常総市水海道宝町の映画館跡地で7日、一夜限りの野外映画上映会「懐かシネマ」が開かれた。「フィルムコミッション日本一」と銘打った町おこしの一環で、昨年に続き2回目。商店主が企画した。10月10日に予定していたが、その1カ月前に東日本豪雨による水害が発生。ようやく開催できた今回、込めた願いは商店街の「復興」-。(海老原由紀) ◇ 懐かシネマは、婦人洋品店社長の羽富都史彰(はとみ・としあき)さん(56)が企画し、映画館の元オーナーの息子らと共同で平成26年4月に第1回を開催した。6年前の市のイベントで、羽富さんが昭和初期の町の写真を展示し、多くの人から「懐かしい」「映画館の復活を」との声が寄せられた。これがきっかけとなった。 映画館の元オーナーとは、今は亡き東郷通行さん。夫婦で2階建ての芝居小屋を改装して昭和21年に「宝来館」という名で営業を始めた。娯楽がない時代に多くの客でにぎわったが、テレビ
アイトピアホール(石巻市中央2)で11月14日、映画「Mommy」上映会が行われる。主催は「ISHINOMAKI 金曜映画館」。 ISHINOMAKI金曜映画館は、映画/映像と映画館のもつ力でコミュニティを活性化することを目指し、石巻市中央などを拠点に街なかで毎月数回、映画上映会を開いている。 「Mommy」は、第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で審査員特別賞を受賞したカナダ映画。宮城県では、仙台市内の1館で上映されて以来の上映となる。 同映画は、ADHD(多動性障害)を持つ15歳の子どもを育てるシングルマザーの物語。法律や周りの環境に影響されながら生活する2人は、隣家に住む引きこもりがちの女性教師と親しくなる。それぞれの日々に生まれる変化を通じて、愛情と葛藤を描く作品となっている。 ISHINOMAKI金曜映画館の近江志乃さんは「監督は26歳のカナダ人、グザヴィエ・ドラン。画面
オープン10周年を迎えた那覇市のミニシアター、桜坂劇場を運営するクランクの社長で映画監督の中江裕司が3日、那覇市の同劇場で報道各社の取材に応じた。
「このふざけた劇場へ、ようこそ」 世に映画館は数あれど、立川シネマシティほどぶっちぎりで面白い劇場も少ないのではないか。大手のように巨大な資本もなく、都心から離れた立川にある。しかしながら観客動員数では大都市の大手を超えることもある。なぜか。 成功の理由は、資本力がなくとも、常に時代の先を読み、アイデア一発で映画館の可能性を広げてきた柔軟な実行力にあるのである。 本日は若き仕掛け人、遠山武志企画室長の話をお届けしたい。1975年生まれ、39歳。類まれなアイデアセンスは映画ファンならずとも発見があるはずだ。 あらかじめ謝っておくと、本記事は普通の雑誌新聞でも珍しい1万字、ショートコンテンツ時代に全力で逆行した厚い記事となっている。スマホでお読みいただくのはしのびないが、お許しいただきたく頭を下げる次第である。 マッドマックスのために数百万円 さて話は冒頭の言葉から始まる。 これは公開中の映画
昭和3年(1928年)に建設され、京都の飲み屋街のど真ん中で長らく小学校として親しまれてきたのが「元・立誠小学校」です。1993年に閉校したのち、地域のイベントや演劇・音楽・展示会などの拠点として活躍している場所で、1895年に発明された「世界初の実写映画」ともいわれるシネマトグラフが日本で初めて投影された地としても有名な場所だったりもします。そんな「日本映画の原点の地」である元・立誠小学校の校舎3階には、なんと「立誠シネマ」と呼ばれる映画館が存在し、収容人数の多い大きな映画館ではお目にかかれないような映画が上映されています。 立誠シネマプロジェクト|京都・木屋町通、元・立誠小学校のシアター http://risseicinema.com/ 「立誠シネマ」は京都の木屋町通、三条通と四条通のちょうど中間辺りにあります。 最寄り駅は阪急京都線の河原町駅で、1番出口から北に徒歩で3分程度の場所に
テクノロジーの進化でが広がるアーカイブの効率的利用 昨年、慶應義塾大学メディアデザイン研究科教授の中村伊知哉先生のお招きで、CiP(Contents Innovation Program)竹芝プロジェクトで話をしてきた。 CiPは、2019年のオープンを目指し、東京湾岸地区の竹芝に未来のデジタルコンテンツの集積地を作るために設立された会。今回はそのとき触れた「コンテンツのビジネスモデルは3つしかない」という話についてもうちょっと考えてみた。 CiPが具体化する2019年は、映画スタジオがカリフォルニアのハリウッド地区に集積してから約100年。 20世紀初め、アメリカ東海岸でエジソンが発明した映写機を使って映像を見せるビジネスをしていた人々が、その利用料支払いを逃れるために、西海岸に移動したのがハリウッドの始まりと言われている。
『沖縄まぼろし映画館』平良竜次・當間早志・NPO法人シネマラボ突貫小僧著 ボーダーインク・1800円+税 私が那覇市内に仕事場兼住居を構え、半移住生活めいたことを始めて8年ほどになるけれど、最近はもっぱら同好の士と戦後直後に栄えた街を散策しているときが楽しい。往時の街のにおいや記憶をさがしていると、ふいに斬新なモダンデザインの古い建築物に遭遇することがある。 それはたいがいかつての映画館で、いまは別の目的で使われていることが多い。私はそんなときにバッグから「沖縄まぼろし映画館」を取り出して、確認する。あった、これだ。本に記録されている映画館の由来を読みながら、地元の人たちが詰め掛けていた時代を思い浮かべる。 それにしても、ピーク時の1960年には沖縄には120軒も映画館があったことに驚く。 本書では終戦直後の45年から本土復帰の72年までに絞り、映画館の調査をおこない、取り上げている。この
「シネマノヴェチェント」の内観 神奈川県・横浜市に新たな映画館「シネマノヴェチェント」が2月7日にオープンした。場所は西区の藤棚商店街内、席数は28席で、32席のバー「トラットリア ノヴェチェント」も併設されている。 代表の箕輪克彦さんは、横浜でアクション専門の映画祭「シネマジャンクション」の審査員も担当。川崎で11年にわたり営業していた「シネマバー ザ・グリソムギャング」がクローズした後、「古い商店街好き」が高じて、横浜市西区の藤棚商店街のこの物件に出会い、商店街をともに盛り上げていきたいとこの場所にオープンを決めたという。 「シネマノヴェチェント」の外観 オープンから1週間、「地元の方だけでなく、遠方からお越しいただける方からも『映画館なのか飲み屋なのか、どういうシステムか?』という声をいただくのですが(笑)、入っていただくとお分かりいただけるんですけれどね」と評判は上々だそうだ。 「
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