タグ

ブックマーク / khideaki.hatenadiary.org (21)

  • ガソリン税の継続あるいは廃止の主張の論理を分析する 1 - 数学屋のメガネ

    東京新聞の「ガソリン税暫定税率 2008年1月27日 朝刊」という記事に書かれている、自民党・民主党双方の主張に対して、その論理の流れを分析してしみようと思う。その接続詞の使い方などから、その論理がどのような流れになっているかを見てみたい。まずは、自民党道路調査会長 山有二氏へのインタビューの中から、次の主張を取り上げて考えてみよう。 「――暫定税率はなぜ継続しなければならないのか。 「道路整備、維持の財源だからだ。自分の家の前、会社や病院までの道路を整備、改良してほしいのは全国共通の願いだ」」 ここで使われている「だから」という言葉は、その理由・根拠を提出するときに使われる。「継続しなければならない」ということの理由として、暫定税率が「道路整備、維持の財源だ」ということは果たして説得力があるだろうか。それを補強するものとして、「自分の家の前、会社や病院までの道路を整備、改良してほしいの

    ガソリン税の継続あるいは廃止の主張の論理を分析する 1 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2008/02/03
    小泉-安倍時代に自民党寄りの立場を鮮明にしてきた一般財源論者の多くが、引き続き自民党贔屓の立場を崩さす、この問題で自民党案の酷さに対して甘く、民主党案の粗探しばかりするので議論が不毛になってると思う。
  • 囚人のジレンマ−−信頼への裏切りがもっとも利益になるという皮肉な判断 - 数学屋のメガネ

    ゲーム理論で有名なものの一つに「囚人のジレンマ」と呼ばれるものがある。これは詳しくは「囚人のジレンマ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」で紹介されているが、簡単に要約すると次のようになるだろうか。 共犯だと思われる二人の被疑者AとBの取調べにおいて、二人において次のような条件が提示されたとする。 A,B二人とも黙秘し、自白しなければ少ない物証によって二人は懲役2年の刑になる。 どちらか一人が自白し、もう一人が黙秘した場合は、自白したほうは情状酌量されて反省の意を示したと受け取られ懲役1年に減刑される。しかしもう一方は、反省の意を示していないと判断され、懲役15年の厳罰に処される。 A,Bどちらも自白したなら反省の意を示したという情状を考慮して、その罪に応じた処罰として懲役10年が言い渡される。 このとき、二人の囚人AとBはどのような戦略を立てることが利益を最も

    囚人のジレンマ−−信頼への裏切りがもっとも利益になるという皮肉な判断 - 数学屋のメガネ
  • 合理的判断を拒否するメンタリティ - 数学屋のメガネ

    郵政民営化問題をマル激で議論していたとき、小泉自民党が提出していた「郵政法案」が論理的にいかに間違っているかということを荒井広幸さんや山崎養世さんの話を聞いているとよく分かった。郵政省に限らず、役所の改革が必要だということは分かるのだが、このとき提出された「郵政法案」がそのような構造改革にはならずに、結果的には郵貯や簡保が持っている国民の財産を外資に提供するだけのものになるだろうというのは説得的な論理展開だった。 表面的には改革のように見えるものが、よく考えてみれば一部の利権に奉仕するだけのものになっているというのが「郵政法案」に対する合理的な判断ではないかと思った。しかし、選挙では郵政改革を訴える小泉自民党が圧勝し、どう見ても合理的判断では改革になっていない「郵政法案」が、その欠点を指摘されることなく成立してしまった。 合理的判断で正しいと思われることと反対のものが選ばれてしまうというの

    合理的判断を拒否するメンタリティ - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2007/05/22
  • 日本の軍隊と軍人に対する評価について - 数学屋のメガネ

    クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は、僕はまだ見ていないのだが、それを見た多くの人は映画の主人公とも呼べる栗林忠道という軍人に大きな魅力を感じたのではないかと思う。その人間性の豊かさと頭脳の優秀さには感嘆するばかりの感じを受ける。まさに尊敬に値する人物と言えるのではないだろうか。 僕は、映画ではなく、小室直樹氏の『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』(WAC)というで詳しく知った。そして、知れば知るほど、この人物の魅力を強く感じるようになった。これは僕にとってかなり衝撃的なことだった。僕は、日の軍隊というのは腐敗している組織であって、優秀な人間が指導的立場につくことが出来なかったがゆえに多くの過ちを犯したのだというイメージを持っていたからだった。 硫黄島の戦いで指揮をとった栗林中将(この戦いの時点ではまだ中将だったと思う)は、おそらく日の軍隊史上で最も優れた指揮官だったのでは

