らかのメッセージがあり、それらを総括して言うと、何が起ころうと自らの力で解決することが最も良い対処法であるということだ。書を読んで作者の子供たちへのメッセージが「ドラえもん」の底流にあることを知り、目から鱗

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  • ぽえむ

    inmymemory
    inmymemory 2017/11/03
    谷川俊太郎 「二十億光年の孤独 」
  • お気に入りの詩:ざわめきの中

    適当かも

  • ぽえむ

    生きる 谷川 俊太郎 生きているということ 今生きているということ それはのどがかわくということ 木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみをすること あなたと手をつなぐこと 生きているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと 生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ 生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ いまいまが過ぎていくこ

    inmymemory
    inmymemory 2017/11/03
    谷川俊太郎 「生きる」
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  • ++言の葉++

    ここではTOPの窓で紹介してきた作品を残しておきたいと思います。 私が好きな銀色夏生さんの詩や、好きな歌の歌詞の一部などです。 紹介できなかったものも書いていくかも・・・(笑) (基的には1週間おきぐらいの更新です) あなたの心にとまった言葉があればコメントをどうぞ。 ここはサイト内のコンテンツなので、 リンクはサイトTOPでお願いします。 こちらのバナーからどうぞ。 銀色夏生“うまいウソ”(34) 銀色夏生“あの空は夏の中”(21) 銀色夏生“そしてまた 波音”(19) 銀色夏生“すみわたる夜空のような”(22) 銀色夏生“君のそばで会おう”(24) 銀色夏生“エイプリル”(15) 銀色夏生“泡とそよ風”(22) 銀色夏生“風は君に属するか”(13) 銀色夏生“君はおりこう みんな知らないけど”(12) 銀色夏生“ロマンス”(23) 銀色夏生“小さな手紙”(22) 銀色夏生“宵待歩行”

    ++言の葉++
  • 『祈るように願う』

    ここではTOPの窓で紹介してきた作品を残しておきたいと思います。 私が好きな銀色夏生さんの詩や、好きな歌の歌詞の一部などです。 紹介できなかったものも書いていくかも・・・(笑) (基的には1週間おきぐらいの更新です) あなたの心にとまった言葉があればコメントをどうぞ。 ここはサイト内のコンテンツなので、 リンクはサイトTOPでお願いします。 こちらのバナーからどうぞ。 銀色夏生“うまいウソ”(34) 銀色夏生“あの空は夏の中”(21) 銀色夏生“そしてまた 波音”(19) 銀色夏生“すみわたる夜空のような”(22) 銀色夏生“君のそばで会おう”(24) 銀色夏生“エイプリル”(15) 銀色夏生“泡とそよ風”(22) 銀色夏生“風は君に属するか”(13) 銀色夏生“君はおりこう みんな知らないけど”(12) 銀色夏生“ロマンス”(23) 銀色夏生“小さな手紙”(22) 銀色夏生“宵待歩行”

    『祈るように願う』
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    inmymemory
    inmymemory 2017/08/26
    意外と銀色夏生っぽいかも
  • アンドレイ・ベールイ - Wikipedia

    ブリュッセルのベールイ アンドレイ・ベールイ(Андрей Белый 1880年10月26日-1934年1月8日)とは、ロシア小説家、詩人、評論家である。名はボリス・ニコラエヴィチ・ブガエフ(Бори́с Никола́евич Буга́ев)。 ロシア後期象徴派の中心的人物であり、その実験的な作風や独自の詩論で知られている。 略歴[編集] 幼年期のアンドレイ・ベールイ(愛称:ボリャ 1885年撮影) モスクワ出身。モスクワ数学会長でもあった有名な数学者、哲学者であるニコライ・ブガエフ教授を父に持つ。 26歳までモスクワ中心部のアルバート通りで暮らす。彼が幼年期と青年期を過ごした家は、現在「ベールイの家博物館」になっている。1891年から1899年にかけて、ソロヴィヨフやブリューソフなども卒業しているポリワーノフ・ギムナジウムで学ぶ。文学に触れる一方で、仏教やオカルティズムにも親し

    アンドレイ・ベールイ - Wikipedia
  • アレクサンドル・ブローク - Wikipedia

    アレクサンドル・ブローク(1907年) ソモフによるブロークの肖像画(1907年) アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・ブローク(Алекса́ндр Алекса́ндрович Блок, 1880年11月28日(ユリウス暦11月16日) - 1921年8月7日)は、ロシアの詩人。 ロシア・シンボリズムを代表する作家。 略歴[編集] サンクトペテルブルク出身。ワルシャワで法学を教える父をはじめ、親戚にはインテリが多い。学生時代にはウラジーミル・ソロヴィヨフの思想やフョードル・チュッチェフ、アファナーシー・フェートの詩に親しんだ。 1903年、高名な化学者であるドミトリ・メンデレーエフの娘と結婚する。となった女性にブロークは処女詩集「うるわしの淑女」を捧げたが、彼女は後にブロークの親友である小説家アンドレイ・ベールイと浮気していたことがわかっている。 当初はロシア革命を好意的に迎えた

