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内田樹に関するjiangmin-altのブックマーク (40)

  • 親鸞 - 浜田整体

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    jiangmin-alt 2014/01/17
    "検索結果を見たら、内田樹の名前が出て来て、本当に何にでも名前が出て来るなと感心した。斉藤孝の『声に出して読みたい親鸞』という本もあって、これには笑った。このシリーズで一生食べていけそうだ。"
  • Amazon.co.jp: 修業論 (光文社新書): 内田樹: 本

    Amazon.co.jp: 修業論 (光文社新書): 内田樹: 本
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    jiangmin-alt 2013/08/04
    とりあえずこれ読んで落ち着く。
  • 内田樹は3年前に何と言っていたか?(自己保存用)

    はてなブックマークで内田樹の参院選についての感想記事が人気を集めている。 参院選の総括 http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2013/07/23_0850.php 現に、今回の参院選では「ねじれの解消」という言葉がメディアで執拗に繰り返された。それは「ねじれ」が異常事態であり、それはただちに「解消されるべきである」という予断なしでは成り立たない言葉である。だが、そもそもなぜ衆参二院が存在するかと言えば、それは一度の選挙で「風に乗って」多数派を形成した政党の「暴走」を抑制するためなのである。選挙制度の違う二院が併存し、それぞれが法律の適否について下す判断に「ずれ」があるようにわざわざ仕立てたのは、一党の一時的な決定で国のかたちが大きく変わらないようにするための備えである。言うならば、「ねじれ」は二院制の質であり、ものごとが簡単に決まらな

    内田樹は3年前に何と言っていたか?(自己保存用)
  • 嗜好品について - 内田樹の研究室

    嗜好品についてのエッセイを頼まれたと思っていたら、「口にする嗜好品」のことだった。 これは使えませんということで没になった原稿。 「読みたい」という方がツイッター上に二人いらしたので、公開します。 ぜひお読みいただきたい、というようなクオリティのものじゃないんですけど・・・ 嗜好品というものがない。 だから、よく男性誌で特集している「男なら、この一品」というようなカタログを眺めても、そのようなものに「こだわる」人の気持ちがよくわからない。 自分の持ち物については、洋服も、も、時計も、ペンも、バイクも、自動車も、家も、別に「これでなければならない」というようなこだわりがない。 必要になったら、ふらふらと街に出て、ウインドーショッピングをしているうちに「目が合う」ものがあれば、それを買う。それだけである。迷うということも、目移りするということも、ない。目が合ったら、「あ、これください」だけで

  • 大学統廃合について(ひさしぶりに) - 内田樹の研究室

    6月23日の朝日新聞の社説に「大学改革 減らせば良くなるのか」という論説が掲げられていた。 政府の国家戦略会議が行っている大学改革論議の中で、財界人や政治家たちから、「大学が増えすぎて学生の質が下がった。専門知識はおろか一般教養も外国語も身についていない。大学への予算配分にメリハリをつけ、競争によって質を上げよ。校数が減って、大学進学率が下がってもいい」という声が上がったことへの疑念を示したコメントである。 大学を市場原理に放り込み、集客力のない大学の淘汰に同意すると、統廃合が進み、「体力のない地方の小さな私大からつぶれ、地方の裕福ではない家庭の子は進学の機会を奪われる」と社説は予測する。 この予測には、私も同意する(朝日新聞の教育関連の社説と部分的にではあれ意見が合うというのは、私には珍しいことである)。 そもそも大学生の学力が低下しているのは、中等教育で基礎学力が担保されていないからで