    日本の軍隊と軍人に対する評価について - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2007/05/19
    栗林中将一人の存在でそこまで見方を変えるのは拙速。どんな酷い組織にも優秀で良心的な人はいるもの。結局酷い人間が影響力を増した時点でその組織に対して厳しい評価をせねばならならない。
  • 学校教育の「第四の目的」 - 数学屋のメガネ

    ジョン・テイラー・ガットさんは、『バカをつくる学校』の中で「アメリカの伝統的な教育制度には、建国当初から次のような明確な目的があった」と語って、次の3つの目的を挙げている。 1 善良な人間を育てること 2 善良な市民を育てること 3 生徒一人ひとりの能力を最大限に伸ばすこと これはまことに理想的な目的で、1と2は社会のために有用な教育という面での目的であり、3は個人のために有用な教育という面を語っている。個人と社会の両方にとって利益となる、調和的な存在となるような理想的な目的である。この目的が当に実現されるような学校ならば、学校も混乱することなく、社会の腐敗堕落も招かなかっただろう。 しかし、「1890年以降に導入された新しい集団教育には、さらに第四の目的が加わり、先の3つの目的を脇へ追いやった」とジョン・テイラー・ガットさんは語る。「この第四の目的とは、ドイツの学校のように、子どもたち

    学校教育の「第四の目的」 - 数学屋のメガネ
  • 戦後民主主義教育の欠陥はアメリカの民主主義教育の欠陥と同じだった - 数学屋のメガネ

    昨日のメーデーの集会の帰りに寄った書店で刺激的で面白いを見つけた。『バカをつくる学校』(成甲書房)というで、著者はジョン・テイラー・ガットという、ニューヨーク州で最優秀教師として表彰された人だ。ここではアメリカの義務教育学校が批判されているのだが、その批判がそっくりそのまま日の学校に当てはまるのを見て驚いた。 僕は、小室直樹氏の指摘によって、戦後民主主義教育の欠陥というものを考えるようになったのだが、それは日だけの特殊な状況ではなかったのだ。実は、日が手にしたアメリカの民主主義教育にそもそも欠陥があったために、その忠実なコピーとしての日教育にもそっくりそのまま欠陥が移されてしまったというのが、戦後民主主義教育の正しい理解ではないかと感じた。 ジョン・テイラー・ガットさんの、教師としての体験からくる欠陥の指摘は実に的確で、僕も教育の現場にいてそれを常に感じていたので、この

    戦後民主主義教育の欠陥はアメリカの民主主義教育の欠陥と同じだった - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2007/05/02
    日本の戦後教育も結局マニュアル通り正確に働く質の高い工場労働者の醸成にあった気がする。まあそれが高度経済を支えたのだが。
  • 歴史観という先入観(価値観を伴った思い込み) - 数学屋のメガネ

    戦争の記憶を語るときに、日政府の見解が中国韓国から批判されることがある。これは、被害を受けた人々の見方は、加害の立場での見方とは違うということを物語っているのだが、その際に「歴史認識」とか「歴史観」という言葉で語られている内容はよく考えると難しいものだと思う。 歴史というのは、もともとが過去の出来事をどう解釈するかということがその内容になる。つまり、解釈という点においてはさまざまな解釈が可能になる。正しい歴史解釈などというものは、究極的にはありえない。だから歴史は物語に過ぎないという理解も出てくるのだが、一方では、それぞれが勝手に思い込んだ歴史ではなく、大多数の人が賛成する客観性の程度の高い歴史解釈もある。 事実を確定することの難しさは、裁判などで物的証拠が見つからないという難しい場面で想像することが出来る。しかし、一方ではそのような難しい裁判はごくわずかで、たいていの裁判は簡単に結論

    歴史観という先入観(価値観を伴った思い込み) - 数学屋のメガネ
  • ナショナリズムの一般的意味と日本における特殊性 - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送でナショナリズムについても語っていた。暮れの最後の放送で語っていたのだが、これも「目から鱗が落ちる」という体験をさせてくれるもので、それまで持っていた先入観に揺さぶりをかけて、もっと役に立つ「よい先入観」を与えてくれるものに感じた。 ナショナリズムは一般論として考えれば、それは必ずしも悪いものではなく、むしろ良いものとして受け止められるものだと宮台氏は語る。それはよく考えてみればそのとおりだということが分かる。ナショナリズムは愛国心とつながるものだが、自分が生まれた国というのは自分で選ぶことが出来ない。それは自分の親を自分で選べないのと同じだ。 自分が誰の子供として生まれるかは生まれてみないと分からない。そうであれば、親を愛するというのは、自分を生んでくれたという事実からそのような感情が生まれると理解しなければ、何か他

