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2009年7月17日のブックマーク (5件)

  • 性以前/以後 - Living, Loving, Thinking, Again

    「児童ポルノ」問題に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071018/1192728137 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071101/1193896416 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080315/1205588068 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080421/1208714162 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080805/1217870245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080930/1222710736 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090629/1246244161も。 「児童買春・児童ポルノ禁止法改正案」は「そのまんま麻

    性以前/以後 - Living, Loving, Thinking, Again
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/07/17
    《皮肉なことに、「児童ポルノ」規制の流れというのは「児童」を性的存在として認めるということになる。》
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/07/17
    《こういうと変化もしれませんが》誤字かわざとか分からん。/二・三番手になると本当に手抜きになるのがもうw/幼少の記憶がまったくない。演歌うたえたとか知らんし、なにそれ。
  • まだ自由意志は存在すると思いますか? - すべての夢のたび。

    昨日、「自由意志は存在すると思いますか?」というアンケートをやってみました。結果はこんなです。 自由意思は存在すると思いますか?自由意思は存在すると思いますか?すると思う 193しないと思う 75その他 32 回答者の内訳を見るとちょっと面白かったです。「しないと思う」割合は、男性より女性のほうが多く、また年齢が若いほど多くなる傾向が伺えます。俗っぽい見方をするなら、そういう人たちのほうが生きる上でより不自由さを感じているのかもしれません。逆に年を経た男性は、自分の力で世を渡ってきたんだぜーみたいな。「その他」の人がどういう答えを持っていたのかも気になりますね。誰もコメントを書いてはくれませんでしたけれど(笑)。 さて。自由意志についてなんか書こうと思ってとりあえずウィキペディアを見たのですけど、凄い充実度でびっくりし、もうちょっとこの辺ちゃんと読んでから考えようと思いました。 「自由意志

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/07/17
    自由意志は魂だよなあ、魂が感じるものだ。魂がフィクションなら人間もフィクションだし社会は殊更フィクションだ。フィクションを生きる限り自由意志はある。フィクションしか感じられない以上リアルなんてない。
  • 失われた10年を取り戻す。 - しーなねこのブログ

    僕の中で「失われた10年」という期間があって、 それは中学・高校・大学の10年間のことなのですが、 僕はこの期間、多くのものを失ってきたのです。 何を失ってきたかと言うと、つまりは、 「青春時代の、恋人との甘酸っぱい思い出」 みたいなものです。 多くの精神的に健全な学生たちは、 異性とラブして、手をつないで、イチャイチャして、 青春と呼ばれるものの中で、わいわい楽しく、 日々の生活を謳歌して、満たされたオトナになり、 その輝かしい日々を糧に、今を真っ当に生きているわけです。 ところが僕の学生時代、特に高校時代ときたら、 友人はひとりもおらず、毎日下を向いて歩き、怒り、 暗い暗いノイローゼのような日々を苦しみながら、 吐き気と共に送ってきたわけですが、 その経験、トラウマ(精神的外傷)のようなものが、 今になっても、尾を引いていると感じることが多々あるのです。 何かにつけて、学生時代の屈折し

    失われた10年を取り戻す。 - しーなねこのブログ
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/07/17
    失われたものを得た人たちの連帯感に同意。/撮影者は誰なんだw
  • 科学と生活のイーハトーヴ » Blog Archive » 私が女性であるということ

    自分が女性であるということを強く意識しはじめたのは、結婚してから、正確には子供を妊娠してからでした。 それまでは、「自分は女性だから損をしている」「得をしている」と考えたことは一度もなく、すべては個人の努力次第で決まると考えていました。 子供を産むまでの経歴をざっと振り返ると、保育園→公立小学校→私立中高一貫女子校→東大東大大学院→ポスドク→一部上場品メーカー。 自分なりの悩みや紆余曲折はあったものの、世間的には「順調」な人生を送ってきたといえます。 だからこそ、というべきか、私はずっと、単純な「努力教」信者でした。 自分を支え、導いてくれた人たち(親、友人、先生方など)に感謝の気持ちはもっていたものの、はたしてそれが十分であったかどうか。 たまたまそういった人たちがそばにいて、好意を寄せてもらえたということ、多くのチャンスに恵まれたということを、自分にそれだけの価値があっ

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/07/17
    異なる価値観に揉まれることも必要だが、他者の価値観に敬意を表さない世の中では悪戯に傷つくばかり。私の価値はあなたの価値を侵害したりしないよ、だから話を聞いて、と悲鳴をあげたくなる。