  • 内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」() @gendai_biz

    テレビは見ない。新聞もも読まない。マスメディアは世の中の急激な変化に戸惑うばかり。なぜ見なくなったのか。なぜ読まなくなったのか。内田教授はその理由を「作り手の劣化」と断じる。 先がない業界 日のメディア業界は、新聞も、図書出版も、テレビも、きわめて厳しい後退局面にあります。ビジネスモデルが、一変してしまいました。とにかくもう業界的には「先がない」状態だと思います。お気の毒ですけど。 その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。 先日の民主党代表選の報道でも、とても気になったことがありました。 菅直人総理はじめ、政治家のぶら下がり取材をしている記者たちが、とにかく若い人ばかりなんです。 20代から、せいぜい30代前半まで。ちょっと前までバラエテ

    内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」() @gendai_biz
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    jiangmin-alt 2012/01/18
    "私自身は、民放テレビ局の番組を見ることはほとんどなくなってしまいました。とにかく音がうるさくて、出演者たちの声が癇に障ります"
  • 平松さんの支援集会で話したこと - 内田樹の研究室

    10月17日の平松邦夫市長を励ます会で「おせっかい教育論-教育条例の時代錯誤について」という講演をした。 講演録はそのあと『橋下主義を許すな!』というに採録された(香山リカ、山口二郎、薬師院仁志との共著、ビジネス社)。 選挙の応援のための、いささか「煽り」の入ったなので、手に取るのを控えた方も多いと思うが、私の書いていることはいつもの原則論である。 教育現場にドラスティックで急激な変化は馴染まない 平松市長から教育関係の特別顧問をと委嘱されて、お引き受けした時に、「大阪市の特別顧問に任ず」という委嘱状を頂きました。紙一枚もらって終わりだろうと思っていたら、いきなり「さあ、これから記者会見です」と言われました。そんな話聴いてなかったので、何の準備もしていない。いきなり記者会見に連れ出されて、「内田さんの顧問としての抱負を」と尋ねられました。何も考えていなかったのですが、そういうときの

  • 学ぶ力 - 内田樹の研究室

    「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。 中学二年生になったつもりで読んでね。 「学ぶ力」 「学ぶ力」 日の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試

  • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

    大阪維新の会が教育条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育政治的中立性とは、来、教育法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

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    jiangmin-alt 2011/08/26
    "私が経験的に知っているのは、「愛国心」とか「郷土愛」ということをうるさく言う人間に、同胞や同郷者に対する寛大さや愛情の深さできわだつ人間を見たことがない、ということである"
  • 「劣化」その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    内田樹*1「ネット上の発言の劣化について」http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php 内田氏の最近の言説には興味深いものが多く、幾つかコメントを試みたいものがあるのだが、或る事情からこのエントリーを優先することにする。あの、遺憾ながら(字義的な意味では)逝っていない布引洋*2がこのエントリーを採り上げて、また例の邪悪な想像力を駆使しつつ、内田樹=「エアーな原発御用学者」に仕立て上げようとしていたのだった*3。この妄想の妥当性は、内田氏と布引洋の文を読み比べれば一目瞭然だと思うので、ここで詳しく論ずることはしない。 内田氏のエントリーには「原発」のゲの字も出てこない。ただ色々と興味深い文章であることはたしかだ。 個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が

    「劣化」その他 - Living, Loving, Thinking, Again
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    jiangmin-alt 2011/08/17
    "内田樹=「エアーな原発御用学者」"
  • 感情表現について - 内田樹の研究室

    海江田経産相が国会で落涙したことについて、週刊現代から電話取材を受けた。 「どう思いますか?」と訊かれたので、こんなふうに答えた。 どうして「そういうこと」が起きるのか。 理由は二つ考えられる。 一つは「感情表現が抑制できない人が増えている」という解釈。 一つは「感情表現について抑制的である必要はない」という考え方が広く定着したという解釈。 たぶん、その両方の理由によるものだと思う。 感情は自分の内面に根拠をもっていると私たちは思いがちだが、ほんとうはそうではない。 脳科学が教えるところによれば、私たちは感情を外部にあるものの模倣を通じて学習するのである。 ミラーニューロンの働きについてはこれまでも何度も書いてきた。 他人がある動作をしているときに、それを見ているものの脳内ではそれと同じ動作を指示するニューロンが発動する。 ミラーニューロンは、行為をするときにも、知覚するときにも動くのであ