    ナショナリズムの一般的意味と日本における特殊性 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2007/01/23
    政治を主導するエリートたちが、国粋主義こそが愛国だと勘違いしているような気がする。「
  • ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題 - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏が「宮台真司 週刊ミヤダイ」というインターネット・ラジオの放送で「ホワイトカラー・エグゼンプションで得をするのは?」ということを語っている。これを聞いて、僕は、ホワイトカラー・エグゼンプションというものの当の意味をようやく理解することが出来た。 ホワイトカラー・エグゼンプションというものが、今の日では、残業代を払わなくてすむことを合法化するようなお話にならないものだということは、多くの批判者が語っていることだ。そしてそれは、宮台氏も正しいと語っている。 今の日企業における残業の実態は、仕事の能力が低いために時間内に収めることが出来なくて残業が発生するというものではない。基的に仕事量が多すぎて、それなりの能力で労働時間内の努力をしても、その時間内でこなせる量ではないために残業を必要としているものだと考えられる。 ホワイトカラー・エグゼンプションを実現するのなら、まずそのよう

    ホワイトカラー・エグゼンプションにおける日本固有の問題 - 数学屋のメガネ
  • 個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ

    『自由とは何か』(佐伯啓思・著、講談社現代新書)というに大変興味深い記述があった。そこでは3年前のイラク人質事件に関連して、自らの自由意志でイラクに行った彼らの責任が、意志の「自由」というもので論理的に導出できるかと問いかけていた。 佐伯さんは、彼らがたとえ自分の意志で、国家の勧告に反して行ったとしても、どのような事件に巻き込まれようと自業自得で放っておいてもいいのだということにはならないという。近代国家には国民を守るべき責任があるというのだ。彼らがある意味では勝手に行ったのであろうとも、彼らの危機に対して国家はそれを救うのに全力を尽くさなければならない責任があるという。近代国家(民主主義国家ということだろうか)はそうでなければならないということだ。これは僕もそう思う。 これは感情面で同意できるというだけではなく、民主主義というものは、そのような原則を基礎にしなければ国家の安定が得られな

    個人の自由を支える国家の権力 - 数学屋のメガネ
  • ファシズムの概念 - 数学屋のメガネ

    pantheran-onca さんが「2006年12月24日 バックラッシュの奥に潜むものと丸山真男」というエントリーのコメント欄に書いた「丸山が戦時中の日を「ファシズム国家」と規定したこと」が間違いだったと言うことは、「南京大虐殺があったか無かったか」という対立によく似ているような感じがする。 「南京大虐殺」という事件については、「大虐殺」という曖昧な言葉をどう定義するかで、あったかなかったかという判断が違ってきてしまう。問題は、この言葉を厳密に定義して、事実がそれに合致するかで判断しなければならないのだが、対立する双方が同意するような定義は見つからないのではないかと思う。宮台真司氏も、どこかで「南京大虐殺はなかった」というような発言をしていたように記憶している。このことの意味は、世間で流通しているようなイメージでの「南京大虐殺」はなかったという意味なのではないかと僕は思っている。 言

    ファシズムの概念 - 数学屋のメガネ
  • 成熟社会にふさわしい教育とは - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏によれば、現在の日は近代成熟期になった成熟社会だという。近代成熟期に入る前は、近代過渡期と呼ばれ、ここでは「急激な重化学工業化と都市化の時代」が特徴で、「国民はみな仲間だ」という国民意識が支配していたという社会構造を持っていた。この近代過渡期が終わり、近代成熟期を迎えたと言うことは、社会の構造が変わったと言うことを意味し、その構造に合わせて意識を変え、教育を変えていかなければ社会の秩序というものが保てなくなると言う恐れが出てくる。 自民党が提出した教育法「改正」案の背景には、戦後の民主主義教育教育を荒廃させ、日社会を悪くさせたという思いがあるようだ。そして、それを支えた諸悪の根元が日教組であり、日教組の支えになったのが教育法であると言うことで、これを変えることが自民党保守層の悲願であったと言われている。 しかし、何かが悪くて教育が荒廃したと言うよりも、近代過渡期から

