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ブックマーク / urbansprawl.net (8)

  • 横芝光町母子 欲望が渦巻いた水田地帯の放棄分譲地

    北総に限らず現代の郊外や地方部では、旧来の市街地が商業地としての求心力を失う一方、幹線道路沿いなどに残されていた、元々水田などの農地だったところに大型の商業施設が進出し、その周辺に新たな市街地や住宅地が形成される光景がごく一般的なものになってきた。その現象については、鉄道を始めとした公共交通機関の衰退と合わせ、これまでにも数限りなくその是非が論じられてきたが、それはさておき、こうした旧来の「農地」を商業地や住宅地として利用する場合、通常は農地転用という手続きを行う必要がある。 地目が「田」あるいは「畑」の場合、そのままでは建造物の建築は許可されないので、農業委員会の許可を得て地目変更を行うわけであるが、もちろんどんな農地でも無条件で転用が認められるものではない。ここではその詳細については割愛するが、農地の無秩序な転用を防止するため、基的には、駅や住宅地、商業地などの市街地の近隣に残されて

    横芝光町母子 欲望が渦巻いた水田地帯の放棄分譲地
  • 「成東・南郷台」分譲地

    これまで公開した記事の中で、僕は何度か、分譲地の販売当時の新聞広告を紹介しているが、これらの広告はすべて図書館にある新聞の縮刷版を当てずっぽうに探して見つけたものを複写している。紙面広告には報道記事のような索引もなく、1か月ごとに刊行されている分厚い縮刷版の中から有用な広告が見つけられるかは、まさに運任せでしかない不毛な作業だ。 今でこそネット媒体にシェアを奪われ広告費の減少が著しい新聞広告だが、高度成長期やバブル期にかけては、新聞紙面広告の掲載料金はまだ高額で(今でも安くないとは思うが)、資金力の乏しい中小企業ではおいそれと出せるものではなかったはずである。そのため、新聞に掲載されている不動産広告は基的に都心近くの分譲マンションや、郊外でも主要駅近くに展開された大手デベロッパーの開発団地がほとんどであり、当然のことながら、得体の知れない無名会社が適当に開発したような超郊外の限界分譲地の

    「成東・南郷台」分譲地
    kaoruw
    kaoruw 2021/03/15
    バブル期の新聞広告から限界分譲地開発(東京駅から1時間12分→バス10分→徒歩27分)をふりかえる。「僕には、この時代を生きた人たちがただ無条件に得していただけとは、やはりどうしても思えないのだ」
  • この奥にアパート有り

    少し前の報道になるが、2020年9月21日付の『千葉日報』において、不動産ポータルサイト「LIFULL HOME’S」を運営する株式会社LIFULLが、首都圏一都三県の、物件問い合わせ数の増加率を駅ごとに集計したところ、なんと八街(駅)が賃貸物件の上昇率1位という結果が出たことが報じられた。2位は姉ヶ崎(市原市)、3位は大網(大網白里市)で、驚くべきことに上位3位とも千葉県の郊外部、それも都心からかなり遠く離れた地域の駅である。 もちろん、これはあくまで「上昇率」なので、極端な例を言えば、それまで1件しか問い合わせがなかった地域に、2件の問い合わせが来ればそれだけで上昇率は2倍になってしまうのだが(そんな単純な集計方法でもないとも思うが)、八街はそこまで物件の供給自体が希少な地域ではもちろんなく、恒常的に供給が続く地域であることを鑑みれば、実際に問い合わせの数自体は急増したことは疑いはない

    この奥にアパート有り
    kaoruw
    kaoruw 2021/01/13
    八街アパートの限界っぷり。「八街は「そこに土地があったから建てた」としか説明のしようのない住宅やアパートが次々と市場に放出された」
  • 大洋村上幡木字四牧山・字子持出 森の奥深くの別荘地

    2019年の台風15号通過後、僕は知人の案内で、かつて別荘地の乱開発に晒され、今なお多くの廃別荘が残る茨城県の旧大洋村(現・鉾田市)を訪問したことは既にお伝えした。その光景は、それなりに千葉の限界分譲地は見慣れてきたと内心自負していた僕も強い衝撃を受けたもので、その後も知人と互いに打診していたのだが、予定を合わすことが叶わず、再訪は叶わないまま数か月が経過していた。 そんな折、現在整備中の、横芝光の僕の所有地で、焼却炉として使うドラム缶をYahoo!オークションで物色していたところ、奇遇にも鉾田市内の業者の出品物が見つかった。これはついでに分譲地調査も行えるということで、実は鹿嶋市内でもドラム缶の出品はあり、それは引き取りが面倒だと渋っていたくせに、鹿島より遠い鉾田の出品物を秒速で入札し購入した。今回の記事は、そのドラム缶の引き取りの際に行ったものである。 当ブログは来、分譲地の在り様を

