ロシアのソチで6日、第22回冬季オリンピックが開幕した。これから23日までの間、世界中のアスリートたちが熱い戦いを繰り広げる。 ところで、ソチといえば、宇宙開発史の中においても関係が深い場所である。 1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリ・ガガーリンと、その同僚の宇宙飛行士たちの"6名"は、翌5月に休養のため、黒海に面したリゾート地であるソチを訪れた。 そのとき撮影されたのが上に掲載した写真である。しかし上と下の写真を比べると、後列の真ん中にいる人物が消されているのが分かる。 この消された宇宙飛行士の名前はグリゴーリィ・グリゴーリエヴィチ・ネリューボフという。彼は1934年3月31日にウクライナで生まれ、ソ連空軍のパイロットとなった。彼は優秀なパイロットで、1960年3月7日に、ユーリ・ガガーリンら20名と共に、宇宙飛行士の一人として選ばれ、さらに翌年、ヴォストーク宇宙
「気球との衝突避け墜落」=ガガーリン死亡で旧ソ連調査委 「気球との衝突避け墜落」=ガガーリン死亡で旧ソ連調査委 【モスクワ時事】人類初の宇宙飛行に成功した旧ソ連のユーリー・ガガーリン飛行士が1968年3月27日、操縦していたミグ戦闘機の墜落により34歳で死亡した事故について、ロシア大統領文書館のステパノフ総務局長は8日、観測気球との衝突を避けようとして急旋回したことが原因だったとの結論を当時のソ連政府調査委員会がまとめていたことを明らかにした。 今月12日のガガーリンの宇宙飛行50周年記念日を前に、ロシア政府は一連の関連文書の秘密指定を解除した。同局長によると、この中の政府調査委の文書は「気象観測気球を避けようとして急旋回したことが事故原因になった可能性が最も大きい。急旋回に続いて危機的な飛行状態に陥り、墜落した」と結論付けていた。(2011/04/08-22:41)
死ぬとわかっていながら宇宙に飛んだ、旧ソ宇宙飛行士コマロフの悲劇2011.03.23 11:00226,389 satomi 宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフ(Vladimir Komarov)はソユーズ1号で地球を飛び発った時、自分が二度と生きて帰れないことは百も承知でした。それを見守る人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン(Yuri Gagarin)も。 でも当時のソ連のリーダー、レオニード・ブレジネフ書記長は共産党革命50周年を盛大に祝うものが欲しかったんですね。だからコマロフはソユーズ1号に乗って飛び、予言通りの運命を辿りました。上の写真はコマノフの遺体です。 Jamie DoranとPiers Bizonyの共著「Starman」はコマロフとガガーリンの友情を紐解き、なぜふたりがUSSR(ソ連)の危険なミッション断行を阻止できなかったのか、真相に迫る本です。 その詳細がNPRに載
旧ソ連はルナ計画をはじめ、無人での輝かしい月探査を行ってきましたが、これらの計画の立案には、実は密かに入手したアメリカの月探査機の高精細画像が使われていたということです。RIAノーボスチ通信のリポートをもとにmoondaily.comが報じています。 これによると、当時モスクワのソビエト宇宙科学研究所に勤めていたアレクサンドル・バジレフスキ氏は、将来的なソビエトの有人月探査計画に備え、着陸場所の選定のために月面についての詳細なデータを得ることを目指していました。しかし、ソビエトが着陸させた無人探査機からの画像は十分な精度がなく、そのため、諜報機関を通し、アメリカが持っていた高精度の月面の写真を入手したとのことです。 ・Soviets Used US Lunar Photos To Plan Own Moon Mission (moondaily.com) http://www.moo
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く