    成熟社会にふさわしい教育とは - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/12/29
    近代教育の目的は「都市労働者を養成」にある。都市労働者は「伝統社会と違って雨が降ろうが槍が降ろうが時間通り出社し、規律正しい集団行動で安価な良質品を大量に生産する競争に加わる」という人々を指す。
  • 現行制度から利益を得るステイクホルダー(利害関係者) - 数学屋のメガネ

    現行制度に何らかの問題があって、それが原因で不都合が起きているとき、その不都合を解決するには制度そのものを変えなければならないと言うことが起きてくる。これは、不都合と言うことを感じなければ問題解決の動機も生まれてこない。まずは、どんな不都合があるかと言うことの認識が大切になる。そして不都合が確認されたとき、それを解決するための行動に出ると、大きな障害として立ちはだかるのが表題にあるような「現行制度から利益を得るステイクホルダー(利害関係者)」というものだ。 このステイクホルダーの例として分かりやすいものとして、マル激で神保哲生氏が語っていたのは、記者クラブという制度における大手メディアというものだった。記者クラブという制度が原因で起こる不都合というのは、公的な情報が独占されてしまうことだという。そのステイク・ホルダーにとって都合が悪い情報が流れてこないという問題が起きる。 公式発表では語ら

    現行制度から利益を得るステイクホルダー(利害関係者) - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/12/25
    ごくわずかな教育的な「体罰」があるために、大部分の単なる暴力が見過ごされるのは問題だと感じていた。
  • マトモな「論争」の落とし穴 - 数学屋のメガネ

    仲正昌樹さんの『ネット時代の反論述』では、「論争」を次の3つに分けて論じている。 1 見せかけの論争 (相手に語りかけるのではなく、ひたすら味方にだけ語りかけ、味方が自分を正しいと思い、相手を間違っていると思えば成功) 2 「相手」をちゃんと見てする論争 (論理に従って、自分の正しさを証明する論争。これには様々な準備が必要) 3 とにかく相手を潰すための論争 (自分がむかついた分以上に相手に不快感を与えて、相手がへこむような結果のみを求める。とにかく相手にストレスを与えれば成功) この中の、マトモに見える「論争」の2について考えてみようと思う。これは、マトモに見える2の「論争」だったら「論争」として実りがあるのではないかと思うのだが、結果的に実りになることは極めて少ないと言うことが見出せると思うからだ。むしろ、この2はよほど注意していないとすぐに1や3の方向に流れてしまう。仲正さんは、1か

    マトモな「論争」の落とし穴 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/12/25
  • 民主党提案の「日本国教育基本法」案 考察2 - 数学屋のメガネ

    民主党の「日教育法」の考察をしたいと思う。基的に、僕はマル激での鈴木寛氏の見解に感服したので、その鈴木氏が作ったこの法案にも高い評価をしている。さて、参考にするのは「日教育法案 解説書」で、前回は前文を読んでみた。その時に感じたのは、民主党案は非常に具体性を持っていると言うことだった。 それが第1条の「教育の目的」になると一変する。政府案の方が具体的で、民主党案の方は抽象的になるのだ。そして、政府案の方に、多くの人が危惧する「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」という言葉が入っている。これが「愛国心」の押しつけになるのではないかという危惧が語られているものだ。 民主党案の方では前文の方に「日を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振

    民主党提案の「日本国教育基本法」案 考察2 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/12/25
    とりあえず右の全体主義と左の全体主義の影響を排斥してもらいたい
  • 教育基本法改正のメンタリティ - 数学屋のメガネ

    教育法改正案が衆院会議を通過した。衆議院は与党が圧倒的多数を占めているのだから、どのような法案であろうと、与党がそれを通したいと思えば通る状態にはなっている。だから、これはある意味では予想されたものなのであるが、各種新聞社説やインターネットの主張などを見ているとこれに反対する意見も多いように感じる。 一つは野党抜きの単独採決に対する批判だ。これはまだ議論が尽くされていないと言う、民主主義的な観点からの批判だ。これに対しては与党自民党などは、その時間をあげてすでに十分議論はなされたと解釈しているようだ。これは、何時間議論したからもういいという量的な問題で誰もが納得するような事柄ではないから、双方が違う見解を持っても仕方がないものになる。 もう一つの反対意見は、今改正することにそもそも意味があるのかという疑問から来るものだ。それをストレートに表現しているのは、「信濃毎日新聞 10月29日

