昨日(15日)の朝日の社説だがなんだこれは? 実際に誰が書いたのかは知らないが、現在の朝日の「主筆」である船橋洋一は本当にこの「社説」でいいと思っているのか?朝日 社説 2010年8月15日(日)付 65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別脚本家の倉本聰氏作・演出の舞台「歸國(きこく)」が、この夏、各地で上演されている。8月15日未明の東京駅ホームに、65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」「俺(おれ)たちは今のような空(むな)しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」■もうひとつの戦後劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社
田中秀臣氏に闇討ちされたbewaard氏の議論、半分賛成だけど、半分疑問。 http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100818/p1(リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線) >BUNTENさんが「リフレ派の実体なんてねーよ、ただの呉越同舟に過ぎない。」とおっしゃっているわけですが、それで済むのはリフレ政策の実現がトッププライオリティだからこそ。小異を捨てて大同につく、とは大(=トッププライオリティ)を同じくするから成立する話で、大が同じでない人には当てはまらないわけです。BUNTENさんのご認識を言い換えれば、「リフレ派」とはリフレ政策の実現をトッププライオリティとすることが実体なわけで、セカンド以下のプライオリティは様々(=呉越同舟)だということでしょう。 >リフレ政策の実現がセカンドプライオリティである人を想定します。トッププライオリティは、たとえば所
・巷にあふれるトンデモ経済本と見かけ上大差ないチープな論争本の量産。ターゲットの一般人にはその質が他とどう異なっているのか判断しようがない ・クルーグマンがスティグリッツが・・・・・・、とお馴染みの名前の列挙。それはいいけどなぜ海外のジャーナルに査読論文を載せたり、そういう大御所たちと直接意見交換したり、自分たちの権威をアップさせるような実績を積まないのか ・ツイッターで公開内輪悪口大会、被害妄想と陰謀論と終末論の嵐 ・友敵区別の過激化。カンタンな行き違いで「敵」認定して常軌を逸した罵倒の嵐 この局面で、ファナティックな先鋭カルト集団化への道を自分たちで選んで突き進んでおいて、「リフレ派が世間に受け容れられない」とか自己憐憫に浸るのは、ちょっと違うだろとしか言いようがない。
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