GMは己がア●ルを開発する必要がある。 これは冗談でも何でもない。 私は本気だ(正気かどうかは保障しかねるが)。 よく度量の小さい者のことを「ケツの穴の小さい奴だ」というが、あれですよあれ。 今回はそういう話です。 . GMは、まず己の世界を持ってないと難しい。 自分が何を楽しいと感じるのかが自覚できてないと、作るシナリオの焦点がぶれる。 自分で楽しめないもので、他人を楽しませることができるのは、一流の芸人ぐらいだろう。 ダンジョンを遊んでて楽しめない人間が、GMとしてダンジョンを作っても、その凝らせる創意工夫はたかが知れている。 仮に経験と力量から、GMの気持ちを押し殺して素晴らしい内容のものを作っても、マスタリングの最中の発声、態度、雑談、そうしたテンションに関わる部分で、本当に好きなものをマスタリングしている時とは雲泥の差が生まれる。 つまりGMは己が本当に楽しめる題材でマスタリング
私の出すヒロインは死亡率が高い。 このところ、5回連続で死亡、または精神を病んでしまう結果になっている。 毎回GMするたびにヒロインを出しているわけではないが、出すと大抵こうなる。 何故か、というのは私(=GM)の立場からは明白なんだが、PLにとってどうなのかが、正直よくわからない。 . あまりこういう切り口で物を考えるのは好きではないのだが、やはりどうしても、最近のPLは判断が甘くなったな、と感じる部分はある。 自分の言動から導き出される結果、その因果関係まで考える人が少なくなった。 . 崩壊する遺跡のなか、魔法装置に取り込まれたヒロインを前に、「助ける」という宣言のないまま脱出を宣言する。 そりゃー死ぬよね、だってPCは脱出してもヒロインは取り残されているんだから(笑) 他にも色々あるんだが、具体的事例はここでは言うまい。 全般的に言えるのは、想像力が欠如、または不足してしまっているの
愚痴と下ネタだけではあまりにもあまりなので、半ば義務感に突き動かされて真面目なことを書いてみる。 . 私はヒロイックな展開というのが大好きで、昔からそういうセッションをやってきた。 だが、一口にヒロイックといっても、その言葉が示す内容は数年前と比較して変遷を遂げていると思う。 その顕著たる違いは、「PLレベルでのキャラクターの目的」だ。 言い換えれば、「何のためにキャラクターを作るのか」という事になる。 . かつてヒロイックな展開を前面に押し出したTRPGシステムとしては、「熱血専用!」「番長学園!」などがあった。 これらはキャラクターが非常に個性的でありながら、物語上の立ち位置が明確に決められていた。 「熱血専用!」などは最たるもので、物語の主役になる「ヒーロー」以外はまともに戦闘を行えないが、「フェロウ」という脇役たちは、熱血アニメによくいるキャラクターのテンプレートとなっており、いわ
※今回の記事は、特に性的な表現において、露骨且つ悪質な表現があります。 TRPGにおける性的描写を考察する上で行った表現ですが、不快感を感じる可能性もあるので、以下の記事は自己責任にてお読みください。 . . . . . 先日の「ヒロイックなTRPGにおけるプレイスタイルの変遷」のなかで、最近のプレイスタイルの傾向の一側面として、自己の欲求をストレートに相手にぶつけてしまう部分がある、と書いた。 この記事を書いた後で、私はふと思ったのだ。 TRPGにおいて、『巨乳』という個性を強調されたキャラクターは掃いて捨てるほどいるが、 『巨根』 という個性を強調されたキャラクターはあまりいないな、と。 (主に男性ゲーマーが描く)女性キャラクターには、演じ手の性的欲求の発露として巨乳等、特定の身体的特徴を強調されたキャラクターがよく出てくる。 だが考えてみると、別に女性が作る男性キャラクターで、ペニス
外出が多くろくに更新してなかったが、出先からの更新である。 オンラインセッションで、もうやるまいと誓っていた事を、またやってしまった。 それが非常に悔やまれる。 何かっていうと、「他人が面白いと感じるキャラクターを作る」ことだ。 . これの何が悪いかというと、非常に微妙な問題となる。 基本的には悪くない、いやむしろ推奨されるべき行動だろう。 他者が理解できないキャラクターを作っても、そんなものは何の価値もないのだから。 だが、オンラインセッションとなると話は別だ。 あれは、相手の顔が見えない。 場の雰囲気のうち、+方向ばかりを感じ取ってしまいがちになる。 要するに、 こいつウザいな という、普段のセッションでは誰もが決して言葉に出さず顔に出して表現していることを、うまく伝えられないのだ。 . 結局のところ何があったかというと、私がもっとも嫌いな行為のひとつである 「他者によるキャラクター演