    教育基本法改正のメンタリティ - 数学屋のメガネ
  • 左翼(学校)の全体主義 - 数学屋のメガネ

    いじめ問題を扱ったマル激の議論の中で、ゲストの内藤朝雄さんが言った「右翼も左翼も全体主義が好きだ」という言葉が印象に残った。この場合の「右翼」と「左翼」は定義が曖昧な言葉だが、多くの人からそう見られている集団という程度に受け止めればいいのではないかと思う。 右翼の全体主義というのは分かりやすい。軍国主義の歴史というものがあるからだ。かつての日では、軍国主義的思想からはずれるような人間を「非国民」と呼んで迫害した。全体からの思想の押しつけの圧力の強さは、少し歴史を振り返ってみればすぐに分かる。また、この歴史は日固有のものではなく、ファシズムの歴史を持っている国ではいずれも同じような全体主義が支配した時代があった。 右翼的な全体主義はナショナリズムから導かれてくるもののように見える。そしてある種の事実がそのナショナリズムから見て自明の前提とされるようになると、それが数学的な公理のようになり

    左翼(学校)の全体主義 - 数学屋のメガネ
  • 知られていない重要な情報の集め方 - 数学屋のメガネ

    僕は、神保哲生・宮台真司両氏の「マル激トーク・オン・デマンド」で新しい情報に接することが多い。ここで接する情報を新しいと感じるのは、それが他の媒体では得られないからだ。特にマスコミのニュースでは決して流れてこないような種類の情報がここにはあふれているのを感じる。 今週のマル激は無料放送をしているので、関心のある人は聞いてみるといいと思うが、山口二郎さんをゲストに招いたその放送で、遊就館の展示が、アメリカの要請で変えられると言うことを語っていた。これは知っている人は知っているのだろうが、僕はマル激を聞いて初めて知った。 この情報が正しいというのは、神保・宮台両氏それから山口二郎さんに対する信頼感から、まず間違いはないと思ったが、インターネットで検索をして一応確かめてみた。そこでヒットした情報は次のようなものだ。 1 「遊就館 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」

    知られていない重要な情報の集め方 - 数学屋のメガネ
  • 『はじめて考えるときのように』(PHP文庫)−−野矢茂樹さんの『論理哲学論考』 - 数学屋のメガネ

    僕が強くリスペクトを感じる学者に、もう一人哲学者の野矢茂樹さんがいる。野矢さんは専門が論理学であるという親しみも感じているのだが、なんといってもリスペクトに大きな要因として感じているのは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を理解するための媒介としていろいろなことを学ぶことが出来たからだ。 いきなり結論を語るウィトゲンシュタインの言葉を、一つずつ丁寧に解きほぐして、どのような思考を重ね、どのような論理をつなげていけばその結論に達するかを野矢さんは教えてくれた。これは、野矢さんに教育者としての優れた資質があったからではないかと思う。学者としてのリスペクトとともに教育者としてもリスペクトするものである。 ウィトゲンシュタインの文章はとてつもなく難しいが、野矢さんの文章は易しく理解しやすいように配慮されて書かれている。その野矢さんが、野矢さんなりの『論理哲学論考』を書き直すとすればこれではない

    『はじめて考えるときのように』(PHP文庫)−−野矢茂樹さんの『論理哲学論考』 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/08/28
  • 宮台真司氏の論理展開 3 - 数学屋のメガネ

    宮台真司氏が語る 「不安こそはすべてのバックラッシュ現象の背後にあるものです。」 という判断が、いかにしてもたらされるかという論理の流れをたどってみたいと思う。これは直感的にはそうだと思うものである。バックラッシュ現象というものが、そもそも正当な批判活動に当たるものではなく、的はずれのバッシング(攻撃)に過ぎないものだと受け止めれば、それが冷静に行われる可能性が薄いというのはすぐに分かる。つまり何らかの不安があるだろうということも予想するのは難しくない。 だが、これを直感ではなく論理的な帰結として構築するのはなかなか難しいのではないかと思う。物が上から下に落ちるという現象はすぐに分かる。しかし、落下運動がどういうメカニズムで起こるのかという論理的な解明は、ガリレオやニュートンという天才の出現を待たなければならなかった。現象をそのまま記述するのは易しいが、それを理論化するのは難しい。 理論化

    宮台真司氏の論理展開 3 - 数学屋のメガネ
    kechack
    kechack 2006/08/16
    「おまえは外国の味方をするのか」とか、「日本人の心を理解出来ないやつ」というようなバッシングが見えるようだと、ここにもバックラッシュ現象が現れるのではないだろうか。