    アレクサンドル・ブローク - Wikipedia
  • バルトルシャイティスとは アートの人気・最新記事を集めました - はてな

    Jurgis Baltrusaitis〔ユルギス・バルトルシャイティス/ユルジス・バルトルシャイテス〕、1903〜1988。ジョナス・メカスなどと同様の、リトアニア生まれで、主に中世を専門とした美術史家であった。 義父であるアンリ・フォション(1881〜1943)の影響を受け、フォションやアンドレ・シャステル(1920〜1990)、グロデッキ、ガントナー、エドガー・ヴィント、あるいは新しい所では1943年生れのホルスト・ブレーデカンプといった連中と共に「グロテスク」や「ロマネスク」、あるいは「ドロルリィー」(=滑稽図)といった出世に不向きな対象を、既成概念で安易に退けることなく、深く広く研究し、『アベラシオン』だとか『アナモルフォーズ』、『イシス探求』・『鏡』・『幻想の中世』といった著書に、類まれなる達成を魅せている。 J・D・サリンジャーやトマス・ピンチョン並に正体・実像が不明で、多くの

    バルトルシャイティスとは アートの人気・最新記事を集めました - はてな
  • アクメイズム - Wikipedia

    アクメイズム(ロシア語: Акмеизм、英語: Acmeism)は、ロシア帝国(現:ロシア)で1910年から1912年にかけて成立した文学流派または文学運動。「アクメ」とはギリシア語で頂点を意味する語で[1][2]、アクメイズムを詩のスタイルとする人をアクメイストと呼んだ。 ロシアの詩人、作家であるニコライ・グミリョフ、ミハイル・クズミン(英語版)が指導者となり、象徴主義から詩の技法を学びつつも、神秘性を否定して明晰な塑像性と古典的調和を追求した。 グミリョフ、クズミンはグミリョフの、アンナ・アフマートヴァや同国出身の詩人であるオシップ・マンデリシュターム、セルゲイ・ゴロデツキー、ミハイル・ゼンケヴィッチ(英語版)、ウラジーミル・ナルブト(英語版)、ボリス・サドフスキー(ロシア語版)らは自らをアダミズムと呼び[1]「詩人の職場(Tsekh poetov)」と称して1909年から1917

  • アンナ・アフマートヴァ - Wikipedia

    アフマートヴァ(1922年) (画)クジマ・ペトロフ=ヴォートキン アンナ・アンドレエヴナ・アフマートヴァ(1889年6月23日(ユリウス暦6月11日) - 1966年3月5日、ロシア語: А́нна Андре́евна Ахма́това、ウクライナ語: А́нна Андрі́ївна Ахма́това (Го́ренко) Ánna Andríjivna Achmátova (Hórenko))、名アンナ・アンドレーイェヴナ・ゴレーンコ(ロシア語: А́нна Андре́евна Горе́нко)は、ロシアの詩人。オシップ・マンデリシュタームとともに20世紀前期から中期のロシアを代表する詩人である。19世紀末からロシア詩壇の主流となっていた象徴主義に依らず、厳密な言語の使用を提唱したアクメイズムと呼ばれる文学運動の主導者としてサンクトペテルブルクを中心に活動した。アフマート

    アンナ・アフマートヴァ - Wikipedia
  • ニコライ・グミリョフ - Wikipedia

    ニコライ・グミリョフ 1913年に撮影された左からグミリョフ、子レフ・グミリョフ、アンナ・アフマートヴァ ニコライ・ステファノヴィッチ・グミリョフ(ロシア語:Никола́й Степа́нович Гумилёв、英語:Nikolay Stepanovich Gumilev 発音[ヘルプ/ファイル]、1886年4月15日(新暦) - 1921年8月25日)は、ロシア・クロンシュタット出身の詩人。アクメイズムの指導者として名高い[1]。は同国の詩人、アンナ・アフマートヴァで、子供は歴史家、民俗学者、人類学者のレフ・グミリョフ(en:Lev Gumilev)である。 略伝[編集] 1903年、グミリョフがツァールスコエ・セローへ通う中学生時代の頃に後にとなるアンナ・アフマートヴァと知り合う。当初グミリョフは熱烈なプロポーズをするもののアフマートヴァはこれを無視し、絶望したグミリョフが自

    ニコライ・グミリョフ - Wikipedia