最近TRPGについて真面目に何か書くという事が減った。 まぁ、ネタが尽きてきたというか、書けるようなネタがなくなったからなんだが……。 そんな中でも、最近ちょっと思った事があったので、書いてみようと思う。 . TRPGにおける、ある状況の物語性と、その場におけるキャラクター演技について。 全体としてのストーリーというより、その場その場の雰囲気についてだろうか。 物語は、ものすごく大雑把に分けると、悲劇と喜劇に分かれる(他にもあるだろうが、とりあえずこの二つで考える)。 これは、シリアスとギャグといってもいい。 システムが持つ固有の世界観、リアリティ、PCの(世界観内での)強さ、判定の成功しやすさ。 GMが用意したシナリオの流れ。PCの言動によって生まれる状況。参加者同士の雑談。 様々な要因によって、状況はギャグとシリアスの間を流動する。 シナリオにギャグを望む者もいればシリアスを望む者もお
わからない。本当に、わからない。 世の中に、私が「非常識だ」と感じる人間は、それこそ大勢いるだろう。 見方、感じ方、その人にとっての常識の違いにより、その基準が異なるのだから、当然だ。 私のことを「非常識だ」と感じる人もまた、それこそ大勢いるのだろう。 だが――最近、あまりにも非常識な輩が増えた、と感じている。 . オンラインセッションに、幾つかのサイトに掛け持ちで参加していると、異常な事態に遭遇する事がある。 そう機会は多くない。あくまで稀に、という程度なのだが――やはり顔の見えない環境というのは、恐ろしい。 . GMの裁定が公平性に欠けるとして逆上、以後の関係ない発言にまで噛み付いてくる。 遅刻・寝オチをしながら、詫びの一言もない。 →それが原因で時間が遅れている状況で、急ぎ目で進行するよう指示すると、 「え~、それは協力してくださいってお願いした方がいいんじゃないの、GM~?」 と身
先日の「面白い奴と面白くない奴の違い」に近い内容だが。 . 格好いいキャラクターを最初から作ってくるPLは、大概キャラクターを格好よく表現する事ができない。 どう格好よくキャラクターを表現しようか考えてくるPLは、仮にハンドアウトや作成済キャラでどんなキャラをやる事になっても、大概まともな表現をしてくる。 小さいようで、もの凄く大きな違いになるんだよな、これって。 . 北方謙三の三国志、水滸伝なんかはそういうのが顕著だ。 呂布、張飛、魯智新、阮小五なんかを、ああも格好よく描けるのは、本当に凄いと思う。 常人なら、まずこの辺のキャラを格好よくしようという発想すら浮かばないだろう(単に粗暴で思慮が足りない人物や、端役としてしか描かない)。 それはとりもなおさず、北方謙三が『格好いいキャラ』ではなく、『キャラを格好よさ(の、表現)』に注目しているという事を如実に表している。 その意味では、原哲
最近になって、ようやく自らの性癖に気付く事ができた。 私は日頃からTRPGをやる時はGMが多い。 気が付くとGMをやっている。 TRPGをやるとなると、当たり前のようにGMをやる事を考えている自分がいる。 これはもう、病気である。 だが、精神に巣食う病魔と化したGM性も、最近はなりを潜めている。 全く、GMをやる気にならないのだ。 オンラインで遊ぶ分には、ネタが思いついたからやる気の赴くままにGMしているのだが……。普通の、オフラインで遊ぶ際には、以前のようなGMをしようという気力が全く沸かなくなっているのに気が付いた。 その理由を考えたとき、ふと思い当たる節があった。 . 先日の、某TRPGイベントの時だ。 私はやる気の減退からGMを辞退し、PL参加していた。 しかしセッション開始直後、GMの携帯電話に元に職場から電話がかかってきた。 GMは「すぐ行ける」等の会話をしていたため、卓の中で
TRPGを長くやっていると、色々なこだわりができてくるものだ。 「TRPGとは○○でなければならない」 「TRPGとは××であるべきだ」 「△△なんてプレイをしている奴らは低レベルだ」 等々、様々なこだわりがTRPG界では語りつくされてきた。 こだわりを持つ事は価値観を定める事であり、自己の判断基準の形成に役立つ事だろう。 素晴らしい。実に素晴らしい。 今日はそんな、とてもスバラシイこだわりの数々の実例について、触れてみようと思う。 . ヒロイックなファンタジーをやろう、という企画があった。 友人がGMをし、私と私の大学の後輩たちがPLとなった。 シナリオ開始と同時に、後輩たち二人のOPとなった(私は登場不可)。 旅をしている後輩二人の前に、背中に羽根の生えた美少女が現れ、助けを求めてきた。 だが、後輩たちはそれを断った。 金にならない。事情がわからない。結果、追っ手と敵対する理由がない。
※愚痴っぽいので、暇な人以外は見ない方がいいです。 . . 逃れられない運命ってのを、ちょっとは信じていい気になってきたよ。 一つ目はGM稼業、二つ目はPL時の他者からの介入。 . . まず一つ目だが、TRI-S7月土曜会は「GMやらない」宣言をしていたのだ。 もともとPLで遊ぶ為に入会したサークル、土曜会で毎回GMしている方が異常な状態だった。 GMできる人は他にもいるんだし、まぁその人たちに7月は頑張ってもらおうという事で、その意志をGM可能な方々に伝えて今回はPLにまわり、あくまで予備としてGM準備をしていたのだ。 まぁ、予備として準備しているという時点で、結末が読めている人もいるかもしれない。 ええそうです。 7月土曜会、天羅万象・零でGM立候補でございます。 予定者から当日予定が入ったと言われちゃあ、しょうがない。 やるとなったからには、全力でやる以外選択肢はないわけだ。 . こ