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    jiangmin-alt 2011/08/14
    "他人の身体表現を模倣し、それが伴う情動が内面化した結果、感情が生まれる", "感情とは(観客がいないと意味をなさない)社会的な記号なのである"
  • 140字の修辞学 - 内田樹の研究室

    Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。 たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。 わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。 というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。 何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。 一刀両断的コメントの

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/08/08
    "前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない"
  • 歩哨的資質について - 内田樹の研究室

    毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。 「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出したものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで70分お話しする。 このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。 私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。 宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか(というより「何がないか」)も知らない。 時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。 『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。 「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。 だれがその大きさを定め、 だれが測りなわをその上に張っ

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2011/08/08
    "「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまえばよいかがわかる」能力が必要なのである。その「センサー」を研ぎ澄ますために経験的に効果的な方法が存在する。宗教的な修業や武道の稽古は本来そのための"
  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

  • 『邪悪なものの鎮め方』内田樹

    ブログを拝読することはあっても、考えてみると内田樹さんのを買ったことがない、と言ったら、近しい御方に「あるやろっ」とツッコまれました。 確かにありました。『私家版・ユダヤ文化論』等の、フランス文学者あるいは「ゲンダイシソーの人」として内田先生の著書です。 でも、その後「養老孟司化」した内田氏の著書は、キチンと読んだことがありませんでした。 そう、こういうのを「養老孟司化」と呼んでます。どこぞの道を極めた御方が、「コイツに世の中語らせると面白いぞ」と発見されて、ヨン様からイラク戦争まで語り出してご意見場になる現象のことです。 「養老孟司化」するのは、確かに当に頭のキレる方なのが普通ですし、少なくとも最初の頃はとても面白いです。亀仙人の甲羅を外した悟空みたいに、専門の楔から放たれた賢者は、もう十メートルくらいジャンプしまくりです。 でも、そういう人も聖人君子ではないですし、場合によっては既

    『邪悪なものの鎮め方』内田樹
  • 内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記

    『文學界』4月号に内田ジュ先生が60歳で定年前に神戸女学院大を辞めるというので最終講義が載っている。何たる華々しさであろうか。 何か、さしさわりのあることも書くなどと言っておいでだったが、別にそんなものはない。温情で学生を卒業させてやったとかいう話があるくらいで、この程度で「さしさわりがある」のであれば、私に大学教員が務まらないのも無理はないと思った。 が、ジュ先生は21年前、というから39歳の時ですね、神戸女学院に就職するにあたって、傷害事件の類を起こすことを懸念し、なるべく家から出ないようにした、と書いておられる。自動車通勤し、家と大学と道場を移動するだけだった、という。人通りのあるところを歩くと喧嘩沙汰になるからということのようだが、梅田や三宮には月に一回くらいしか行かないというが、それだけ行ってりゃ十分でしょ。それにインドネシアへも旅行しているし、飛行機での移動なんて特にカリカリし

    内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記
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    jiangmin-alt 2011/03/07
    "大学では優しくされた、という風に書いていて、赴任するなり恫喝を受けた私が読むと自分がかわいそうで涙ぐまれる。ホントーに神戸女学院ってそんなにいいところなのか。まあ、武道家だから、からんでくる奴もいな"
  • 二重投稿 - 内田樹の研究室

    一個前の「卒論心得」は前に7月ごろにブログに投稿してましたね。 夏休みの暑さであたまがぼんやりして、書いたことを忘れて、二重投稿しちゃいました。 だいたい、学生たちにこんなものを書いて配布したことそれ自体を忘れていたのでした。 なんでも忘れる男です。 でも、書いた人が読み返しても「なるほどねえ」と思ったんだから、いいですよね。 だいたい、私が書いていることって、どれも10年前からほとんど同じことの繰り返しなんだし。 (2010-10-02 10:09) 前の記事 次の記事

