ある一人の人Xが正しく理解していない時に、Xに正しく理解させるための文章を書いて、Xの理解が改善されたとして、それは「1人分の改善」である。一方で著書に書いたことは何万人の読者が読む。著書でなくても、ブログなりScrapboxなりに書いたことは、長期的に読まれる。 書いていて気づいたが「長期的」も一つ重要なファクターだ。「Jythonプログラミング」を書いて、短い期間で陳腐化して、今度こそは陳腐化しにくい書籍にするぞと意気込んで「コーディングを支える技術」を書いた。この「情報の陳腐化」を意識しだした時期と、マサカリの減少した時期は一致する気がする。 個別の人Xに対するマサカリより、それをもっと抽象化して長期的に価値を保つような文章を書くことに時間を使った方がよい。僕の人生の時間は有限であって、それを目の前の一人に使うよりは、長期的に大勢の助けになるようなものを作る方向に使う方がよい。その結
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