ぶっちゃけムカつくNPCで満ち溢れているよな、今のTRPGって。 私は常々そう思う。 なんで我々PLは、GMの一人よがりなNPCの接待プレイをしなければならないのか? 馬鹿馬鹿しい話だ。 何が一番馬鹿馬鹿しいかって、GMもPLの作るPCに対し同じ事を考えている現実が一番馬鹿馬鹿しいのだ。 . キャラクターを演じる事は、TRPGにおける大きな楽しみの一つだ。 TRPGの歴史的にも、時代の変遷と共にその比率は徐々に上がっていき、キャラ演技がルールの中心となるシステムが幾つも存在している。 キャラ演技は楽しい。 それは当然だ、仮想世界で魅力的(と自分が感じている)人物を創作し、思う様活躍させられる。 抑圧された自己の欲求(支配欲、物欲、性欲、等々)が発散されるのだ、楽しくないわけがない。 だが、キャラ演技は自己の欲求の発露であるがゆえに、落とし穴が存在する。 自分が魅力的と感じている人物が、必ず
番長学園の戦闘は、勝てるようにできている。 システムというものが重視されない演技重視のこのゲームは、熱い・面白い発言にポイント(番長力)が与えられ、それを以って判定のボーナスとする。 敵も番長力を持っているが、PCが得る番長力の方が数的に優位に立っている事が多い(これはGMの裁量によるのだが、私の経験則上はそうだ)ため、これは脅威とならない。 途中に出てくる中ボスクラスの敵番長は、正攻法であたっても十分に対処できる。また、システム上『格が上の相手』――番長フレームという特殊なリソースを使うか、必殺技を使用しなければ攻撃を命中させる事すらできない相手でも、それは同様だ。 潤沢な番長力と必殺技による一点突破によって易々と討ち破れるし、何より番長フレームには『行方不明宣言』というルールもある。これにより、勝敗を曖昧にしたまま、自分が望むシーンに再登場できる。 盛り上がった場面で再登場したPCに対
番長学園における戦闘の構築法、その続きである。 先程は負けパターンについて語ったので、今度はどう勝つかについて語ろうと思う。 前記事から順番に読んでもらえれば、負け→勝ちの順番で語る事の意味はご理解頂けるはずだ。 . 戦闘にどう勝つか。 番長学園がシステムデザイン上、敵に絶対勝てるよう作られている事を考えると、やはりただ勝つだけでは物足りないと言えよう。 では、具体的にどうするか。 まず順当にいけば、敗北→逆転の構図があるだろう。 時には、常に自分が優位に立ちながら勝利する、というのもいいかもしれない(やり過ぎると嫌味にしかならないが)。 戦っている最中に、敵との間に友情が芽生えるというのもありだろう。 それらを、それぞれ紹介していきたい。 . 1)敗北→逆転 このケースにおける敗北の事例は、前記事を参考にしていただきたい。 そうした敗北から、どう立ち直り、勝利へと導くか。 まず思い出して
TRPGでGMが為すべき仕事は、セッション以外の時間にも存在する。 場所の確保や面子確定などの仕事は、GMが兼任する環境が多いように聞くし、事実私もそうしている。 例えばセッション前、セッション中の休憩時間、セッション中の雑談。 そうした部分にもGMが為す事で、よりセッション成功率を高める行為は存在する。 . まず、面子だ。 当たり前だが、個々のPLにはシステムや世界観、キャラクターの好みがあり、またPL同士の仲の良し悪しも存在する。 彼らの好みがその日のセッションにそぐわない場合、PL同士が仲悪い場合、せっかく作ったシナリオも十分に機能しない場合がある。それではもったいない。 また一見いい関係を保っているようで、内心ギスギスしたものを溜め込んでいる間柄というのも現実には存在するので、そういう面子が一同に介さないように気を配る必要もある(冗談みたいな話だが、サークル等では現実に存在する問題
定例会など参加していると、案外このブログ見てるよー、と言ってくれる人が多い。 なので、一人一人に言うと面倒な事をこの場で言ってみる。 . 私のマスタリングなのだが、結構PCが死ぬ。 基本的な戦闘バランスを、『PC全員が連携をとって戦った上で、ダイス目次第では1人ぐらいは死ぬ』と考えているからである。 また基本的に放置型のマスタリングなので、主体性のない人にはとことん向いてない。 GMが手を尽くしてフォローできる部分はフォローするよう努力するが、PCが何をするか、しないか、話すか、話さないか等々はPLが決める事である。 GMである私がPCの行動を勝手に決定する事は(シナリオ上のイベント……例えば『記憶喪失で誰かに操られている人造人間』のキャラへのイベント等)でもない限り、基本的にない。 なので揺り篭から墓場までGMに面倒を見てもらいたい北欧系PLには私のシナリオは向いていない。 また私のシナ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く