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    jiangmin-alt 2010/10/02
    "でも、書いた本人が読み返しても「なるほどねえ」と思ったんだから、いいですよね。だいたい、私が書いていることって、どれも10年前からほとんど同じことの繰り返しなんだし"
  • 小谷野敦と山形浩生が同じ点で内田樹にツッコミ - YAMDAS現更新履歴

    このお方は、2002年いっぱいで文筆家を廃業すると朝日新聞で堂々宣言して、結局やめず、かつやめなかった理由についても説明していないウソツキジュ君である。 オオカミ少年内田ジュ先生 - を償うにをもってせよ http://bit.ly/dhrqF7 朝日書評委員時代 (2002頃)も、内田樹は一般書うちどめ宣言をした。当時の内田著書はまだ質が高かったし、打ち止めなら是非紹介しようと、高橋源一郎と取り合ったものだ。でもその後、絶筆どころか濫造に拍車がかかって失望。今度も口だけか。 http://twitter.com/hiyori13/status/22943333708 奇しくも先生と山形浩生が、内田樹がかつて宣言を反故にしたことを突っ込んでいる。 ワタシの内田樹への評価は、三年前にも書いている通り、「とても読ませる書き手であるというのは認めるが、(特に若い)読者をたぶらかすのもたい

    小谷野敦と山形浩生が同じ点で内田樹にツッコミ - YAMDAS現更新履歴
  • 団体行動のすすめ - 内田樹の研究室

    「多田塾甲南合気会上半期結婚披露宴3次会」というものが開催される。 春先から 7 月にかけて高取くん金子さん、くうさん、ヤベッチと3組の結婚式が続いたので、個別的に祝賀会をやっていると幹事が疲れちゃうということで、「まとめてやる」という手荒な英断を私が下したのである。 その後、去年の夏の亀ちゃんの祝賀会も会ではやってなかったよね・・・ということを思い出して、現在妊娠6ヶ月の亀ちゃんご夫(いまは小林さん)も加えてまとめて4組の合同祝賀会というものを開催したのである。 集まった同門の諸君、その数 60。 仕切りはいつものように、谷口さん、谷尾さん、清恵さんの「事務方の大人の人たち」。あと東沢くんとおいちゃんがお手伝いをしてくれました。 会場は国分さんのご紹介(シャンペンの差し入れも〜)。 みなさん、どうもありがとう。 こういう団体行動をてきぱきとこなす、というのは実はたいへん武道的なことなの

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    jiangmin-alt 2010/09/05
    "「見取り稽古」というのは、すぐれた術者の動きをただ見ているだけの稽古のことであるが、これはなまじばたばた走り回って大汗かいて稽古するよりもはるかに術技の上達に資する"
  • 東京と私 - 内田樹の研究室

    東京新聞に「わが町、わが友」という6回連載エッセイを書いた。 思い出に残る東京の町について書いてくれと頼まれた。 東京新聞だと、読んでいる人は限られているので、ブログで一挙公開することにした。 どぞ。 下丸子(1) 私は東京生まれだが、20 年前に東京を離れ、以後ずっと関西在住である。もちろん、今も東京にはよく行く。母や兄や娘が住んでいるし、友人たちも大勢いる。でも、「東京に帰る」という言い方はもうしない。関西に引っ越してきてから、しばらくは「東京に帰る」という言葉に実感があった。多摩川の鉄橋を渡るときには「故郷に戻ってきた」という気がした。だが、あるとき電車で西に向かっているとき、夕陽を背にした六甲の山並みのシルエットを見て「ああ、もうすぐ家だ」と思ってほっとしたことがあった。その瞬間に東京は「私の街」ではなくなった。 このコラムで私が語るのは「かつて『私の街』であった街」についての回想