    大洋村上幡木字四牧山・字子持出 森の奥深くの別荘地
  • 【番外編】茨城県鉾田市 旧大洋村の廃別荘地

    当ブログは、基的に僕が居住する千葉県の、主に成田空港周辺と九十九里平野に残る古い旧分譲地の紹介をしているものだが、それらの分譲地の情報源のひとつが、アットホームなどの物件情報ポータルサイトである。 すなわち、限界分譲地を盛んに扱う特定の仲介業者の物件や、周辺に空き地の目立つ物件画像、諦めプライスに突入した物件などの所在地をグーグルマップの航空写真で確認し、現地を訪問している。 物件情報の確認はほとんど毎日行っていて、買う気もないくせに常に新着物件のチェックをしているのだが、しばらく前から、僕は北総の物件情報の他に、茨城県の鉾田市の物件情報も併せてチェックするようになった。 ここはメディア等でも時折取り上げられることがあるらしいので、ご存知の方もいるかもしれないが、旧大洋村(2005年に鉾田市と合併し消滅)エリアは、70年代以降、別荘地の開発・分譲が「盛んに」というレベルをはるかに超える規

    【番外編】茨城県鉾田市 旧大洋村の廃別荘地
  • 【番外編】同和行政が生み出した「町」

    今から約16年前の2002年、当時21歳だった僕は、たまたま仕事を求めて半年ほど暮らした、三重県桑名市の社宅の近所に同和地区があったことから、同和問題に関心を持ち、それから数年ほどの間、この問題についていろいろ調べていた。最近ではあまりこの問題が広く語られることもなく、同和行政、並びに部落解放運動において中心的な役割を担った部落解放同盟自体が、同和行政の終結とともに大幅に同盟員の数を減らし、併せて行政への影響力も失っていったことから、僕自身もこの問題から距離を置くようになってしまったが、当時、調査のために訪れた大阪東大阪市の旧同和地区、荒地区を訪問した際に撮影した写真が今でも手元に残っている。 荒はそもそも北総とは何の関係もないうえ、大阪市からも近く限界ニュータウンとは到底言えない立地で、なぜこのブログでそんな町を取り上げるのかというと、東大阪市は、不正が横行した同和行政の歴史の中で

    【番外編】同和行政が生み出した「町」
    kaoruw
    kaoruw 2018/01/13
    「実はウィキペディアの「部落解放同盟全国連合会」の項目を創設し記事を執筆したのも僕なのだが」にびっくり。
  • 東金レイクサイドヒル八坂台 (クレオの杜)

    東金レイクサイドヒル八坂台は、東金線の東金駅から北西におよそ2㎞の位置にある住宅地。2㎞というと比較的近く感じるが、その道程のほとんどが丘陵の斜面に設けられた勾配の強い道路で、駅徒歩圏内と言うには少し厳しい立地条件だ。近隣には日吉台という、バブル期に居住が進んだ大規模な住宅団地があるが、いずれもアップダウンの激しい地形であることには変わらず、自転車通学の中高生が自転車を手押しして上り坂を歩行している姿をよく見かける。 この住宅地は当ブログをお読みいただいた読者の方からコメント欄にて情報をご提供いただいたものである。東金には先述の日吉台のような、交通不便な山林を切り開いて造成した規模の大きい住宅団地がいくつかあり、僕は東金には頻繁に赴くにもかかわらずこの団地はまったくのノーマークであった。理由としては、例え更地が多くとも現在も分譲が行われ住宅建設の進んでいる団地は、東金に限らず各所にあり珍し

    東金レイクサイドヒル八坂台 (クレオの杜)
  • 山武市埴谷 雑木林に覆われた分譲地

    【追記】2023年1月現在は、当分譲地は周辺の雑木林の伐採が進み景観が大きく異なっています。 山武市は北総地域の中でも、小規模なミニ分譲地が乱立する自治体の一つである。旧山武町時代に、森や雑木林を切り開き、あるいは田んぼや沼を埋め立てて多くのミニ住宅地が造成されてきた。さすがに都心からこれほど遠い地域となると、大手の開発業者による大規模な住宅団地の対象地とはならず、資力も乏しい中小業者による、開発許可の不要な、貧弱な小規模分譲ばかり繰り返されてきた。団地名もなく、ニュータウンとも呼べないミニ分譲地のデパート。その中には、はっきり言って居住性など全く度外視され、ただただ分譲のみを目的として開発され、また買い手も端からそこに住む意思などなく、ただ値上がり後の転売のみを目論んで投資目的で購入し、あいにくそのまま次の買い手が見つからず今日に至っているような宅地が相当数ある。 まともな分譲地であれ

    山武市埴谷 雑木林に覆われた分譲地
    kaoruw
    kaoruw 2017/12/13
    “スプロールが際限なく広がり、理想の都市計画は霧散し、自治体は今もその負の遺産に苦しめられている。そんな当時の乱暴且つ無茶苦茶な住宅開発の名残を今に伝える分譲地が、ここ山武市埴谷の林の中に現存する”
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