GPT-4は、OpenAIが開発した最先端の人工知能です。このAIはさまざまなことができます。どのようなことができるのか、ぜひ自分の目で確認するとよいでしょう。 しかし、GPT-4を使うには、クレジットカードで月額20ドルの支払いが必要です。このため、小中高生及び高専生の皆さんの中には、興味があっても親が理解してくれなくて経験できない人がいると思います。これは機会損失です。 そこで、私は日本中の中高生にGPT-4の体験機会を提供したいと思っています。予算は25万円で始めます。これによってサブスクリプションでは約100人分、API利用では約1万回の質問が可能になります。 少し自己紹介をします。私は未踏ジュニアのメンターをやっていて、毎年の100件以上の応募に目を通しています。その中には「やりたいこと」はあるが「最初の一歩をどう踏み出して良いか」が分からず困っているものがいくつもあります。身近
@nishio: あ、そうか、10年前からあったけど10年間の間に勢力を拡大したケースがあるからあんまり厳しく切らない方がいいのか(TypeScriptの登場が2012年、Rustの登場が2010年だった)
ある一人の人Xが正しく理解していない時に、Xに正しく理解させるための文章を書いて、Xの理解が改善されたとして、それは「1人分の改善」である。一方で著書に書いたことは何万人の読者が読む。著書でなくても、ブログなりScrapboxなりに書いたことは、長期的に読まれる。 書いていて気づいたが「長期的」も一つ重要なファクターだ。「Jythonプログラミング」を書いて、短い期間で陳腐化して、今度こそは陳腐化しにくい書籍にするぞと意気込んで「コーディングを支える技術」を書いた。この「情報の陳腐化」を意識しだした時期と、マサカリの減少した時期は一致する気がする。 個別の人Xに対するマサカリより、それをもっと抽象化して長期的に価値を保つような文章を書くことに時間を使った方がよい。僕の人生の時間は有限であって、それを目の前の一人に使うよりは、長期的に大勢の助けになるようなものを作る方向に使う方がよい。その結
Marieの体験談として「ジャンルごとにペンの色を分けたら、読み返す時には見やすかったが、必要な色のペンが手元になくて書けない問題が起きた。ズボラだと各色のペンを携帯することすら困難なので色分けはやめた」という話が紹介されている 僕がエンジニアの知的生産術の「表札とふせんの色」で書いた「私はふせんの色で区別することはやりません。これをやると見た目はきれいなのですが、複数の色のふせんを使い分けるのが面倒です。」と同じ考え方
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