毎日新聞の海外向け記事の件に関して藤代氏は私刑の主体がマスコミから”ミドルメディア”に広がり拡大している、目下の日本が私刑化する社会であることの傍証であると7月7日付の記事で述べている。記事にリンクされた『インターネットと「私刑」化する社会』、という目下の日本社会に対する藤代氏による年初頭の分析を眺めて、なるほどと思う。 しかしながら、私刑社会はいまさらはじまった話でもないのではないか、と私は考え直す。日本の道徳規範は私刑にかしずく世間体であってきた(e.g.村八分)。「私刑化」というまでもなく私刑は日本の社会システムの根源的な一部なのである。裁きの主体は裁判官ではなくて”みんな”。いじめ自体は日本にかぎった話ではない。米国にもドイツにもある。しかしながら、私刑がシステムとして形を変えながら歴史を通じ今でも幅を利かせる部分に日本に特有な部分がある*1。マスコミからネットへ、という藤代氏の指